少しは本を読む時間ができそう【2025年07月28日】

1日だけ水をあげられなかったキク科の植物がカラカラに干からびていて、これはやっちまったなと思いながら祈る気持ちで水を与えたら、昼にはしっかり復活していてホッと胸を撫で下ろした。
暑さ寒さに強いという種類ではあったものの、しょぼしょぼに縮んで鉢に這う様にしなだれていた葉があっという間に復活したのは驚く。
流石に新芽などは痛んでいて、本格的に復活するには時間がかかりそうだけど。

どうもここのところ沢山枯らしてしまったので、諦めていたのだが強い種類は本当に強い。

特にキク科の花は強いものが多い印象で、結構いろんな種類を買い込んだ。

エキナセアもキク科。

菊と言えば和風のお供えに使うようなもののイメージしかなかったが、園芸種は色んなものがあって本当に楽しい。

ローダンセマム、オステオスペルマム、エキナセア、アスター、etc

たぶんキク科の植物が一番多く生き残っている。

暑さに強くても葉焼けして葉の一部が干からびてしまっているものも多い。
これはどうにも避け難いような気はするが、何かいい方法があれば知りたい。

少しだけ時間ができそうなので、映画理論系の本を読み始めた。

古い本なのだが、基本は今も変わらなく参考になる。

しかし、改めて理論系の本は難しすぎるところへ突っ込んでいってる感がある。

物語表現の技法を簡素に教えるようなものはないのかも。

シド・フィールドの脚本の書き方を教える有名な本も1冊読んだ。
何冊かあるのだが、大体内容は察した。

具体的な脚本の作り方ではあるのだが、いきなりハリウッド映画のようなものを書きたい脚本家の卵を向けた本なので、初心者が読んでもかえって分かりずらい。

しかも何か書きたいことがある人、を想定していて、そんな人は殆どいないだろう…と私は思う。

書きたいものとかなくても、そもそも人間は物語形式で何かを理解したり伝えたりするので、もっと素朴な教え方が可能なのではないだろうか。

実際仕事にしてしまったら、シド・フィールドの本のように見せ方について考えたりもせざるを得ないと思うが、初めからそれを教えても混乱を招く。


どこかの若い演出家が現場で使える辞書的な演出の本をクラファンを募って出そうとしているようだ。

なるほど、確かにそいう本はないのだが、どこまで本で伝えられるものなのだろうか。

私のやろうとしていることも似たような事ではあるのだが、細かな用語などは現場によっても違うし、あまりディティールに突っ込むのは難しいと思っている。

最近はオン・ザ・ジョブ・トレーニング、OJTで教えてもらえる機会も減っていると思うので、そいった本の需要が有りそうだという事なんだろうが。

結局最後は、表現の技術なんかよりもっと面倒で難しいことが演出家を待ち受けている。

それこそ「何を」描くかなのだが、原作もの全盛の中、そんなことを考えることもアニメの演出家には求められていないようにも見える。

しかし、そこから目をそらすのも不可能だ。

山場は抜けたか?【2025年07月05日】

梅雨はほとんど雨が降らないままあっという間に終わってしまって、のしかかるような暑さがやってきた。
日差しは殺人的な強さなので日傘なしに移動するのは危険だ。
植物も幾つか調子を崩しているが暑さが原因と思われる。
家の庭は全体に日陰なので暑さにそれほど強くないものは、そちらで育てているのだが、それでも枯れ込んでいるものがあって、暑さのほかに原因が思い当たらない。
よりによって、気に入っている苗が調子悪い。
ペンステモンだったか?はもうダメになってしまった。

特に花の大和で買った宿根草は長野の涼しい農場で育苗しているので、買ったタイミングが暑さが厳しくなる直前で失敗だったかもしれない。

一応、植物に付いてくるタグ?に説明があって暑さ寒さに対する強さや他にも特性が記載されているのだが、環境によってかなり違うので、育てて見ないと本来のパフォーマンスを発揮してくれるかは分からないものが多い。

強い植物もそれはそれで扱いが難しかったりするわけで、地植えすると大きくなりすぎたり、他の植物を駆逐したり。

エキナセアなどは冬に地上部が枯れるのでスカスカになってしまいつまらないので、鉢管理しようと思っているのだが、去年買ったものは多分水のやり過ぎで根腐れしてしまい芽吹かなかったので、上手くいくか心配。

3種類くらい買ったエキナセアは今のところは元気。
しかし花が咲いてるのは一つだけで、他のものは来年かなぁ。
秋に鉢増し出来るといいけど、大きくなってくれるか?

アガパンサスはファイヤーワークスだけ花をつけている。
紫と白のグレデーションでとても美しい。
アガパンサスの花は小さな花が球状に沢山集まって出来ているのだが一気に咲くわけではなく、下から順番に咲いている。
蕾も綺麗なので見た目は華やかだが、下の方は先終わって散り始めているので、全部咲いたところは見られないのかもしれない。
花持ちは比較的良いと思うのだけど、蕾が出来てから開花まで結構時間を要している。

少し時間が出来そうなので夏用の植物を植え込みたい。
しかし暑すぎるので上手く育つかは怪しい。

先週の日曜はJAniCAの総会で相変わらず委任状の集まりが悪かったものの、滑り込みで成立。
会員が多くなると議決権を有する人も必然的に増えて、しかし皆んな入ったきり議決権とか忘れてしまいがち。
町内会とかも委任状集めるのは結構大変だと思う。
一般社団法人は法律で社員総会が成立するための条件が決まっていたりするので人数の多い組織の委任状集めはどこも苦労しているのではなかろうか。

総会後、珍しく理事で飲み会。
私が参加してから初めて。
私が理事になった時はまだコロナ禍だったし、理事会ですらオンラインなので雑談をする機会もほとんど無かった。
多少なりとも、話をする機会が増えることは良いことだ。
皆んな忙しいので、集まれる機会はそうないが。

仕事はひと段落。
ついにコンテを抜けた。
うーん、時間かかりすぎ。

いろいろな作業しながら描くので、まあ仕方ないところはあるが。

どうも描画ソフトの挙動が遅く、その原因も分からないというのも時間がかかる大きな要因になってしまっている。

液晶タブレットが、ずいぶん古くなったのでそれのせいか…とも思ったけれど、お絵描きソフト以外では特に遅延は感じない。

パソコンはこれでオーバースペックといって良いはずなので、問題ないと思うのだが。

やはりタブレットかなぁ。

若い子が作業しているのを見てみたい。
ソフトの設定とかの問題もあるので他の人の環境を知りたい。

藤津亮太「富野由悠季論」を読み終わった。

想像していたのとは少し趣が違う。

演出技法などの解題が中心になっていて、一般的な評論ではない。

どちらかというと技術書のようなイメージ。

とはいえ、富野さんとその作品について私の知らない情報が沢山あって、そこは面白かった。

技術解説的なところは殆ど分かっているようなことの確認だったので、結構読み飛ばしてしまった。

もう少し、なぜそれをしたのか。
ある演出について、どうしてその時そういう選択をしたのかを時代性とともに藤津さんの見立てで推察しているようなものが読みたかった。

娯楽作家は、時代と無関係で何かを作るということはないし、富野氏も本文中でそのようなことを語っていることには言及されていて、その関係性の方が重要だと個人的には思う。

演出技法やキャラクター造形などは無限に選択肢がある中からそれを選んで使うわけだけれども、「選ぶ」というところに創作のかなり重要な部分がある。

私が興味のあったのは、富野由悠季の「選択」にまつわるエトセトラだったのだが、それについては今回の本は少なめ。
とはいえ、面白い部分も多々あった。

富野由悠季はモノを売るための作品を多く作ってきた珍しい監督なので、特に時代との関係性で何を選択してきたのか、分析すると面白いのではないかと思う。

私もモノを売るための作品を作った監督のはしくれだが、その面白さは独特のものがあると思う。

モダンチョキチョキズの配信が開始されたのでつい聴いてしまう。
学生時代を思い出す。
コミックソングの雄。

来週は久しぶりに遊びの予定が入っている。

浜野志保「写真のボーダーランド」【2025年06月07日】

とにかく後一歩というのは遠いもので、あとは自分のコンテを終わらせれば山を越えるという状態にあるけれど、思った様には進まない。

ちょこちょことしたチェックやら、少し時間がかかる作業やら仕事自体は常に積まれている状態なのと、自分の体力やら気力がこれまでの山を超えた後に通常状態に戻るまではずいぶん時間がかかる様になってしまったのでいたしかた無い。

私の作業が進まないことには、先に進めないので少しスケジュールは見直ししてもらいつつ、少しづつでも作っていく。

急に暑くなったのも体力を削いでいく。
スタジオに入った方が集中はできるのだが、移動時間をそこで消費する体力を考えると家での作業にしてしまいがち。

監督業は自分の作業が終わると人に託すしかなく、その時間が結構長いので今年の後半は待っている時間が多い。
カップラーメンの様に蓋をして3分経ったら出来上がりというわけには流石にいかないので、鍋の蓋をとって様子を見ながら時間までに茹で上がらなければ野菜を小さく切り直す様なことも必要になってくる。

「写真のボーダーランド」が面白かった。
博論を大幅修正して作ったものらしい。

心霊写真の類は最近は流行らないが、AIの作る画像は心霊写真の類だ。
見えないものを可視化したいという欲望は人眼のマインドの奥深くにセットされている。
というより、奥深くのものを見つけるために写真も発明当時から利用されてきたということか。

映像を盛るということも、ごく初期からあるし、写るという段階で照明や化粧や美的な構図やら様々な形で盛られている。盛らないと写らないという物でもあったりする。

今は、人間の目ではわからない様なディティールが記録され拡大され再生される。これはありのままというものでもなかろう。

フレームもまた映像の切り離し難い限界だ。
もちろん限界を作らないと人げには認知不可能なわけで、VRは映像そのもののフレームがなくなった代わりに人間の認知のフレームが採用されているだけだ。

映像の虚構性が顕在化するとアニメの様な虚構の映像の真実性は相対的に増すのかもしれない。

Vtuberの隆盛も、その延長線上にあるのだろう。

幽霊の復権は死んだ人間を喋らせてしまう AIの映像の中ですでに始まっている。

人間の中に常に存在する見えざるもの、について考える。

温度差が激しい【2025年05月24日】

昼は夏かと思う様な暑さで夜は春前の様な肌寒さ。
気を抜くと風邪をひきそうである。

あとひといき仕事の山を越えるまでは体調を崩せない。

手持ちのコンテが終われば気分的にはだいぶ楽になるが、まだしばらくかかる。

最近は細々とした仕事も重なってえらく忙しかった。5月はまだ1週間残っているのだが、コンテは当初の予定通りには終わらない。

気が重い仕事はだいぶ片付いてきたので、あとは着々と進めたい。


植物も微妙な天候で調子を崩しているものがちらほら。

なかでもスカビオサは、葉がぐったりしていて危険なのだが、病気ではない様子で水の調整がうまくいっていない可能性が高い。
またしばらく乾燥気味にして様子見。

バーバスカム、ジギタリスが花をつけ始めた。
ジギタリスは思ったほど背が高くならず。肥料不足なのか?
バーバスカムは白に中心が赤紫の花で思っていたよりかわいい。

ユスラウメの実が鈴なりについて赤く色づき始めた。

調子悪そうだと思っていたチューベローズは新芽が出て、復活しそうな雰囲気。
植え替えをしないと、球根が大きくなれないと思われるので、急がないといけない。
花は毎年咲かすのは難しいらしいので、今年は無理かもしれない。

イベリスは花が終わった後、勢いがなくなった感があるのでどうしたものか。

もう置き場所も無くなり始めたのに、また苗を買ってしまった。
花の大和から宿根草を幾つか。

そもそもエキナセアが育ててみたくて花苗を買い始めたのだが、去年の夏の終わりにセールで買ったものは冬越しに失敗した様で芽が出なかった(と思われる、エキナセアは動き出すのがえらく遅いらしいので、早まって捨てた可能性はあるが…)
ので、エキナセアを何種類か買ったのだが、どの苗も良い感じ。
早く植え替えて株を太らせないと、また冬に溶けてしまいそうで怖い。

何か地植えするか悩むが、白いベロニカが草丈40センチ程度の様なので、モッコウバラの下に植えるならコレかも。
他はとりあえず鉢で株を大きくする予定。
ひととおり無事に大きくできると良いのだが。

大きくなって植え替えが必要そうな植物が幾つかあるので、梅雨が来る前に植え替えてしまいたい。

中公新書の『台湾の歴史と文化・六つの時代が織りなす「美麗島」』を読んだ。
高雄港の娘で興味が湧いて読んでみたのだが、少数民族、植民地化、中国との関係などかなり複雑な国なのだというのは分かった。
美味しそうな食べ物が沢山紹介してあって、日本で食べられるものは無いだろうか?
佐藤春夫の女誡扇綺譚の話が出ていて、そういえば台湾が舞台だったなと思い出した。
もっと詳しい歴史は他の本を読め、と資料も紹介されていたので暇があったら読んでみたいものだ。

東畑開人のオンライン講座を今年の分も聞くことにしたが初回から仕事が終わらずアーカイブを視聴。深層心理の入口の話で面白い。

そこで福来友吉の話が出てきて、浜野志保「写真のボーダーランド」を思い出しリアルな本はもう売って無さそうだったのでKindleで買って読み始めたが、頭から面白い。
紙の本を買っておけばよかったと少し後悔。
積んであるコティングリー妖精事件も読もう。

幾つか欲しいと持っている本も紙があるうちに買っておきたいが、置き場所に困ってきたので電子があるものは電子を買うか。

やっとあったかくなりそう。植物日記・生きる演技・ペスト、ラジオ【2025年04月05日】

しばらく続いた雨が止んで気温も上がりそうで買い込んでいた植物が植えられそうな気候になってきた。
雨が続いては作業もままならないし、根腐れしてしまう。

地植えにしていたプリムラジュリアンはいい感じに咲いていたが地面に這うような植物なので雨の影響をもろに受けて花はダメになり切り戻してみたけど葉もだいぶ痛んでいたので、復活は難しいかもしれない。

アネモネは沢山花が上がってるので、このまま暖かくなれば楽しめそう。

ビオラは種類によって生育にえらい差があって、元気ではあるが思ったように育たない品種がある。

宿根草が結構出回り始めたので立性の背の高いものを探しに園芸店へいったが、ラベルに高さが書いていない品種が意外に多い。
最近は背の高いものより矮性種の方が多くなっているようで、立性のものがなかなか見つからない。
宿根草はとんでもなく大きくなる品種も結構あるようなので、50〜80センチくらいで収まる品種の方が使いやすいのはそうかもしれない。
環境や管理によっても大きさは随分変わるんだと思う。
幾つかは立ちの上がるものを見つけたので植えてみようと思うが、大きくなるには2、3年かかるんじゃなかろうか。
なかでもアカンサスモリスが楽しみ。


町屋良平「生きる演技」は趣味では無かったがよく出来た作品だった。
演技と言いつつ小説についての小説のようでもある。
自分の話す言葉が自分のものなのかは怪しいものだろう、いつか誰かから聞いた言葉をまるで自分の中から湧き上がってきたもののように感じたり、常識、思い込み、人間は殆どそういったもの作り上がっているんじゃないのという、そりゃそうだろうねとも思うし、自分と他人との境界が曖昧になっていく様を言葉を使ってまざまざと非常に巧みに見せてくれる。
しかし湿り切った質感は趣味ではない。
1R1分34秒のような爽快さは無かった。

カミュ「ペスト」は「アルベール・カミュ──生きることへの愛」という新書の島薗進の書評が面白かったので興味が湧いて読んでみた。
そもペストが今でも時々流行しているということは全く知らなかった。
コロナ禍を経験した我々はペストの街の気分を容易に思い浮かべることができる。
かなり実感を伴った小説として読むことができる。
医師リウーの結局のところ出来る事をやるだけだという諦めのような境地は感染症に閉じ込められた世界のみならず現世から逃げ出すことの叶わない人間の共通感覚として読める。
コロナ禍を思い出して気が重くてなかなか読み進められなかったが収束は非常に面白かった。

今週は知り合いのプロデュサーの頼みで突然ラジオに出ることになり、もう週末にはオンエアされるらしい。
文化放送には初めて入った。ニッポン放送は随分昔に行ったが両局ともテレビ局とは違う独特の小ささが昔のアニメ会社の空気感を感じられて好ましい。
私なんぞの小物がゲストで聞いてくれる人はいるんだろうか…と心配にはなるが。

もう雪は降らないか…?【2025年03月10日】

また雪が降って、さすがに落ち着いたか。
植物も新芽や花芽が上がってきたり春が近づいてきた感。
一つ仕事のミッションを片付けたら気が抜けたのか風邪をひいた。
熱も他の症状も酷くはないのだが微妙に長引いて、こちらもやっと落ち着いてきた。
そもそも風邪をひいたのが、えらく久しぶりな気がする。
コロナ禍の感染症対策が過剰なまでに行き届いていた頃は風邪が蔓延する余地もなかった訳だから日常が戻ってきたともいえるか。
しかし、風邪もコロナも引いてなんの得もないので出来るだけ遠ざかっていたいものだ。

大統領の口論などというのは初めて見た。
そもそもあんなに長くメディアのカメラが入っているのが珍しい。口論などYouTubeなどを探せば幾らでも出てくる時代なので、今どきな出来事の一つなのかもしれない。
とはいえ、あれだけ世界をざわつかせる口論が見られることはめったにない。
現実の映像がフィクションの映像にどういう影響を与えるかは興味が尽きない。
フィクションの中で感じるリアリティはこういうもので常に更新されているのだろう。
シビルウォーは、ニュース映像的なリアリティーをよく再現していた。
ただ映像のリアリティーだけでは物語のリアリティーは担保されない。
ユーチューブにしろニュース映像にしろ、人が撮ったものに含まれる演出についても選り分けるのは難しい。

今作っている作品との繋がりやら自分の興味もあって、渡部渚のエッセイを読んだ。
時代は変わると言っても一様なグラデーションで変わる訳ではなくて斑にぐるぐると攪拌されながら良くも悪くもゆっくりとしか変わらない、というのは身に染みる。
憂鬱ではあるが、ゆっくり攪拌するしかない。

嘔吐・シビルウォー【2025年02月09日】

結局うちの辺りは雪は降らずで助かった。
しかし風が強いので寒さが沁みる。
週明けからは少し暖かくなるという予報だが…。

久しぶりに腰痛が出ているので散歩に行きたい(少し運動しないと治らない)のだが、寒くて外に出る気力が全く湧かない。
今日は植物を買いに行くという理由をつけて久しぶりに少し歩いた。
仕事は終わらないし、打ち合わせか買い物でもなければ外に出るきっかけが無いので何か歩く口実を作らないとまずい。

忙しいと椅子で居眠りしたり、うっかり床で横になったりで腰をやってしまうことは良く有って、気をつけていても、猫に構え構えとせがまれて遊んでるうちにうっかり床で寝落ちて後悔したり。この世の終わりの様な声を出して廊下で鳴かれては集中できない。

新しい文芸誌GOATに載っていた小川哲の「嘔吐」を読んで爆笑した。
女性小説家を推してるファンの炎上騒動をネタにしてSNSあるある言説が書かれていて笑うと同時に頭がを抱える。
ネット上のライトで真面目に読むに足らない批判だが微妙に痛いところを突いてくる感じなどがうまく再現されていて苦笑。
ラストの切り捨て方は笑えるのだが、現実はああバッサリといかないか。
筒井康隆の「大いなる助走」が読み返したくなった。

シビル・ウォーアメリカ最後の日を仕事しながら見た。
映像はとても良くできている。
戦闘シーン、残虐シーンは割とストレートに血みどろでネット上に溢れかえる残虐シーンを見慣れている人間にも説得力を感じさせる。
しかし、肝心なことは何も言ってない言わない感が強すぎて虚無。
ジャーナリストが主役なのだが、肝心の内戦がどうして行われているのかという事には全く触れないので沢山描かれる死も娯楽的な要請以上のものは無い。
最後まで重要なことは何も言わないまま見せ切る脚本力は大したものなのだが仏作って魂入れずの典型に見える。
マウリポリの20日間の方が残虐シーンはあまり無いもののよほど恐ろしい。

仕事しながら起きていたのでトランプ大統領と石破首相の会見を見ようと思っていたら少し寝落ちしている間に終わっていた。
石破氏が68でトランプが78。元気だなあ。

仕事のトラブル諸々は何とかなりそう。
劇伴ラフが出来た。良い感じである。

移住とか高雄港の娘【2025年01月19日】

そういえばブログのデザインを変えたのだが、見にくいだろうか。
もう少しアレンジ出来ると思うのだがやり方が判らず…。

月曜は後輩にご飯に行こうと誘われ、もうひと方と3人で西荻窪でランチ。
10年ぶりくらいに会うというメンバー。
誘ってくれた彼は年末予定が合わず会えなかったのだが、また誘ってくれたので珍しいなと思っていたところ地方へ移住するとのこと。
そういえば、前に話してくれていたっけなと思い出す。
今は地方に移住して仕事をしている人も増えている。
業界がコロナを経てかなりオンラインに慣れたということもあり、職種によっては全く問題なく仕事ができる。

その彼は監督業をしているので、時々は東京に出てこなければいけないが、それでもやれそうということらしい。

地方に行ってしまう方が仕事のセーブがしやすいだろう、というのが目的と話していたが、なるほどそれはそうかもしれない。
目の前に仕事があると無視できない人は物理的に制限を設ければ、いやでも限界がある。

私の場合は完全デジタル化してしまっているのでデスクワークはあまり変わらないが、ここにしか東京行けないぞ、となれば頑張ってそこに合わせて予定を組んで様になるのだろうか…。
いやむしろ私の方がスケジュール守れるか不安。
それ以前に、きちんと計画して実行できる気がしない。
いきあたりばったりで生きてきたもんで。

最近見たアニメについての批評も聞けてなかなか面白かった。


水曜日は打ち上げ。
脚本家チームは1年前に仕事が終わっているのでそれ以来の邂逅。結構色んな方が来ていてありがたかった。
しかし、またしても挨拶し損ねた人もいる。
オンラインのみで一度も会ったことがない人がいるので、制作に聞かないとパッと顔が分からないことがある。
そのうえ、人が大勢いるので小さい会場でも何処にいるのか分からなく、顔を知っていても話しそびれた人は沢山いるのだが、まあ皆楽しんで帰ってくれたと思いたい。

コロナで無くなっていた打ち上げの類も大分戻ってきている。

木曜は演出の発注、出来上がった話数のコンテを各話を担当してくれる演出にお願いするという打ち合わせ。
担当がバタバタな現場だった昔の仕事に関わってくれていた人だったのだが、どうも自分が途中で逃げたと思われていると勘違いしていたらしく、いやいやそんな事はないと答えたのだが、もう誰が逃げたのとかもよく分からない様な状態の現場だったので、却って申し訳なかったなと思う。

しかし、実際逃げた人と再び現場であい見えるということもごく稀に起こる。
こっちは忘れていたのだが、むこうは憶えていた。
よっぽどの人は憶えているのだが、この間制作に名前を出されて、そいつだけはNGであると申し伝えたが、そんなやつはそいつ一人だ。
まあ、人生色んなことがあるのでよほど悪意を感じるようなことがなければ逃げられたとて気にならない。


最近読んだ本。「高雄港の娘」陳柔縉(チンジュウシン)

日本が50年も台湾を統治していたなどと今のいままで恥しながら知らなかった。
舞台は日本統治下の太平洋戦争少し前の台湾から現代の日本。
ほとんどの舞台は台湾であるけれど、日本の歴史風俗が沢山出てくる。そりゃ日本が統治してたんだから当たり前だが。
日本と台湾の現在の関係がどうしてこうなのかの一端が分かるような歴史小説になっていて、なるほど世界は複雑なのだと理解できる。

前半は台湾の日本語教師がが主人公で後半はその娘が中心に進むのだが、女性にはモデルがいるらしい。父親も旦那も亡命ししかし旦那の手引きで日本に渡って実業家として成功するというその激動の人生には驚く。しかしドキュメンタリーではなくあくまでフィクションの物語として書かれているらしい。
資産家の相続争いを巡る人間関係が主人公家族に大きな影を落としつつ戦争と恋愛が大きく絡んで台湾・日本の文化・歴史を娯楽として描いてあって重苦しくなく謎解きとしても読めて面白い。

日本統治下の台湾は、もちろん日本の文化・政策を強要されていたわけで恨みが募っていてもおかしくはないのだが、東北の震災の時はたくさんの寄付をしてくれたりという関係がなぜそうなのか少し分かる。

きな臭い世界の生き延び方について考えさせられた。

追記:TikTokがアメリカで見られなくなった。

宮崎智之「平熱のままこの世界に熱狂したい」【2024年11月06日】

昨日は赤坂にて外れスキルのオンライン編集。その前に少し早くついたので双子のライオン堂で本を物色する。
色んな人の選書で構成されているという少し変わった作りの本屋で小さいながらも面白い本屋である。
一つお目当ての小説があって、それを探しに行ったのだけれどパッと見つからず(店主に聞けば良かったのだが、タイトルも失念していた)結局違うものを幾つか手に取る。
宮崎智之の「平熱のままこの世界に熱狂したい」は少し前に文庫が出ていて読んでみたいと思っていたのだけれど、判型が違うような…表紙も違うような…しかしタイトルは合ってるしなと買ってみたら、最初に出た単行本の方だった。
何で文庫を置いていないかったのかと仕事先の編集室で待ち時間にパラパラとめくっていたら表紙裏にサインが入っていてサイン本だからか、と納得した。文庫には吉川浩満、山本貴光、両氏の解説が入っているはずでそちらも読んでみたかったのだが。
読み始めてみると、思いの外、いやかなり面白く、編集室で3分の1くらい家に帰ってきて残りをさらっと読んでしまった。
何かしら本を取り上げてあるエッセイで、しかし軸は本とは殆ど関係がない私的な内容で、なぜか今の自分の関心などと重なるところが多く響くものがあった。
アル中だった頃の話、コロナ禍での子供の出産の話、など取り留めないようでいて全体と個について色々な形で語られていて考えさせられた。
全体と個はコロナ禍以降特に一直線につながって語られがちだが、それは危険だ、と私も思う。
しかし全体と個を切り離して考えることもまた難しい。

そんなこともあり、最近小説が読みたくて町屋良平の新作と陳柔縉「高雄港の娘」も一緒に購入。
町屋良平はこの前初めて芥川賞をたおった作品を読んで面白かったので新作を「高雄港の娘」は原題が「日本の統治時代の台湾」で頭をチラッと読んだだけでも凄く面白い。

読みかけの本は沢山あるのだが…。年末に読む時間が取れるだろうか。

そして今日は自分がいかに人の顔が覚えられなくなっているのか痛感した。ああ…許したまえ。

暴力とアディクション【2024年10月21日】

最近読んだ本、信田さよ子「暴力とアディクション」
現代思想に書かれた短編の文章をまとめた本。大変面白い。

タイトル通り暴力とアディクション(中毒)が如何に関係しているかというテーマが主に取り上げられているが、そこには深く家族が関わっている。

信田のキャリアはアディクションから出発しているので、どちらかというとアディクションが先にあってそこに暴力がどう関わっているのか、という構図。

この本だけで沢山、物語のネタが出来そうな内容である。

アディクションの代表的なものとしてアルコールがある。
アル中への対処がアメリカで進んだのは、ベトナムからの帰還兵が沢山アル中になり、家庭の中で暴力を振るい、それが問題になったかららしい。
中毒は様々な社会問題と通底している、という具体例が様々示されている。

アルコール中毒に限らず、全ての中毒・依存症は自己治療的である、ということが随所で語られているのだが、これは普通の人間でも多かれ少なかれ思い当たることがあるだろう。

趣味でも仕事でも、のめり込んでいるもの・行為は自己治療的な側面がある。
それがなければ生存が危ういかどうかが依存症かそうで無いかの分水嶺だ。

中毒・依存症は本人にとっては治療的なので止めたくないが、周りが迷惑しているので止めさせたい、という構図が依存症治療の難しさらしい。
そりゃ大変だろう。

貧困、ジェンダー、家族、戦争、ありとあらゆるものが暴力・アディクションと関係していて、これは表立って取り上げるかどうかはともかくとしても、物語を作るとき考えるべき事象だという気はする。

仕事をしながら流し見していたNETFLIXのガンダム(CGのやつ)が面白かった。
ちゃんと戦争ドラマをやろうとしていて好感がもてる。

実際の戦争はもっとえげつないけれど、ライトにでも戦争について考える様な作品を作ろうとする姿勢はファーストガンダムと通じるものがあって好きだ。

一貫してガンダムを恐ろしいものとして描いているのだが、こういう描き方を許容できるのか、というのも少し驚いたし良いことだと思った。

引っ張っていたコンテを終わらせたが、わんこそばの様に次は控えている。
まあまあ出来は気に入っている。
作画がどれくらい頑張れるかはわからんけれど。

細々した仕事を今週は片付けなければいけない。
10月は、あと10日ある。

将棋の竜王戦も3局目が終わってしまった。
佐々木勇気が1勝あげて面白くなってきた。
毎年、竜王戦が始まるともう今年も終わりだなと思う。

来年は試練の年(別に辛いことをやるわけでは無いが)で慣れない仕事をやらねばならぬ。
なので、なるべく終わらせられることは全て今年のうちに終わらせてしまいたい。

しかし、先の仕事はさっぱり決まっておらず…まあこうやって何十年か生きてきたのだから何とかなるだろう、とこういう文章を書いているのも自己治療なんだろう。

そういえば、久しぶりに自分の仕事の告知が出たのを忘れていた。
ファンタジーをやるのは初めてだが、昔の少年漫画のようなノリの原作だし、気分的には楽しかった。
現場色々あって予想以上に大変ではあったのだが、今どき大変で無い現場ほとんどなかろう。

今アニメの制作スケジュールはとても伸びていて、12、3本のシリーズを作るのに丸々1年くらいかかるのは普通になってきている。
なので告知も全然できない。
次はいつになるのやら……。