そういえばブログのデザインを変えたのだが、見にくいだろうか。
もう少しアレンジ出来ると思うのだがやり方が判らず…。
月曜は後輩にご飯に行こうと誘われ、もうひと方と3人で西荻窪でランチ。
10年ぶりくらいに会うというメンバー。
誘ってくれた彼は年末予定が合わず会えなかったのだが、また誘ってくれたので珍しいなと思っていたところ地方へ移住するとのこと。
そういえば、前に話してくれていたっけなと思い出す。
今は地方に移住して仕事をしている人も増えている。
業界がコロナを経てかなりオンラインに慣れたということもあり、職種によっては全く問題なく仕事ができる。
その彼は監督業をしているので、時々は東京に出てこなければいけないが、それでもやれそうということらしい。
地方に行ってしまう方が仕事のセーブがしやすいだろう、というのが目的と話していたが、なるほどそれはそうかもしれない。
目の前に仕事があると無視できない人は物理的に制限を設ければ、いやでも限界がある。
私の場合は完全デジタル化してしまっているのでデスクワークはあまり変わらないが、ここにしか東京行けないぞ、となれば頑張ってそこに合わせて予定を組んで様になるのだろうか…。
いやむしろ私の方がスケジュール守れるか不安。
それ以前に、きちんと計画して実行できる気がしない。
いきあたりばったりで生きてきたもんで。
最近見たアニメについての批評も聞けてなかなか面白かった。
水曜日は打ち上げ。
脚本家チームは1年前に仕事が終わっているのでそれ以来の邂逅。結構色んな方が来ていてありがたかった。
しかし、またしても挨拶し損ねた人もいる。
オンラインのみで一度も会ったことがない人がいるので、制作に聞かないとパッと顔が分からないことがある。
そのうえ、人が大勢いるので小さい会場でも何処にいるのか分からなく、顔を知っていても話しそびれた人は沢山いるのだが、まあ皆楽しんで帰ってくれたと思いたい。
コロナで無くなっていた打ち上げの類も大分戻ってきている。
木曜は演出の発注、出来上がった話数のコンテを各話を担当してくれる演出にお願いするという打ち合わせ。
担当がバタバタな現場だった昔の仕事に関わってくれていた人だったのだが、どうも自分が途中で逃げたと思われていると勘違いしていたらしく、いやいやそんな事はないと答えたのだが、もう誰が逃げたのとかもよく分からない様な状態の現場だったので、却って申し訳なかったなと思う。
しかし、実際逃げた人と再び現場であい見えるということもごく稀に起こる。
こっちは忘れていたのだが、むこうは憶えていた。
よっぽどの人は憶えているのだが、この間制作に名前を出されて、そいつだけはNGであると申し伝えたが、そんなやつはそいつ一人だ。
まあ、人生色んなことがあるのでよほど悪意を感じるようなことがなければ逃げられたとて気にならない。
最近読んだ本。「高雄港の娘」陳柔縉(チンジュウシン)
日本が50年も台湾を統治していたなどと今のいままで恥しながら知らなかった。
舞台は日本統治下の太平洋戦争少し前の台湾から現代の日本。
ほとんどの舞台は台湾であるけれど、日本の歴史風俗が沢山出てくる。そりゃ日本が統治してたんだから当たり前だが。
日本と台湾の現在の関係がどうしてこうなのかの一端が分かるような歴史小説になっていて、なるほど世界は複雑なのだと理解できる。
前半は台湾の日本語教師がが主人公で後半はその娘が中心に進むのだが、女性にはモデルがいるらしい。父親も旦那も亡命ししかし旦那の手引きで日本に渡って実業家として成功するというその激動の人生には驚く。しかしドキュメンタリーではなくあくまでフィクションの物語として書かれているらしい。
資産家の相続争いを巡る人間関係が主人公家族に大きな影を落としつつ戦争と恋愛が大きく絡んで台湾・日本の文化・歴史を娯楽として描いてあって重苦しくなく謎解きとしても読めて面白い。
日本統治下の台湾は、もちろん日本の文化・政策を強要されていたわけで恨みが募っていてもおかしくはないのだが、東北の震災の時はたくさんの寄付をしてくれたりという関係がなぜそうなのか少し分かる。
きな臭い世界の生き延び方について考えさせられた。
追記:TikTokがアメリカで見られなくなった。
タグ: 本
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移住とか高雄港の娘【2025年01月19日】
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宮崎智之「平熱のままこの世界に熱狂したい」【2024年11月06日】
昨日は赤坂にて外れスキルのオンライン編集。その前に少し早くついたので双子のライオン堂で本を物色する。
色んな人の選書で構成されているという少し変わった作りの本屋で小さいながらも面白い本屋である。
一つお目当ての小説があって、それを探しに行ったのだけれどパッと見つからず(店主に聞けば良かったのだが、タイトルも失念していた)結局違うものを幾つか手に取る。
宮崎智之の「平熱のままこの世界に熱狂したい」は少し前に文庫が出ていて読んでみたいと思っていたのだけれど、判型が違うような…表紙も違うような…しかしタイトルは合ってるしなと買ってみたら、最初に出た単行本の方だった。
何で文庫を置いていないかったのかと仕事先の編集室で待ち時間にパラパラとめくっていたら表紙裏にサインが入っていてサイン本だからか、と納得した。文庫には吉川浩満、山本貴光、両氏の解説が入っているはずでそちらも読んでみたかったのだが。
読み始めてみると、思いの外、いやかなり面白く、編集室で3分の1くらい家に帰ってきて残りをさらっと読んでしまった。
何かしら本を取り上げてあるエッセイで、しかし軸は本とは殆ど関係がない私的な内容で、なぜか今の自分の関心などと重なるところが多く響くものがあった。
アル中だった頃の話、コロナ禍での子供の出産の話、など取り留めないようでいて全体と個について色々な形で語られていて考えさせられた。
全体と個はコロナ禍以降特に一直線につながって語られがちだが、それは危険だ、と私も思う。
しかし全体と個を切り離して考えることもまた難しい。
そんなこともあり、最近小説が読みたくて町屋良平の新作と陳柔縉「高雄港の娘」も一緒に購入。
町屋良平はこの前初めて芥川賞をたおった作品を読んで面白かったので新作を「高雄港の娘」は原題が「日本の統治時代の台湾」で頭をチラッと読んだだけでも凄く面白い。
読みかけの本は沢山あるのだが…。年末に読む時間が取れるだろうか。
そして今日は自分がいかに人の顔が覚えられなくなっているのか痛感した。ああ…許したまえ。 -
暴力とアディクション【2024年10月21日】
最近読んだ本、信田さよ子「暴力とアディクション」
現代思想に書かれた短編の文章をまとめた本。大変面白い。
タイトル通り暴力とアディクション(中毒)が如何に関係しているかというテーマが主に取り上げられているが、そこには深く家族が関わっている。
信田のキャリアはアディクションから出発しているので、どちらかというとアディクションが先にあってそこに暴力がどう関わっているのか、という構図。
この本だけで沢山、物語のネタが出来そうな内容である。
アディクションの代表的なものとしてアルコールがある。
アル中への対処がアメリカで進んだのは、ベトナムからの帰還兵が沢山アル中になり、家庭の中で暴力を振るい、それが問題になったかららしい。
中毒は様々な社会問題と通底している、という具体例が様々示されている。
アルコール中毒に限らず、全ての中毒・依存症は自己治療的である、ということが随所で語られているのだが、これは普通の人間でも多かれ少なかれ思い当たることがあるだろう。
趣味でも仕事でも、のめり込んでいるもの・行為は自己治療的な側面がある。
それがなければ生存が危ういかどうかが依存症かそうで無いかの分水嶺だ。
中毒・依存症は本人にとっては治療的なので止めたくないが、周りが迷惑しているので止めさせたい、という構図が依存症治療の難しさらしい。
そりゃ大変だろう。
貧困、ジェンダー、家族、戦争、ありとあらゆるものが暴力・アディクションと関係していて、これは表立って取り上げるかどうかはともかくとしても、物語を作るとき考えるべき事象だという気はする。仕事をしながら流し見していたNETFLIXのガンダム(CGのやつ)が面白かった。
ちゃんと戦争ドラマをやろうとしていて好感がもてる。
実際の戦争はもっとえげつないけれど、ライトにでも戦争について考える様な作品を作ろうとする姿勢はファーストガンダムと通じるものがあって好きだ。
一貫してガンダムを恐ろしいものとして描いているのだが、こういう描き方を許容できるのか、というのも少し驚いたし良いことだと思った。引っ張っていたコンテを終わらせたが、わんこそばの様に次は控えている。
まあまあ出来は気に入っている。
作画がどれくらい頑張れるかはわからんけれど。
細々した仕事を今週は片付けなければいけない。
10月は、あと10日ある。
将棋の竜王戦も3局目が終わってしまった。
佐々木勇気が1勝あげて面白くなってきた。
毎年、竜王戦が始まるともう今年も終わりだなと思う。
来年は試練の年(別に辛いことをやるわけでは無いが)で慣れない仕事をやらねばならぬ。
なので、なるべく終わらせられることは全て今年のうちに終わらせてしまいたい。
しかし、先の仕事はさっぱり決まっておらず…まあこうやって何十年か生きてきたのだから何とかなるだろう、とこういう文章を書いているのも自己治療なんだろう。そういえば、久しぶりに自分の仕事の告知が出たのを忘れていた。
ファンタジーをやるのは初めてだが、昔の少年漫画のようなノリの原作だし、気分的には楽しかった。
現場色々あって予想以上に大変ではあったのだが、今どき大変で無い現場ほとんどなかろう。
今アニメの制作スケジュールはとても伸びていて、12、3本のシリーズを作るのに丸々1年くらいかかるのは普通になってきている。
なので告知も全然できない。
次はいつになるのやら……。 -
三人吉三、とエビデンスとか【2024年09月28日】
もう9月も残り2日。
今週はちまちま仕事とJAniCAの理事会があったり。
そういえば、いま「マンガ、アニメ、特撮、ゲーム等の国際的な振興拠点及びメディア芸術連携基盤等整備推進に関する検討会議」というのをやっている。申し込めば会議の様子をYouTubeを通じて動画で見られる。
博物館的なものを作ろうという計画があってその会議。
石破茂が自民党の総裁に決まったが、石破さんはオタクなので、もしかしたら本当に箱物が出来るのかもしれない。
緊縮であっさり無くなる可能性もあると思うが、実際できたとして他の分野はともかくアニメ・特撮は報いることができるのだろうか。
アニメは一応外貨を稼げそうな雰囲気はあるけれど、ほとんどの現場には今だに余裕のある予算は無いので疲弊して倒れるのとどっちが先かのチキンレースだ。
あ、週の頭はOTOの周年に行ったのだった。お祭り感があって久しぶりに楽しかった。今日は木ノ下歌舞伎「三人吉三廓初買(さんにんきちさ くるわのはつがい)」を観劇。
間に休憩が25分、20分とあるけれど三幕5時間20分ほどの長丁場。
面白かったので、あっという間ではあったけれど、さすがに膝が少し痛い。
木ノ下歌舞伎は歌舞伎を現代語訳&現代的演出で見せるので素人でもとっつきやすい。
歌舞伎通の客も結構いるのだろうが。
最後はスタンディングオベーション、カーテンコール4回もやってくれたらそりゃ皆んな立つよね。
筋立ては、親の因果が子に報い、あらゆる登場人物が縁を結んでいることが徐々にわかり、それぞれ破滅を迎えていく。濃厚な親子の関係がモチーフになっていて重たいが重すぎて現実味がないというようにも思える話。
若い頃だったら嘘くさい様な気もしていたかもしれないが、今見るとシリアスでゾッとする。
家族というのは病の温床だが、さりとておかげで生きていけることもあるという厄介なものだという様なことをとある精神科医が話していたのを思い出したりもした。
鹿島茂は小説は結局、家族の話だけだというようなことを言っていた。科学の発展で自然からはある程度距離を置いて生きることができる様になったものの、人間同士が距離を置くのは容易ではないよなー。
しかし、そんな重い話を外連味たっぷりに見せているからこそ、今でも人気の戯曲なのだろう。
ラストにかかる挿入歌はTaku Takahasi、ラップのリリックをロロの板橋駿谷がやっているのも面白い。大脇幸志郎「なぜEBMは神格化されたのか・誰も教えなかったエビデンスに基づく医学の歴史」が面白そう。
本の紹介によると
エビデンスに基づく医学(EBM)という言葉が、あたかも医学が事実の裏付けのない空理空論からすでに脱却したかのような含みで語り交わされている。しかし、実際には医学における重要な判断にエビデンスが必須どころか努力目標としてすら求められていないという事実がある。本書は、公衆衛生の発達、臨床医学の飽和、薬害事件による臨床試験の制度化などを背景として医学が統計技術を取り込んだ歴史や、EBMという言葉を考案した人物たちの来歴を紹介する。さらに、エビデンスについての誤解や拡大解釈から発展していくイメージとの相互作用に注目することで、医学が生産的に実証性を維持するための課題を探る。巻末に索引、用語解説、年表、主な登場人物一覧、医学雑誌歴代編集長一覧などを付する。
ということらしい。
エビデンス…と言われると弱いね。
大脇氏とシラスで対談していた松本俊彦氏の本も読んでみたいのだが…。
積読をもう少し解消してからか。
今週の積読消化。
だいぶ前に買っていた渡辺大輔「明るい映画、暗い映画」、藤山直樹「集中講義・精神分析(下)」
渡邊大輔氏の本は結構面白かった。
しかし、前半の批評は映画のための批評という感じで外側にあまり開かれていく感じがしなくて、そこは苦手。
後半の普通の映画評の方が面白い。
とくに鬼滅の刃については全く同意。
藤山直樹氏の方はフロイト以後の精神分析の歴史。本当にざっとさらっていく感じなので、興味のあるところは参考文献に上がっている本を読まないとよく分からない。
精神分析は実践がないと本を読んだだけでは何も分からない、と藤山直樹は言っているが。
精神分析には暇とお金がかかるので、無理じゃん?
精神医療は最近やっと少し理解できた気がするが、結構勉強しないとよく分からないし、イメージが掴みずらい。
いま?NHKで統合失調症に関するドラマがやっているけれど、精神科や心療内科は、外科・内科みたいなわかりやすさや親しみがない。
子供の頃から通い慣れてれば何となくイメージもつくのだが、そんなことはないので。
情報は探せば結構あるのだが、パッと感覚的に鷲掴みにすることは難しいし、1冊2冊、本を読んでも分からない気がする。なんとかならんもんか? -
ちまちまと仕事、最近読んだ本【2024年09月16日】
9月頭、多少落ち着きはしたもののチェック物が絶えずやってきたり音響作業やら会議やらで地味に落ち着かない。
合間にコンテ作業もちまちまと。
立て込んでいるようだが、先のことはまるで決まっておらずで、どうしたものやら。
いつものことではあるのだが。
連休なことに気づかなかった。
祝日だから休みという仕事ではないので気にしていなかったのだが、最近は制作スタジオが休みをとること(建前的には)が多くなり、メールなどが減るので少し落ち着いたような錯覚を起こす。YouTubeでBLUE SEEDというI.Gが制作のアニメを無料公開しているのを目にしてタイトルは知っているが見たことがなかったので頭の方を流し見してみた。
YouTubeはいろんな作品が無料公開されていて、作品によっては全話見られるものもある。
ひと昔前は無料公開なんてとんでもない、収益の損失だ!的な業界の空気だったのだが変われば変わるものだ。
商売の規模が大きくなったからこそ、こういった無料公開も可能になったということであるのかもしれないが。
それはともかくBLUE SEED、テレビアニメとは思えないクオリティである。少なくとも1話はビデオアニメのような完成度だ。スタッフもデザイナー・作監が黄瀬和哉だったりでI.Gのメインスタッフを突っ込んでいる感がある。
予算は、それほど出ていたとは思えないが…。
放映が94年の秋番組なのでエヴァの1年ほど前になろうか。
この頃のアニメ業界の隆盛を感じさせる。
制作がI.Gと葦プロが組んでいる。プロデューサーに下地さんの名前もあり、この辺りの縁で下地さんは葦プロを辞めI.GグループとしてXEBECを作ったということなのだろうか。
テレビの後のビデオシリーズはI.GとXEBECで作っているようだ。
今では絶対にCGを使うであろうヘリコプターやら車やら手描きでがっちりと描いてある。
*追記:初回でヒロインのスカートが破けパンツ一丁で逃げ回るという仕掛けに、のどかな時代を感じさせる。(女性客を基本的に相手にしていないということだ。今でもエロはあるのだが、この作品は今だったら特に男性向けに限定されることはない気はする)
ほんとにすごい。メカカットは1カット1万円くらいは出ていたのだろうか。
当時のテレビの平均的な1カットの単価は3500円くらいだと思う。
3500円………正直、私が仕事を始めて単価を知った時は衝撃を受けた。
バブルは弾けたとはいえ、世の中にはまだまだ金はあったはずで、なんでこんなアホみたいな安い値段で作ってるんだと思ったものだが(バブル真っ最中も安い値段で作っていたんだろうし)今、どのくらい変わったのかというと、まあだいぶマシになったとは思うのだが、まだまだである。
ダンピングでたくさん売って儲ける昭和の商売みたいな状況は長らく続いていた。
今は外貨が業界を支えているので、安くはあるが随分制作費は上がった。
話が横に逸れたが、90年代あたりまで、今では金をかけたとて出来ないようなクオリティのアニメがかつてはあった。ほんとに何であんなものが作れていたのか不思議というような作品がある。
ほとんどは若さが支えていたと思う。
しかし、若さは失われた。
今もまた、すごいアニメは作られているが、昔よりは格段にしっかり金をかけて作っているように思う。
金があるだけではクオリティは上げられないのだが、制作会社によっては人材を育てたり集めたりを頑張っていてすごい作品ができている。
一方、中堅の会社は苦労している印象ではあるのだが。
明石市が作ったという、市の歴史を語るアニメ「明石と時のこどもたち」もYouTubeで見られるのだが(小黒さんが紹介していて知った)91年制作、制作会社は亜細亜堂。芝山さんが監督で柳田さんが作監でメカなどは出てこないが、びっくりするような出来だ。
時代の豊かさを感じる。
とめどなく色々書いてしまいそうなのでこの辺で。最近読んだ本、東畑開人「雨の日の心理学」素人向けにカウンセリングの技術を噛み砕いたという本だが具体的で比較的わかりやすい。東畑の他の本に書いてある内容と被るところもあるが、まとまりとしてはこれが一番まとまっているのかもしれない。広い意味で誰かの手助けをしている、あるいは手助けを必要としている人がそばにいるような人にはお薦めだし、介護や子育てで疲れている人にも役立つという気がする。
積読が過ぎるので、何とか解消したい。
机の横に積んである本をパラパラ読むと面白いものが沢山あるのだが、放置してあるもの多数。
信田さよ子が初めて本を出したのが50過ぎてからとか、私も頑張って小説でも書こうか…。 -
藤井誠二「贖罪:殺人は償えるのか」藤山直樹「集中講義・精神分析㊤─精神分析とは何か フロイトの仕事」【2024年09月08日】
藤井誠二氏の本を読むのは、ものすごく久しぶり。淫行条例の本を読んで以来か。古田徹也氏との対談を見かけたので興味が湧いて読んでみた。
長期刑の殺人犯との手紙のやり取り(ほとんど殺人犯の手紙)を紹介した本だが、贖罪についても考えさせるものはあるが、犯罪者が点というよりは人間のつながりの中で現れる断面のようなものだということを強く感じる。被害者対策の薄さなど重大犯罪周辺の事情も結構紹介されている。気が重くなるが…良い本だ。
藤山直樹の方はフロイトのざっくりした伝記をよすがに精神分析の歴史について語るという本。まずはフロイトを読めというのはよく分かった。
下巻はフロイト以降の精神分析の歴史。こちらの方が知らないことが多くて面白そう。
精神医療と精神分析は基本的に違うものなのだ、というのが藤山の主張というか認識で、しかし実際は中間的ないわゆるカウンセリングという精神分析的心理療法というのは行われている。精神医療の分かりづらさの一端なのかもしれない。ちなみに藤山は精神科の医師で精神分析家は基本的には精神科医でないと資格がとれない。
フロイトの顧客は金持ちばかりで、富裕層が初期精神分析を支えていたらしい、今は精神分析を医療として行うには金げかかりすぎるということらしい。
安くなれば、精神分析が犯罪者の更生の方法論の一つとして機能したりするのかもしれない。
それはそれとして、物語作りなんかにも精神分析は面白いと思う。
加藤公太さんの解剖学の同人誌も届く。思いのほか充実の本。
東畑開人の新刊も買わなくては。 -
「体はゆく」「言語の本質」【2024年07月31日】
暑すぎる。
日傘を差す男性も最近はだいぶ増えた。ただ歩いてるだけでも頭が痛くなってくる気候では必須アイテムになりそう。特に中年以降には。熱中症になるより傘を持ち歩く面倒くささの方がマシだと思う。最近読んだ本。伊藤亜紗「体はゆく」、秋田喜美・今井むつみ「言語の本質」
「体がゆくは」どのように人間の体が出来るようになるかをテーマにテクノロジー系の研究者を取り上げて対談形式で研究を語っている。
ピアノ練習を補助する装置として指に機械を装着して教師や自分のベストな演奏を指先に再現する技術というのが出てきて自分の体にベストな動きを再現することで体で理解することができる、という話が面白かった。
けん玉などもバーチャルで練習すると意外に皆出来るようになるとか。
絵でも上手い人が絵を描く動きを体に再現させることで上達するかもしれない。
絵を描くという行為もかなり身体的なので体で覚えるというのは必要、とにかく描けというやつである。
しかし盲滅法に体を動かしても当たる確率は低めなので体を動かす装置があったら大分効率は良さそうである。
スポーツ選手がビデオで自分がベストの時の映像を見るというのもその類のようで、上手い人が絵を描くのを後ろか見ると同じような効果があるのかもしれない。
体が頭というか意識に上らないところで動いていて、それを使って意識や体に変容をもたらすことが出来るというのは面白い。
頭と体の関係は一筋縄ではない…というか頭も体の一部なので分けて考えるということで見失ってるものがあるのかもしれない。「言語の本質」もなかなか面白かった。
オノマトペというのは言語の原初的な形で、そこから言語がどのように作られていったのか、という仮説を組み立てている。
前半はオノマトペが言語の中でどういう立ち位置なのかという検証(実験などを紹介しつつ)なのでちょっとまどろっこしくて飽きてしまうかもしれないが、ざっくりとばして後半の面白いところだけ読むのでもいいかもしれない。
オノマトペがアイコン性の高い言葉(ビジュアル的なアイコンと似たような)で音の具象をもしたところから始まっている、なので幼児と会話する時にオノマトペが用いられることが多い、ということだけ押さえれば後半は問題なく読めると思う。
記号接地の問題について論じたかったというようなことを著者の一人である今井むつみが話していたので読んだのだが、オノマトペは記号接地のキーワードということらしい。
なるほど、ではある。
あ、記号接地の話に興味がある場合は前半も面白いかもしれない。先週末は、ものすごく久しぶりに大橋彩香のライブに行った。
もうすっかり貫禄のついたステージで、年月を感じる。
日本のポップカルチャー最前線はマンガ・アニメ文化の周辺にあると思わされた。少し仕事の待ち時間があったので噂の「ルックバック」も昨日見られた。
なるほど、丁寧に作っている。
短いのでちょっとした隙間に見られるし、この形態が成功したらアニメ興行の新しいスタイルになるかもしれない。
話の筋は概ね原作通りなのだろうか。原作は未見。
監督が思い入れて作っているのは、この話の主人公に自分を重ねているからなんだろう。
思い入れて作っていなければ自分でほとんどの原画を書いたりはできない。
私も主人公の気分は分かりすぎるほどによく分かる。
が、感動したかと言われると、ピンと来なかった。
周りでは若者が啜り泣いていて、帰りのエレベーターでも感動を口にして語らっていた。
私はというと淡々と見られてしまった…それは何故なのか考えてみると面白そうだと思う。
ちょいネタバレあり。
劇中でのテーマそのものだが、素描力があるということと伝わる絵が描けるというのはニアイコールで同じではない。
これは、そのまま当の映画に批評的に向けられてしまう視線でもありうる。
年齢によっても感じ方は違うかもしれない。
私などはそりゃそうだろう、と思うラストなのだが、若者なら強いカタルシスを得られるかもしれない。
短尺の漫画道みたいな話なので、短尺ゆえの話の作りの難しさもありそうだ。
主人公と観客の距離感の取り方は少し遠めに作ってあるのではないか、といのは私の印象で、それは感動ポルノみたいな印象を上手く避けている一方、主人公を分かりにくくさせているのかもしれない。
スラムダンク前半のクールさを彷彿とさせる。
大学での凶行イメージはドラマ的には不要だったように思うが、原作ものでもあるし主人公の漫画とも絡むネタではあるからカットは難しいにしても、もっと淡白にした方が分かりやすかったかもしれない。
クリエーターあるあるみたいな作りの主人公の話なのと、ビジュアルの力が非常にあって、色々考えてみたくなる作品であった。 -
今週読んだ本とか【2024年7月14日】
自分ごとでも嫌なことでも無いのだが、とある事があって今週はずっと憂鬱な気分だった。
しばらくは引きずってしまいそう。
久しぶりにアニメ関係の本を買った。
「TOROYCAアニメ撮影テクニック」「井上俊之の作画遊蕩」「アニメーション動きのガイドブック」
TOROYCAの本は最近のアニメ撮影の雰囲気を知るのに良い。
メインの著者TOROYCAの取締役でもある加藤くんは私の初監督作の撮影監督でもあり、今や数々の作品の撮影を担当している。もう一人、一番担当記事が多い津田くんは最近の新海誠作品の撮影監督でもある。
基本的にかなり作り込むタイプの撮影。
もう少しぱっと見は分からないような処理を重ねるタイプの撮影もいる。
売れ筋の作品は撮影で作りこんでいるものが多い印象なので主流と言えるんじゃなかろうか。
本には細かなプラグインなども記載してあるので本業の人が見ても参考になりそう。
私はよく分からないので雰囲気だけ味わった。
井上さんの本は、遊蕩というには極めて真面目にアニメのレイアウトについて語っているのだけど、井上さんの語り口が熱っぽくてとても良い。
井上さんのようなベテランが今だに熱量高く仕事に対峙しているというのは胸が熱くなる。
本の中で提唱されているレイアウトキーポーズ制度。
昔のレイアウトはシートにはラフなタイミングしかないかタイミングは書かれておらず、原画のように細かな演技は描かれておらず背景の発注に必要なキーになるポーズだけ描かれているだけだった。
現在はラフ原画がレイアウトの時に描かれるのは当たり前になっていて、しかしそれらを作画監督が修正するのは難しいし不可能なのでキーポーズだけにしてレイアウトを描き、作画監督が修正したものを原画マンに戻した方が効率的、大雑把にいうとこんな事だ。
昔は、その通りのシステムだったのだが、幾つかの理由からこのやり方は現在は使われていない。
一つ大きな問題は音響スケジュールとの関係性。
全て絵が完成してからアフレコ以降の音響作業が行われるようなスケジュールなら、上記のレイアウトキーポーズシステムは十全に機能する。
しかし、絵のスケジュールの遅れから絵が完成しないまま音響作業に突入せざるを得ない現場は昔から沢山あった。
特にテレビアニメーションであれば放送日に間に合わせるために絵と並行で音響作業を進めなくては行けないという事がよく起こった。
これが90年代後半に深夜アニメが増え始めてから、スタッフが足りなくなっていきスケジュールは劇的に悪くなっていく。
せめて、原画作業まで終わっていれば音響作業は何とかならなくも無いのだが、それも出来なくなっていき、レイアウト撮と言われる状態で編集から音響作業をしなければならなくなっていく。
そこで問題になるのがキーポーズしかないレイアウトで、キーポーズは原画ではないから大雑把な動きしかわからない。さらにタイムシートも付いていなかったりする。
初めは原画にならなかった残りのレイアウトのキーポーズは原画マンに戻してラフ原画(!)にしてもらったり演出や作画監督が絵を足して編集に対応する事で、ギリギリ何とかなっていた。
しかし、それも量が多くなると対応しきれなくなり、であれば最初からラフ原画を描いてもらった方が良いじゃないか、というような流れで急速にレイアウト・ラフ原制度に変わっていった。
その他にキーポーズだけに作画監督が修正を入れるケースでは、まともな原画マンであれば良いのだが作画監督の修正があるところだけしか形が描けない、あるいは第2原画に出されて、やはり修正のあるところしか拾えない、あるいは修正のあるところすら拾えないみたいな事態も起こるようになっていったのも一つの要因という気がする。
他にも理由はあると思うが、大まかにはこんなところか。
みんな現行の体制に慣れきってしまっているので、修正は難しい問題が横たわっていると思うが効率良い制作体制は考えないと辛いばかりというのはそうだろう。
アニメーションの動きのガイドブック、は動画協会でやっているアニメーションブートキャンプというワークショップの内容をまとめたものだ。まだちゃんと読んでないが…。
単純な作画の技法書というよりは、劇団なんかがやっている役者へのワークショップに近いものがある、と思うし実際参考にしているようだ。
作画以前の演技とか人に伝えるとは?みたいなことを扱っていて文章多めで技法書っぽくないのであるが、これは意外と面白い。
スタジオで新人に何か教えるような事がある人は読んでおくと参考になると思う。
作画だけでなく色んな職種の人が読むといい。
デジタル環境が整えば商業アニメも、もう少し表現の幅が広がると思うのだが、そこまでいくにはまだだいぶ時間がかかりそうだ。
遊びで試行錯誤する時間があるといいのだけど…。 -
園芸勉強中【2024年07月01日】
WordPressを使っているのだけれどブログにもAIアシスタントが付いている。
スペルチェックとか要約とかやってくれるということかな?
7月だ。
梅雨に入ってから、あまり梅雨らしくないような気がする。
藤井聡太がついに8冠の一角を伊藤匠に明け渡した。
羽生も7冠を保持していたのはそう長い期間ではなかったが、藤井聡太は
一度くらいは全部防衛するかと思っていた。
タイトル戦で敗れたのはこれが初めてなのだから、凄いことなのだが。
家で本を読む時間がないので携帯で読書。
また東畑開人の「なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない」
途中だけど今井むつみ・秋田喜美「言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか」
「なんでも見つかる…」はカウンセリングとはどんなものなのかが事例風の物語を使ってわかりやすく解説されている。途中の女性事例のオチはよく出来すぎていて、おお…と感動した。
事例といっても守秘義務があるわけだし、かなり創作な筈だがよく出来ている。
先週は細々と予定が詰まって忙しかった。
なかなかまとまった時間がとれず、仕事の進みは芳しくない。
最近は園芸YouTubeばかり見ているので人のうちの庭が気になる。
狭い玄関先でも偉い凝ったことをやっている人がいたり庭先に植わっているの樹木や花が気になったり。
多少分かるようになると面白いものだ。
ちょっとした移動の時の楽しみになっている。
玄関先の雑草取りさえ楽しい。
自分でも鉢で何か育ててみたいが…。 -
お仕事ヒーリング【2024年06月22日】
東畑開人「野の医者は笑う」をザーッと読んだ。
面白い。
東畑の沖縄在住時代に沖縄の様々なヒーラーについて調べた話でとても軽い筆致で書かれているので異常に読みやすい。
そして登場する人たちが皆んな魅力的だ。
「野の医者たちは癒す機会を欲している。そのことで自分自身が癒やされるからだ」
果たして自分も半分ヒーリングのために仕事をしているように思える。
かつてアニメに癒されたように他人を癒したい、他人を癒すことそのものが自分の癒やしにつながっっていると言う訳だ。
いろんな仕事であるあるの話だと思うが、実際アニメ業界のクソ安いギャラで皆んなが作品を作り続けてきた原動力は自分自身への癒しの効果に他ならないのではないだろうか。そう思うと色々と合点がいく。
庵野秀明もエヴァは自分と皆んなの癒し(金儲けとかも含めて)のために作った、みたいなことを話していた。(だが、さらに鬱が深まったとも言っていた)
作っている最中は、いつもこんな面倒なことやってさらに金も儲からなくて何でこんなことをやっているんだと思うことは1度や2度ではない。が、出来上がった作品が案外良くできていたりするとすぐに忘れてしまう、とまでは言わないが怒りがスーッと冷めていってしまうようなことはある。
癒し効果が絶大だったからこそ、労働環境が何十年も蔑ろにされ続けてきたと言う側面もあったのではないかと思わざるを得ない。
90年代あたりまではアニメ文化は作り手も受けても若者が担っていた。
だからこそ、そのような状況で耐えられたのかもしれない。
しかし、作り手たちはどんどん歳を取り、仕事の癒しの効果も劇的に低下しているものと思われる。
アニメ業界・高齢化問題は非常にやばいと思う。
やばいからといってすぐにどうこうなるものでもなく、アニメ業界のでだけの問題でもない。
明日はJAniCAの総会。JAniCAは多少なりとも労働環境の改善に果たした役割は大きいと思うものの、時代の変化のスピードは上がるばかりで全てに対応するのはとても難しい。
本の中に出てくる野の医者たちの多くは、困難な人生を生きている。そこには何か共感するものがあり、愛おしくもなる。