昨日は赤坂にて外れスキルのオンライン編集。その前に少し早くついたので双子のライオン堂で本を物色する。
色んな人の選書で構成されているという少し変わった作りの本屋で小さいながらも面白い本屋である。
一つお目当ての小説があって、それを探しに行ったのだけれどパッと見つからず(店主に聞けば良かったのだが、タイトルも失念していた)結局違うものを幾つか手に取る。
宮崎智之の「平熱のままこの世界に熱狂したい」は少し前に文庫が出ていて読んでみたいと思っていたのだけれど、判型が違うような…表紙も違うような…しかしタイトルは合ってるしなと買ってみたら、最初に出た単行本の方だった。
何で文庫を置いていないかったのかと仕事先の編集室で待ち時間にパラパラとめくっていたら表紙裏にサインが入っていてサイン本だからか、と納得した。文庫には吉川浩満、山本貴光、両氏の解説が入っているはずでそちらも読んでみたかったのだが。
読み始めてみると、思いの外、いやかなり面白く、編集室で3分の1くらい家に帰ってきて残りをさらっと読んでしまった。
何かしら本を取り上げてあるエッセイで、しかし軸は本とは殆ど関係がない私的な内容で、なぜか今の自分の関心などと重なるところが多く響くものがあった。
アル中だった頃の話、コロナ禍での子供の出産の話、など取り留めないようでいて全体と個について色々な形で語られていて考えさせられた。
全体と個はコロナ禍以降特に一直線につながって語られがちだが、それは危険だ、と私も思う。
しかし全体と個を切り離して考えることもまた難しい。
そんなこともあり、最近小説が読みたくて町屋良平の新作と陳柔縉「高雄港の娘」も一緒に購入。
町屋良平はこの前初めて芥川賞をたおった作品を読んで面白かったので新作を「高雄港の娘」は原題が「日本の統治時代の台湾」で頭をチラッと読んだだけでも凄く面白い。
読みかけの本は沢山あるのだが…。年末に読む時間が取れるだろうか。
そして今日は自分がいかに人の顔が覚えられなくなっているのか痛感した。ああ…許したまえ。
Blog
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宮崎智之「平熱のままこの世界に熱狂したい」【2024年11月06日】
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劇場版アイカツ!舞台挨拶【2024年12月02日】
どうもパソコンが突然逝ってしまったらしい。
なぜこの忙しいタイミングで…と思わずにはいられない。
季節の変わり目はパソコンも調子を崩しやすいということなのかもしれない。
調べた限りは限りなく望み薄な状態のようだ。
もうだいぶ使ったご老体だったので仕方無いといえばそうである。
電源は入るものの内部のハードディスクを認識できないらしく、中を覗くことも難しそうだ。
幸い仕事のデータはバックアップがあるし、他のデータも前日までのバックアップが生きていたので特に重大な損失は無さそうなのだが、憂鬱な気分である。
この文章はサブのラップトップで書いている。
いま、仕事は基本的に全てデジタル化してしまっているのでコンピューターがないと何もできない。
紙と鉛筆であれば調達は非常に容易なのだが、パソコンはどうしても新調するのに時間がかかる。
完全デジタル化も考えものか、と思ったりするが特に商業アニメはもっとデジタル化しないと効率が悪くて敵わんので後戻りはできない。
土曜日は劇場版アイカツ!の舞台挨拶があった。上映後と上映前の最近よくあるパターンで2回。
すぅちゃんと二人でというのは初めてのようだ。
すぅちゃんと会うのは久しぶりというわけでも無いのだけれど、いつもの笑顔を讃えて見せてくれてほっとする。
舞台挨拶での私の話は、結局どこかで話したことがあるような内容ではあったけど、すぅちゃんのトークが冴えていてお客さんは十分満足であっただろう。
10年の間にすぅちゃんのトーク力は随分と上がった。そりゃ、どれだけ沢山舞台挨拶やらイベントやらで喋ったか分からないくらいだろうから当然と言える。
場数だけではなく確実に大人になっていて、昔だったら照れて出てこなかっただろうな、と思うようなセリフもポンポン出てきて隣で聞いているのが大変面白かった。
ほとんどが、再見の人だったけれど中には初めて見るという人もいたのが驚き。
付き添いで来たのだろうかなどと推察していたのだが、新しい観客が来てくれるのは嬉しいことだ。
初日で結構動員が有ったようで数字を聞いて少し目が丸くなった。
長く愛される理由は何処にあるのでしょう、というような質問が舞台挨拶の中であったけれど、そりゃあ制作者には分からない。
もちろん推理はするけれど。
「作品」というのは作品と観客の間に立ち現れるというのが私の考えなので、どんな作品でも究極的にはその人それぞれの理由が作品と観客とを繋ぎ止めていると思っている。
大きく似たようなところが共通して響いているということはあると思うけど、それを探り当てただけでは良い作品は作れないのじゃなかろうか。
じゃあ、何処へめがけて作るんだよ、と言われれば一応ストライクゾーンのようなものは想定している。
ヒット、と呼ばれるようなものは作品そのものだけでは無くて周りの状況とも相まって作られるので作品がよく出来ているからヒットするというわけでは必ずしもない。
ただ、良い作品でなければ長い年月残っていかないのは間違いはなくて、商売と良い作品を両立させるというのが難しいところなのだと思う。
しばらく前に九州の大学生からアニメの音響についてのインタビューを受けたのだが、その研究の発表が行われるらしく発言内容の確認のメールが来ていた。
私の他にも結構すごい人が協力していた。
アニメの研究をしている人は最近増えていて、隔世の感がある。
発表が上手くいく事を祈ろう。
富野由悠季の「映像の原則」が再販しているのでパラパラと本屋で捲ってみたが、結構良い本だという気があらためてした。昔発売された当時読んで以来なので内容はあまり覚えていないのだけれど。
あとで買って参考にしよう。
幾つか「絵コンテで学ぶ演出」用の資料は当たりはつけてある。
放っておくと面倒くさくなるばかりなので、少しづつでも進めたい。 -
アイカツ!劇場版再映【2024年11月26日】
そういえば、劇場版アイカツ!が今週末から再上映される。
もう劇場版初上映から10年だそうで、早いものだなぁと感慨に耽ってしまう。
土曜日には池袋のグランドシネマサンシャインで諸星すみれちゃんと舞台挨拶がある。
劇場版は結構たくさんイベントをやっていろんなことを喋ったので何を話そうかと考えている。
運営からの質問アイデアはあるものの何か話してないような思い出があったかな…と。
10年で随分いろんなことを忘れているので(何を話したかも忘れつつある)繰言のようなつまらない話にならないようにしたいものだが。
すみれちゃんが一緒にいるので、殆どの人は彼女を見るだけでも来た価値はあろうと思うのが救いである。
アイカツ!は定期的に昔を思い出す機会が訪れるので比較的に思い出せることは多いと思う。
当時、プロモーションで結構駆り出されて色んな事をさせられた記憶がある。
今も監督はプロモーションに寄与出来ているのだろうか…と甚だ疑問なことはあるのだが、体験としては面白かった。
今思えば、最初の頃は舞台挨拶も緊張していた。
初めての舞台挨拶は豊洲の劇場だったように思うが、控室では全く緊張を感じていなかったのだけれど、客前に出て急激に緊張したのを覚えている。
そりゃあ、結構大きなスクリーンだったし新人監督としては仕方ないだろう。
笑いの一つも取ってやろうと思っていたのだが、ジョニー役の保村さんがクルリと回って(控室では絶対パフォーマンスはやらないとか言っていた気がするが)華麗に笑いを取ったのを横目に見て感心するばかりだった。
大阪でも舞台挨拶とテレビ用のショートのインタビューとか。
告知を噛まずに言うのがいかに難しいか思い知った思い出がある。
コメンタリーなどのトークショーも凄くたくさんやった気がする。
殆ど私が司会進行のような形で90分のコメンタリー上映をやった時は流石に少し喋りが上手くなったような気分になれた。(大したこたぁないのだが)
何かの(アフレコだったか?)イベント終わりで予定していなかったスタッフが沢山参加してくれて助かった。
ただ喋るだけでも90分は非常に喉が疲れて大変なのだ。
そもそも、喋る内容などをある程度は考えておけば少しは上手く話せるのに、打ち上げの挨拶などですらその場の思いつきで喋ってしまう。
最近は良くも悪くも場慣れして緊張することもあまり無くなって上手くはないがリラックスして話せるので(トチっても気にしない)聞いてる方も楽しく聞いてもらえてると思っている。
一人でカメラに向かって話すようなコメント撮り的なものはいまだに苦手で、客前で話す方が気楽だ。
確か、バルト9でやった舞台挨拶の後、近くの交差点でファンの男の子が待っていてサインを求められた。
サインなど求められたことが無かったので普通に名前を書いただけだった。
アイカツ!に勇気づけられました、ありがとうございました的な事を言ってくれたのだが、ありがとうはこちらのセリフである。
この仕事をしていて、まさか誰かに感謝の言葉を貰う時が来ようなどとは思いもしていなかった。
子供向けであるし、素朴に面白ければ良いというつもりで作っていた作品なので、自分の想像を超えた反応に戸惑いというか申し訳ないような気分になったこともあるのだが、(何度も書いた気がするが)貴重なありがたい経験をさせてもらった。
劇場版は自分で絵コンテを描いているわけでもないし、演出もやっていないし、本当に周りのいろんな人の力で出来た作品だった。
自分の仕事のほとんどは、加藤さんとの脚本作りの中に集約されている。
当時の自分に出来ることや思いは全て投じて作った作品ではあるので、それが今だに多少なりとも人の心に残っているというのは嬉しい限りである。
久しぶりの劇場での上映なので、お時間のある方は是非見てほしい。
会える方は、土曜日に劇場で会いましょう。 -
猫・掃除・植物【2024年11月24日】
一番上の雄猫が旅立ってしまったので、我が家は女性上位時代に突入した。
メス猫2匹にオス猫1匹である。
長老メス猫は食欲も旺盛で動きも軽やか。下2匹との仲は、良いとは言えないのだが。
しばらくは元気でいてくれそうだ。別に仕事が落ち着いたわけでもないけれど、一つミッションが終わったので突然部屋を片付けたくなって始めてしまった。
手っ取り早い掃除は「捨てる」だけれど捨てることすら忘れているものが結構あるので掘り出すところから始めることになる。(コンマリに拝礼)しかしどんどんエントロピーが増大するだけで途中差しのまま仕事に戻るに違いない。
年末なので家の中をひとしきり掃除したいけれども、果たしてどこまで出来るやら。
今週のオンライン編集は、えらく待ち時間が長くなってしまった。若い人と長々と話す機会も最近はそう多くないので、仕事は進まないがこういう時間は面白い。
元は現場にいた(私の現場にいたこともある)若いPがいて逆の立場になって悩むこともある、というようなことを言っていたのでそれは良いことで現場にいた経験が色々生きるんじゃない、と答えたのだが、まあ分かる気がするな思って聞いていた。
元現場にいて出版社やクライアント側に転職した人たちも最近は増えているようで、そういう人は現場との架け橋に実際なっていたり、なりそう。
出版社側から制作側に来る人は今は給与が違いすぎて、無さそうだが…。
逆が起こるようになったら面白いんだろうな。
しかし、KADOKAWAを SONYが買収する話も出ていることだし、そもそもSONYもKADOKAWAも制作現場を持っているし、ぐるぐると掻き混ぜられて後数年の間に大きく様変わりするのは間違いなさそう。
作られる作品は、どんなものになっていくのだろうか。使いやすいクラウドサービスを探している。
スタジオと家で同じデータを触れるようにしたいのだが、今使っているicloudは同期が不安定で使いずらい。容量と値段はとってもお手頃なのだけど。
上手い同期の方法があればそれに越したことは無いのだが、調べても良い対処法は出てこない。
スタジオが大きなサーバーを用意してくれれば良いのだが…いや結局DROPBOXなどの方が手軽で使いやすいんだろうけど。
誰かお勧めを教えてほしい。植物を色々買ったまま植え付けを出来ないでいる。
土も買って来なくてはいけないし、雨が降ったり寒かったりで放ってあったのだが、少しまた暖かくなったことだし今のうちに植え替えないと春まで放置しそうだ。
暖かい日があるうちに植え替えないと根が張ってくれないので今週あたりがラストチャンスかもしれない。
寒さに弱い植物も植え替えて冬越しさせるか悩ましい。
屋内に取り込めば冬越しできるのだけれど、玄関に置くにしてもまあまあ場所を取るので全部は難しそう。
しかし買ってきてから咲いている時間が短いものも結構あって、冬越しさせれば春からまた花が見られるものは越させて見たい。
プレクトランサスは、とても良く咲いたし掘り上げて鉢植えにして取り込むか。
五色唐辛子は元気ではあるけれど、あまり大きくなってないので、これも掘り上げるしかないのかも。
冬に強いものは、だいたい夏に弱い。
最近の凄い暑さを越えるのはかなり難しい。(とプロもYouTubeで話していた)
YouTubeには園芸関連のチャンネルが結構たくさんあって重宝する。
夏越しさせる方が冬越しより大変そう。
なるべく強そうな植物(=手がかからない)を選んで買っているのだが、しかし育てて見ないと分からないことはたくさんある。
PWのチョコレートコスモスは耐病性も上がった強健な種類ということで、しばらくは花上がりも良かったのだが、肥料を上げすぎたらしくうどんこ病に罹って一気に弱ってしまった。
肥料を上げた方が普通の花は花つきが良くなるのだが、肥料を上げるとうどんこ病に罹りやすくなるらしく(と、薔薇の育種家が話していて知った)またチョコレートコスモスはうどんこ病に罹りやすいようで、しくじった……というわけ。
手をかけない方が良いこともあるという学びを得た。
PWのアリッサムはセールで買った苗を夏に一回枯したのだが、秋に買った苗は順調に大きくなって植え替えた。
花芽も結構上がってきていて春には沢山咲いてくれそうな予感。
PW(Proven Winners)の植物は初心者が育てやすいものが多いのでつい欲しくなる。
巨大になるものもあって、どこに植えるのかは悩ましい。
次は何を買おうか? -
ペットロス【2024年11月18日】
猫との別れは何度経験しても慣れないもので…。
具合が悪そうだな、と気付いてからあっという間に逝ってしまった。
4ヶ月ほど前の検査では、まずまずだったのだが、先週末ご飯を食べなくなって病院へ連れて行ったのだが。
膀胱の脇に腫瘍が出来ていたらしく、それが静脈を圧迫して歩行も難しくなっていた。
歩きづらそうだな、と思っていたが猫は痛みを我慢するので、そこまでクリティカルな原因があるとも思わずにいた。
腎臓の数値も悪くなっていて、しかしまだ何とかという所だったようなのだが腫瘍との相乗効果か急速に体調は悪化したようだ。
ここ最近の急な寒さで激変したのかもしれない。
まあまあ歳だったので仕方ないないと思うのだが、もう少し上手く対処してやれば楽に逝けたのかななどと詮無いことを考える。
しかし言葉の通じない猫の変化を素人が察知するというのは、なかなか難しい。経験を積めば重要な変化に気づけると思うのだけれど。
人間というか、自分自身のことですらままならないのだから。
ペット界隈の医療は二極化しているそうで、街のホームドクターと大学など専門機関。高度な医療を施すところは、とても高い医療費を取るらしい。
専門の機関だと検査で20〜30万、手術で40〜50万、合わせて100万くらいしてしまうとか。
確かに、前の猫で検査してもらった時は結構取られた記憶がある。
老齢の犬猫に高い手術をしたとて、そう長く寿命が伸びるわけでも無い事が殆どだろう。苦痛は取り除いてやりたいが、さすがに何処まで手をかけるか悩ましい。
もうしばらくはペットロスから抜けられなさそうだ。もう11月も半ばを過ぎてしまった。
来年は頭からバタバタしそうだし、なんだか余裕がない。
とある原作者の人に、コンテの絵が綺麗で驚いた、というようなことを言われた。漫画のネームのようなものかと思っていたと。
まあ確かに漫画のネームよりはアニメの絵コンテは詳しく絵が描かれている事が多いかもしれない。
これは良し悪しがあって、そもそも絵コンテだって漫画のネームのようなかなりラフな絵でも問題がないはずだ。
ラフな絵ですめば、そちらの方が圧倒的に早く描ける。
漫画と違ってアニメは大勢の人間が関わるので下書きも他人が分かる絵である必要性が少し高い。
しかし、必要な情報が分かればそれほど丁寧に描く必要もないわけで、現状の絵コンテの几帳面さはアフレコが絵コンテを撮影した映像で行われるという場合があることへの対処という側面が強いように思う。
もちろん他にも(絵的に)詳細な絵コンテが描かれる理由はあるのだが、スピード重視で描かれる事があまりないのは、殆ど上記の理由ではないだろうか。
世の中には凄い人がいて頼んで10日もあれば詳細な絵が入った絵コンテが上がってくることもある。
しかし、それは稀で普通の人だと一本の絵コンテを上げるのに3週間から6週間くらいが平均だろう。(もちろん他の仕事もしながらのスケジュールなのだが)
ただ、ラフだけだったら2日3日で出来てしまうという人は少なくないのではなかろうか。
ラフだけ演出家が描いて、清書をアニメーターに任せるようなやり方も有りそうだが実際は殆ど例がないと思う。
絵コンテについては、もう少し効率的な方法が色々な形で模索できそうなのだが、なかなかそうはなっていない。
絵が綺麗だと褒められるのは嬉しいのだが、問題の多い工程でもある。泣きつかれて急ぎの絵コンテをこなしたりアイカツ!のイベント用の仕事があったりと10月末から忙しくてしんどいが、あと半年くらいはこんなこんな感じなのかもしれない。
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神経質な時代なのかも【2024年11月02日】
今週はへとへと。
仕事で気力も体力も失って本も読めない。
のだが、また細かい仕事が増えたりして果たして終わるのだろうか…。
今週は連休なのだなと、さきほど気づいた。
昔は連休も土日も関係なく仕事の連絡が来ていたりしたものだけれど、最近は大分少なくなって健全になったものだと思う。
急ぎの仕事の返信もまだ来ていないもの。
仕事でちょい驚いたことがあり、それにまつわることをメモ的に記す。
最近のアニメ制作は、ほとんどが原作ありきの仕事である。
最近でなくとも原作ものの仕事はずっとあったわけだけど揉め事などの話もよく聞いた。
しかし、お互いに歩み寄りやら色々あって、ここ10年くらいで作り方は非常に落ち着いてきているというのが個人的な印象。
もちろん今だに揉め事の話も聞いたりはする。アニメの話ではないけれど、ついこのあいだ原作者が亡くなってしまった事件まであったわけで。
しかし、トラブルシューティングなどは出版社など権利を持っている側と制作サイドともに随分とノウハウは蓄積されていて、穏やかに仕事が進んでいるところが多いのではなかろうか。
派手に揉めている話は随分聞かなくなった気がする。
あるいは揉めてもなんとかなる段階で手を打てているというべきか。
なんとかなる段階、それはプリプロ。
絵的には設定画などの確認。
お話は脚本の段階で、なるべくしっかり合意して揉めないようにしましょう、ということ。
特に脚本の擦り合わせは昨今非常に重要度を増している。
さて、過去アニメ業界ではシナリオを軽視する演出家も少なくなかった。
その理由は色々あると思われる。
ひとつはアニメに限らず映像化の際に原作を大幅に改変する場合があった。
もうひとつは、アニメオリジナルの作品が多かった。
映像化の際に原作を大幅に改変していた理由は色々あるのだろうけど、昔は改変がそれほど悪とされてはいなかった。
映像は別物としてあまり気にしない原作者も多かったと聞く。
もうひとつアニメにオリジナル作品が多かった頃は、演出家の裁量でお話をアレンジしてもそれほど問題にならなかった場合も多かったと思われ、そういう文化の中で育った人は、とくに悪気なくシナリオを軽視するということがあったのではないかという気がする。
実際、私もオリジナルの仕事の時は脚本に沿うことに凄く気を使うということはない。
といっても、シナリオを軽視しているわけではなく、映像化の際に必要なアレンジや、ノリでこの方が面白いかなといったアイデアを入れるときに凄く気を使はなくて済む、という程度である。
そもそも面白いお話を作るために脚本会議をやっているわけで、シナリオを無視して作るというのは、その時間を捨てるということなのだから馬鹿げている。
最近でもオリジナルの仕事で監督が勝手に話を変えて脚本家と揉める、という話も聞くことはあるのだが何故なのか…。
しかし昨今の原作もののシナリオは、少し繊細である。
シナリオ会議に原作者が参加する場合も少なくないので、意外に細かなところまで原作者の手が入っている場合がある。
脚本は原作サイドとの契約書にも似た機能を果たすようになっている。
なので、監督といえども簡単に改変はできない。
改変したければシナリオ会議の段階でアイデアを提案するのが筋なのである。
実際私も大きめの改変を提案することがあるが、それは会議の場で議論される。
各話のコンテマン、演出家はシナリオ会議での議論を知らないのでシナリオの改変は難しくなる。絵コンテなどは良くも悪くも極力シナリオに沿って描かれる。
とはいえ、脚本通りに映像を作るというのは無理なので映像化するために多少のアレンジはどうしても必要だ。
私が原作ものの各話の絵コンテを担当する場合も極力シナリオ通りに作って、明らかに変えた方が良さそうなところがある場合は、なるべく発注の段階で確認する。
描きながら分かったことは断り書きを入れて直すか、放置して監督に判断を任せるというのがもっぱらだ。
ノリで作って、それを面白がれた時代もあったのだと思うが、今は良くも悪くも難しい。
漫画にせよ小説にせよ原作もののお話は一人の人間が描いていることが多いので、どうしてもその人にしか分からない理屈のようなものでつながっている部分がある。
ブラックボックスのような、その人の頭の中だけにある理屈は創作の魅力にもなりうるものなのだけれど、映像のように大勢の人間が関わって作る創作物の場合は他人と共有できないと理屈そのものが抜け落ちてしまうこともある。
ブラックボックスはなるべく少ない方が良いし、しかしそれが無くなることも原理的にないと思う。
すくなくとも監督と共有できていれば作品が大きくずれたものになることはない。
しかし末端のスタッフの創作性や実務的な問題とどう両立させていくか、というのは悩ましい。池田繁美さんが亡くなった。
夏色キセキの時に一緒に仕事をした。
ガッチリした分かりやすい設定が印象的だった。
昔気質の厳しい人であったのだと思うが、私は意外と気安く話してもらっていた気がする。
昭和の職人たちが亡くなっていくのは仕方ないことだが残念だ。 -
外れスキル<木の実マスター>【2024年10月26日】
1月から放送の「外れスキル木の実マスター」は「おとなりに銀河」の流れで大体同じようなチームで制作。
ファンタジーは各話の演出でも、ほとんど担当した記憶がない。外れスキルものが沢山あることも知らなかった。
お話は私世代なんかは懐かしくなるような王道の冒険ファンタジーで、とっつきやすく楽しく作れた。
原作チームも鷹揚でありがたかった。
制作の旭プロダクションは宮城の白石にスタジオがあって、そこのチームがとても優秀だ。
「魔法少女にあこがれて」の監督も務めた鈴木理人くん、演出の森あおいさん、おとなりに銀河のキャラクターデザイン大滝那佳さん、は白石のチーム出身で皆んな優秀。他の作画チームも優秀でびっくりする。
今回も参加してもらって、感心するばかりだった。これからどんどん活躍するに違いない。
メインキャラはアイカツ!でもう長い付き合いの宮谷里沙。忙しいところを無理に頼んで引き受けてもらった。アニメ制作本数はスタッフの数に比べるとかなり多いので、どこのスタジオも苦労が多い昨今だが、若い優秀な人たちの仕事を間近で見る機会は楽しい。
若くなければ出来ない仕事はある。アニメ作りは意外と体力勝負なので、なるべく若いうちに良い仕事をする機会に恵まれると良いなと思う。仕事の愚痴を書こうと思っていたけど、やめた。
2028年あたりの仕事まで決まっているとかいう話も聞くが、隔世の感がある。
果たしてこの先どんな作品がつくられるのだろうか。 -
暴力とアディクション【2024年10月21日】
最近読んだ本、信田さよ子「暴力とアディクション」
現代思想に書かれた短編の文章をまとめた本。大変面白い。
タイトル通り暴力とアディクション(中毒)が如何に関係しているかというテーマが主に取り上げられているが、そこには深く家族が関わっている。
信田のキャリアはアディクションから出発しているので、どちらかというとアディクションが先にあってそこに暴力がどう関わっているのか、という構図。
この本だけで沢山、物語のネタが出来そうな内容である。
アディクションの代表的なものとしてアルコールがある。
アル中への対処がアメリカで進んだのは、ベトナムからの帰還兵が沢山アル中になり、家庭の中で暴力を振るい、それが問題になったかららしい。
中毒は様々な社会問題と通底している、という具体例が様々示されている。
アルコール中毒に限らず、全ての中毒・依存症は自己治療的である、ということが随所で語られているのだが、これは普通の人間でも多かれ少なかれ思い当たることがあるだろう。
趣味でも仕事でも、のめり込んでいるもの・行為は自己治療的な側面がある。
それがなければ生存が危ういかどうかが依存症かそうで無いかの分水嶺だ。
中毒・依存症は本人にとっては治療的なので止めたくないが、周りが迷惑しているので止めさせたい、という構図が依存症治療の難しさらしい。
そりゃ大変だろう。
貧困、ジェンダー、家族、戦争、ありとあらゆるものが暴力・アディクションと関係していて、これは表立って取り上げるかどうかはともかくとしても、物語を作るとき考えるべき事象だという気はする。仕事をしながら流し見していたNETFLIXのガンダム(CGのやつ)が面白かった。
ちゃんと戦争ドラマをやろうとしていて好感がもてる。
実際の戦争はもっとえげつないけれど、ライトにでも戦争について考える様な作品を作ろうとする姿勢はファーストガンダムと通じるものがあって好きだ。
一貫してガンダムを恐ろしいものとして描いているのだが、こういう描き方を許容できるのか、というのも少し驚いたし良いことだと思った。引っ張っていたコンテを終わらせたが、わんこそばの様に次は控えている。
まあまあ出来は気に入っている。
作画がどれくらい頑張れるかはわからんけれど。
細々した仕事を今週は片付けなければいけない。
10月は、あと10日ある。
将棋の竜王戦も3局目が終わってしまった。
佐々木勇気が1勝あげて面白くなってきた。
毎年、竜王戦が始まるともう今年も終わりだなと思う。
来年は試練の年(別に辛いことをやるわけでは無いが)で慣れない仕事をやらねばならぬ。
なので、なるべく終わらせられることは全て今年のうちに終わらせてしまいたい。
しかし、先の仕事はさっぱり決まっておらず…まあこうやって何十年か生きてきたのだから何とかなるだろう、とこういう文章を書いているのも自己治療なんだろう。そういえば、久しぶりに自分の仕事の告知が出たのを忘れていた。
ファンタジーをやるのは初めてだが、昔の少年漫画のようなノリの原作だし、気分的には楽しかった。
現場色々あって予想以上に大変ではあったのだが、今どき大変で無い現場ほとんどなかろう。
今アニメの制作スケジュールはとても伸びていて、12、3本のシリーズを作るのに丸々1年くらいかかるのは普通になってきている。
なので告知も全然できない。
次はいつになるのやら……。 -
ストリーボード作成で学ぶ演出(のための準備)【03】・基本的な目的
順番に内容を整理
GPTの整理では、
1. ストーリーボードの基本的な目的を理解する- 目的の説明: ストーリーボードは、映像のシーン構成やカメラワーク、キャラクターの動きを視覚的に整理するためのツール。シナリオから映像化の第一歩であり、アニメーターや制作スタッフとの共通言語となるものだと説明します。
- 具体例の紹介: 完成したアニメーション作品のストーリーボードと映像を比較しながら、どのようにストーリーボードが映像に変わるかを実例で見せます。
アニメーションというか我々が作っている商業アニメーション(この様式に対する明確なネーミングはないのは問題だ)を制作する上でストーリーボードがどの様な役割を担っているのか整理する
- 実際に制作する映像を視覚的にわかる様に計画する
- 物語全体の時間の想定または算出。全体の時間をどの様に分割するか、しないかを計画する。
分割単位は大きくシーンとカットがあるが、シーンはシナリオで既に想定されているので、基本的にはカットの単位で分割を考える - 映像内で起こる事象の提示(場所、演技、その他主要な映像に写すことが必要な事象)
- 事象をどの様に映し出すかの提示(フレーミング、カメラワークの提案)
- 部分、全体の作業負荷の想定、見通しを立てる
- 音響についても大まかに想定する場合がある
演技をストーリーボードで想定するのは、日本のアニメの多きな特徴。
実写だったら俳優の演技があるので、演出家が事前に想定する部分は限定的だ。
日本のアニメは作業負荷の想定やキャラクターの統一などの理由から、かなり踏み込んだ部分まで演技が描かれる場合がある。
作業者の負担になる部分でもあり、面白いところでもある。
大まかな項目としたらこんなところか?
ストーリーボード作成の目的自体は初心者にも比較的容易に理解可能だろう。
ただ実際のストーリーボードは、作品や監督などによって「どこまで踏み込んで考えるか」や「重要な要素」が大きく違う。
しかし演技、撮影効果、音響など、何をどこまで想定するのがストーリーボードの役割なのか、初心者にはある程度明確にしておくべきだろう。
あくまで商業アニメ制作に絞って、その役割をもう少し整理してみる・時間の算出
演出家を仕事としている身としては、このことが非常に重要だ。
何故なら、尺が足らなくてもオーバーでも商品としては成立しない。
映画であれば厳密なフォーマットは存在しないものの、90分と120分では、製作費が変わってくるし上映可能回数も変わってくる訳で、適切な尺に収めるのは管理職としての演出家に常に求められる。
しかし、超初心者に教える場合や、演出の概念やストーリーボードの仕組みを教えるだけであれば、あまり教える必要はない。
実際、学生の時はこんなことを言われたことはなかった。
プロになってからは、尺が上手くコントロールできなくて冷や汗をかいたことが何度となくあるのだが…。
とりあえず各項目ごとに、これは初心者に必要か?ということを整理していくしか無いかも。・演技の想定
これは結構、初心者でなくても難しい項目。
初心者にストーリーボードを教える場合、実は「演技については考えさせない」方がストーリーボードの仕組みはわかりやすいかもしれない。
映像のつながりを想定するだけであれば詳細な演技は必要ない。
ただ画面内のキャラクター(人物)の位置が想定されていれば良いだけである。
実写の様にカメラが移動して構図が変わる場合でも、見かけ上のキャラクターの位置が分かれば繋がるかどうかは判断がつく。
キャラクターが移動する場合でも、同じく画面内の見かけ上のキャラクターの位置が分かれば良い。
芝居を一緒に考えると混乱したり、映像の繋がりについて忘れたりしがちだ。
しかし実際のアニメの現場では、演技の想定が演出家というかストーリーボードを描く人間に強く求められている。
理由としては、
・全体の作業量の想定
・キャラクターの統一
・アニメーターが演技を考えてくれない、あるいはその時間がない
などがある。
これは初心者がストーリーボードを学ぶ際に結構足かかせになっている気がする。
初心者に教える場合は、ストーリーボードで求められる演技について整理しておく必要があるやに思う。抽象的にも具体的にもなりすぎない様に、ストーリーボード作成の目的を整理しなくてはいけない。
そしてそもそも、誰に教えると想定するのかハッキリさせる必要がある……のだが、超初心、初心、中級者でだいぶ内容が変わってしまう。
今回はここまで。 -
植物いじり【2024年10月05日】
植物いじりが唯一の楽しみになりつつある今日この頃。
秋は園芸シーズンで花苗などがたくさん出回るのだけれど、植物によっては寒さが苦手なものもあり鑑賞期間がそれほど長くないものもある。
0℃を下回ったとき枯れないかどうかが分水嶺なのか、マイナス何度かまで耐えられるものなら冬越しできるみたいだ。1年草として、枯れるまで鑑賞するという花が沢山あるのだということを最近知った。
とはいえ、1月くらいまでは、そう寒くならないので大体の花は鑑賞できそう。
寒さに強い植物は、逆に暑さに弱くて夏に枯れてしまうものが多いらしい。
特に最近の夏の暑さ(今年はやばかったようだ)は暑さに強いものですら枯れてしまうこともあるという。
大体の花苗は大して高くなくて、無限に買ってしまいそうになるのだが、鉢が意外とお金がかかる。
焼き物などだと大きさにもよるが、そう気やすく買える値段でもない。
しかし全てを地植えできるほど広い庭があるわけでもないので、やはり鉢がメインになってしまう。
そもそも庭木を剪定するのに時期やらなんやら調べているうちに、園芸種の花に綺麗なものが沢山あることを知り、狭い庭でも工夫次第で意外と綺麗に育てたり飾ったりしている人がいることを知り、道を歩いているときに他人様の玄関先の植栽が目に入る様になり、上手な人は本当にオシャレに飾っているのが分かると真似をしたくなって園芸店に行ってみると楽しすぎて完全にハマってしまった。
園芸店はちょっと離れたところにあることが多くて車のない私は徒歩で運ぶしかなく一度にたくさん買えないのが残念なのだが、それでも毎日でも行きたくなってしまってグッと堪えている。
通販でも結構買えるのだが、やはりものを見て選ぶ楽しさは代え難い。
玄関先に死ぬほど鉢が置いてある(が管理しきれていない)家が結構あることに最近気づいたのだけれど、気持ちが非常に良く分かる。
大きな園芸店は大概郊外にあって車が無いととても行けないところが多い。しかし実は都心にも有名な園芸店の支店があったり、探すと意外に自宅の近くにもあったりして驚いた。
暇なら延々と巡りたい。
なんでこんなにハマっているのかよく分からないけれど、とにかく土を触っているだけでも楽しい。割とズボラでもそれなりに育ってくれる植物も沢山あって初心者でも意外にとっつきやすい。
最近気に入ったものはチョコレートコスモスでチョコレートの様な香りを発する。普通の品種は寒さに弱くて冬越ししないらしいが、改良されて頑張れば冬越しできる品種とのこと。冬を越えれば四季咲きとして楽しめるそうな。
冬は屋内に入れておけば大丈夫なのだけれど、寒さに弱い植物を全部中に入れていたらキリがないので、苦渋の選択を迫られるかもしれない…。