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  • 今週読んだ本とか【2024年7月14日】

    今週読んだ本とか【2024年7月14日】

    自分ごとでも嫌なことでも無いのだが、とある事があって今週はずっと憂鬱な気分だった。
    しばらくは引きずってしまいそう。

    久しぶりにアニメ関係の本を買った。
    「TOROYCAアニメ撮影テクニック」「井上俊之の作画遊蕩」「アニメーション動きのガイドブック」

    TOROYCAの本は最近のアニメ撮影の雰囲気を知るのに良い。
    メインの著者TOROYCAの取締役でもある加藤くんは私の初監督作の撮影監督でもあり、今や数々の作品の撮影を担当している。もう一人、一番担当記事が多い津田くんは最近の新海誠作品の撮影監督でもある。

    基本的にかなり作り込むタイプの撮影。
    もう少しぱっと見は分からないような処理を重ねるタイプの撮影もいる。

    売れ筋の作品は撮影で作りこんでいるものが多い印象なので主流と言えるんじゃなかろうか。

    本には細かなプラグインなども記載してあるので本業の人が見ても参考になりそう。
    私はよく分からないので雰囲気だけ味わった。

    井上さんの本は、遊蕩というには極めて真面目にアニメのレイアウトについて語っているのだけど、井上さんの語り口が熱っぽくてとても良い。
    井上さんのようなベテランが今だに熱量高く仕事に対峙しているというのは胸が熱くなる。

    本の中で提唱されているレイアウトキーポーズ制度。
    昔のレイアウトはシートにはラフなタイミングしかないかタイミングは書かれておらず、原画のように細かな演技は描かれておらず背景の発注に必要なキーになるポーズだけ描かれているだけだった。
    現在はラフ原画がレイアウトの時に描かれるのは当たり前になっていて、しかしそれらを作画監督が修正するのは難しいし不可能なのでキーポーズだけにしてレイアウトを描き、作画監督が修正したものを原画マンに戻した方が効率的、大雑把にいうとこんな事だ。

    昔は、その通りのシステムだったのだが、幾つかの理由からこのやり方は現在は使われていない。
    一つ大きな問題は音響スケジュールとの関係性。
    全て絵が完成してからアフレコ以降の音響作業が行われるようなスケジュールなら、上記のレイアウトキーポーズシステムは十全に機能する。
    しかし、絵のスケジュールの遅れから絵が完成しないまま音響作業に突入せざるを得ない現場は昔から沢山あった。
    特にテレビアニメーションであれば放送日に間に合わせるために絵と並行で音響作業を進めなくては行けないという事がよく起こった。
    これが90年代後半に深夜アニメが増え始めてから、スタッフが足りなくなっていきスケジュールは劇的に悪くなっていく。
    せめて、原画作業まで終わっていれば音響作業は何とかならなくも無いのだが、それも出来なくなっていき、レイアウト撮と言われる状態で編集から音響作業をしなければならなくなっていく。
    そこで問題になるのがキーポーズしかないレイアウトで、キーポーズは原画ではないから大雑把な動きしかわからない。さらにタイムシートも付いていなかったりする。
    初めは原画にならなかった残りのレイアウトのキーポーズは原画マンに戻してラフ原画(!)にしてもらったり演出や作画監督が絵を足して編集に対応する事で、ギリギリ何とかなっていた。
    しかし、それも量が多くなると対応しきれなくなり、であれば最初からラフ原画を描いてもらった方が良いじゃないか、というような流れで急速にレイアウト・ラフ原制度に変わっていった。

    その他にキーポーズだけに作画監督が修正を入れるケースでは、まともな原画マンであれば良いのだが作画監督の修正があるところだけしか形が描けない、あるいは第2原画に出されて、やはり修正のあるところしか拾えない、あるいは修正のあるところすら拾えないみたいな事態も起こるようになっていったのも一つの要因という気がする。
    他にも理由はあると思うが、大まかにはこんなところか。

    みんな現行の体制に慣れきってしまっているので、修正は難しい問題が横たわっていると思うが効率良い制作体制は考えないと辛いばかりというのはそうだろう。


    アニメーションの動きのガイドブック、は動画協会でやっているアニメーションブートキャンプというワークショップの内容をまとめたものだ。まだちゃんと読んでないが…。
    単純な作画の技法書というよりは、劇団なんかがやっている役者へのワークショップに近いものがある、と思うし実際参考にしているようだ。
    作画以前の演技とか人に伝えるとは?みたいなことを扱っていて文章多めで技法書っぽくないのであるが、これは意外と面白い。
    スタジオで新人に何か教えるような事がある人は読んでおくと参考になると思う。
    作画だけでなく色んな職種の人が読むといい。

    デジタル環境が整えば商業アニメも、もう少し表現の幅が広がると思うのだが、そこまでいくにはまだだいぶ時間がかかりそうだ。
    遊びで試行錯誤する時間があるといいのだけど…。

  • 園芸勉強中【2024年07月01日】

    園芸勉強中【2024年07月01日】

    WordPressを使っているのだけれどブログにもAIアシスタントが付いている。
    スペルチェックとか要約とかやってくれるということかな?

    7月だ。
    梅雨に入ってから、あまり梅雨らしくないような気がする。

    藤井聡太がついに8冠の一角を伊藤匠に明け渡した。
    羽生も7冠を保持していたのはそう長い期間ではなかったが、藤井聡太は
    一度くらいは全部防衛するかと思っていた。
    タイトル戦で敗れたのはこれが初めてなのだから、凄いことなのだが。

    家で本を読む時間がないので携帯で読書。
    また東畑開人の「なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない」
    途中だけど今井むつみ・秋田喜美「言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか」

    「なんでも見つかる…」はカウンセリングとはどんなものなのかが事例風の物語を使ってわかりやすく解説されている。途中の女性事例のオチはよく出来すぎていて、おお…と感動した。
    事例といっても守秘義務があるわけだし、かなり創作な筈だがよく出来ている。

    先週は細々と予定が詰まって忙しかった。
    なかなかまとまった時間がとれず、仕事の進みは芳しくない。
    最近は園芸YouTubeばかり見ているので人のうちの庭が気になる。
    狭い玄関先でも偉い凝ったことをやっている人がいたり庭先に植わっているの樹木や花が気になったり。
    多少分かるようになると面白いものだ。
    ちょっとした移動の時の楽しみになっている。
    玄関先の雑草取りさえ楽しい。

    自分でも鉢で何か育ててみたいが…。

  • お仕事ヒーリング【2024年06月22日】

    お仕事ヒーリング【2024年06月22日】

    東畑開人「野の医者は笑う」をザーッと読んだ。
    面白い。
    東畑の沖縄在住時代に沖縄の様々なヒーラーについて調べた話でとても軽い筆致で書かれているので異常に読みやすい。
    そして登場する人たちが皆んな魅力的だ。

    「野の医者たちは癒す機会を欲している。そのことで自分自身が癒やされるからだ」

    果たして自分も半分ヒーリングのために仕事をしているように思える。

    かつてアニメに癒されたように他人を癒したい、他人を癒すことそのものが自分の癒やしにつながっっていると言う訳だ。

    いろんな仕事であるあるの話だと思うが、実際アニメ業界のクソ安いギャラで皆んなが作品を作り続けてきた原動力は自分自身への癒しの効果に他ならないのではないだろうか。そう思うと色々と合点がいく。

    庵野秀明もエヴァは自分と皆んなの癒し(金儲けとかも含めて)のために作った、みたいなことを話していた。(だが、さらに鬱が深まったとも言っていた)

    作っている最中は、いつもこんな面倒なことやってさらに金も儲からなくて何でこんなことをやっているんだと思うことは1度や2度ではない。が、出来上がった作品が案外良くできていたりするとすぐに忘れてしまう、とまでは言わないが怒りがスーッと冷めていってしまうようなことはある。

    癒し効果が絶大だったからこそ、労働環境が何十年も蔑ろにされ続けてきたと言う側面もあったのではないかと思わざるを得ない。

    90年代あたりまではアニメ文化は作り手も受けても若者が担っていた。
    だからこそ、そのような状況で耐えられたのかもしれない。

    しかし、作り手たちはどんどん歳を取り、仕事の癒しの効果も劇的に低下しているものと思われる。
    アニメ業界・高齢化問題は非常にやばいと思う。
    やばいからといってすぐにどうこうなるものでもなく、アニメ業界のでだけの問題でもない。

    明日はJAniCAの総会。JAniCAは多少なりとも労働環境の改善に果たした役割は大きいと思うものの、時代の変化のスピードは上がるばかりで全てに対応するのはとても難しい。

    本の中に出てくる野の医者たちの多くは、困難な人生を生きている。そこには何か共感するものがあり、愛おしくもなる。

  • こころ【2024年06月10日】

    こころ【2024年06月10日】

    夏目漱石の「こころ」を仕事絡みで読んだ。
    恋愛のもつれで友人に自殺された男が心を釘付けされていた、という話。
    心が釘付けで体が動かないというのはよくわかる。

    まだ読み始めてばかりだが、伊藤亜沙の「体はゆく:できるを科学する」は心を体が超えてゆくという話。

    体が超えていくというのは、歳を食って分かるようになった気がする。
    意識していることしか出来なかったら新しいことは出来ない。出来るようになるというのは体がひょいと動くようになってしまうことで、それとテクノロジーの関係というのが、この本の肝らしい…まだ読み始めたばかりなので良く分かっていない。

    心と体のバランスで人は進んでいく、というのはそりゃそうなのだろうけど、大体の人間はどちらかに偏っているから上手くいかない。

    私は、どちらかというと頭でっかちで体が動かない派だった。
    けど、歳を食って少し変わった気はする。別に運動するようになったわけではない。

    絵を描くにしても体を動かして分かることが随分ある。
    逆に動かしてみないと分からないことが沢山ある。

    もう少し若い時に、こういうことに気づけていればね、と思うけど、そしたら違う人生だったんだろう。

    今は気楽に体を動かそうと思えるので、昔よりやりたいことが増えたかもしれない。
    もちろん人生はもう長くないので凄く何かが上手くなったり、することはない事は分かっているのだが年老いた体なりに楽しめることは色々あろうと思う。

    夏目漱石、あまり読んでないし、とてつもなく久しぶりに読んだが、文章の読みやすさに驚きを感じた。

    そして53歳になった。

  • 散髪【2024年03月28日】

    散髪【2024年03月28日】

    髪を切りすっきり。ひさしぶり。

    美容師のお兄さんにビールを献上。大変喜んでくれた。

    最近はお酒が飲めず大量に余っている。

    体調は上向いてはいるものの、まだしばらくお酒は控えるつもり。

    3月も後半で少しづつ暖かくなってきているのでありがたい。

    寒い時期は何かしら体調が崩れがちなのは歳のせいで致し方ないのだろう。

    シラスで山﨑孝明という心理療法士(どうも定義が難しいらしい)の精神分析についての講義をみる。面白かった。

    エヴァは精神分析の用語が沢山引用されているようだが山﨑氏はエヴァをきっかけに精神分析にはまったらしい。

    フロイトは興味ありつつ手が出ずにいたのだが、藤山直樹の集中講義・精神分析は買ってあったので、ざっとでも読んでみよう。

    山﨑氏の精神分析は文学という言葉が刺さった。

    以前は精神科の診療はカウンセリングも一体なのだと勘違いしていたが山﨑氏の「精神分析の歩き方」で随分違うことを知る。精神科の医療は基本的に物理。

    カウンセリングも精神分析も現状は医療行為ではなく保険が効かないので高い。

    そもそも精神分析を医療行為ではないと考える精神分析家(日本に数人しかいない)もいるようだ。

    カウンセリング、精神分析的心理療法は精神分析を実際の臨床治療に応用するというものだが、その内実の腑分けは難しいので山﨑氏の本など読まないとわからない。

    心理療法をやっている人たちにも良し悪氏があるようなのだが、使う側にとってはかなり見えずらい世界。

    医療としての精神分析はともかく、物語の中のキャラクターを考える上で精神分析は非常に有用そうだ。

    ハリウッドの脚本だと当たり前のように精神分析の考え方が使われているとも聞くが実際はどうなのだろう。

    オッペンハイマーは見に行こうかと思っている。

    ノーランの映画は長くてラストの方でいつもトイレに行きたくなるのだが、頑張ろう……。

    今回も3時間あるとか。

    今日は会議だ。

  • 読書日記「文学のエコロジー」【2024年03月27日】

    読書日記「文学のエコロジー」【2024年03月27日】

    山本貴光さんの「文学のエコロジー」読了。

    文学の中に書かれていることをコンピューターのシュミレーションの要素として読み直す、というのが主な企み。

    言われてみれば、仕事では原作や脚本などをシュミレーションし直す様な読み方はしているのだがシュミレーションという言葉で考えたことはなかった。

    前半は事物、時間など物質的なことを取り出して解析。

    後半は紙幅を割いて、心に関する描写についての考察。前半に比べると抽象的なテーマだが、それがAIへと接続されて現代の問題として語られていて大変面白かった。

    最終章の文学のイメージは読者との共同作業の中に現れるという事についての考察は、全くその通りだと思う。

    文学以外でも物語を扱った何かに敷衍できる内容で大変面白かった。

    山本さんは同い年だけれど博覧強記の人で、同じ人間とは思えない。

    なかなか本を読む時間がとれないけれど読みたいものが溜まっている。

  • 速く読めた…?【2023年01月26日】

    速く読めた…?【2023年01月26日】

    先日、近所の本屋が居抜きで中身が変わりブックファーストになっていたので、つらっと覗いて本を1冊買った。

    小川哲「君が手にするはずだった黄金について」

    小川さんの小説は読んでみたかったのだが、「地図と拳」は分厚すぎて躊躇してしまい、短編集である本書を手に取る。

    読み始めると、つるつると進んであっという間に読み終わってしまった。

    小説は読むのに時間がかかってしまうタチなのだが何故だろうか…と考えてみるに、あまり時間が問題になっていないからなのでは、と思い至る。

    時間が問題になっていないとは、例えば「いやあ、今日はあたたかいですねえ」などというセリフがあった場合、そのセリフに流れているであろう時間をあまり想像しなくても問題ないという様なことだ。

    他にも小説内で当然に物語の時間は流れているのだが、あまりそのことと小説の面白さが繋がっていない。

    基本的に判じもののような作りなので、時間とか関係なくパズルを解く様な面白さになっているからだろう。

    脚本を読む時などは基本的に20分のテレビアニメの脚本ならそれ以上の時間をかけて読みたい。そんな時間はないことが多いけど。

    何故かといえば、脚本上で流れている時間は映像化する時、決定的に重要になるからだ。

    脚本を読むのも慣れてくると、読み飛ばしても大体そこで流れている時間が感覚である程度はわかる様になるのだけど、ゆっくり読んだ方が正確だと思う。

    ゆっくりというか、声に出して音読するか、声に出さないまでも頭の中で音読して物語の中にある時間を想像したほうが脚本上にある時間を比較的正確に体感出来るだろう。

    アニメのセリフの長さは基本的に演出家が決めるのだが、新人の頃は必ず声に出して読めと教えられたものだった。頭の中で読んでセリフを測っているのと声に出して読むのとでは随分違うことがあるからだ。(特に新人のうちは)

    私が本を読むのが遅い、という要因の一つに頭の中でつい音読してしまうということはあるのだろう。読むのが早い人はきっと音声化していないに違いない。

    いまは小さい字を読むのが苦手(老眼だから…)とか他の要因も多々あるのだけれど、文章を音にしてしまうのは、本を速く読むいう意味では短所で、しかしアニメの演出家としては長所である。

    流れている時間を味わうことが、圧倒的に物語の面白さに繋がっている小説というものもあるわけで、そういう小説はやはりゆっくり音にして味わうほうが良い。

    能楽師の安田登さんは古典を声に出して読むと全く違う味わいがわかるという様なことを言っていたが音としての言葉は音にしないとわからない。

    それはそれとして小川晢の小説はさくさく読めることが分かったので、そのうち「地図と拳」も読んでみよう。

    全く関係ないがSNSを見ていたら接地面の見える歩きは必ず必ずフリッカーか地面の滑りが発生するので避けたほうが良いという様なことを言っている方がおられたが、まあフリッカーが起きようが滑りが起きようが地面を見せることが必要なこともあるよ。と演出家としては思うのだった。

  • かるく勉強【2023年12月11日】

    かるく勉強【2023年12月11日】

    LGBTQの入門的な本を幾つか買って読んでいる。

    「医療者のためのLGBTQ講座」編:吉田絵理子

    「LGBTってなんだろう」藥師実芳・他

    「LGBTヒストリーブック 絶対に諦めなかった人々の100年の闘い」ジェローム・ポーレン

    「クィア・アクティビズム」新ヶ江章友

    「クィア・アクティビズム」はまだ読みかけ。

    どれも良い本だった。

    「医療者の…」は一般の人にもわかりやすく書いてあるので、基本的な医療目線の知識が分かる。

    二つ目の「LGBTってなんだろう」も大体同じような内容だが親などが読むような想定で

    書かれたもの。

    ヒストリーブックは子供用に書かれたものらしく、短いエピソードが年代別に並んだ作り、平易にしてある分エピソード同士の関係性が少し分かりにくいかもしれないがアメリカの運動の面白いエピソードが満載で良い。1900年代前半から2014年辺りまでをフォローしている。

    「クィア・アクティビズム」は割と出たばかりの本、大学の教科書用として書かれている。フェミニズム運動から説明されていて性表現規制などにも触れられていてかなり面白い。まだ読み終わっていないが歴史をざっくり追うならこれはとても良い。

    歴史を紐解くととにかく大変ということだけは良くわかる。たくさんの人間が命を賭して戦っている。アメリカで女性の参政権が認められてから、まだ100年くらいと思えば日本の状況をみてもまあなるほど思わなくもない。

    プリキュアもLGBTQの問題を扱うご時世なので、大雑把にでも知識があった方が良い。

    LGBTQはの問題は色々なことと繋がっているということだけはわかった。

  • 全然歩いてない【2023年11月23日】

    全然歩いてない【2023年11月23日】

    ブログなぞ、いまさら誰も読まないだろうがまあ良い。

    SNSは広告が入ったりで読みにくくて最近ずいぶん見る時間が減ってしまった。

    前は中毒気味だったのだが…。

    東浩紀「訂正可能性の哲学」読了。

    まだあまり理解できていない気はするが、とても考えさせられるテーマ。

    おわりに、の「正義なんて本当は存在しない。同じように真理もないし愛もない。自我もないし美もないし自由もないし国家もない。すべてが幻想だ。みなはそれを知っている。にもかかわらず、ほとんどのひとはそれらが存在するかのように行動している。それはなにを意味するのか。人間についての学問というの、究極的にはすべてこの幻想の機能について考える営みだと思う」に共感。

    今興味があるのは人間のつくる「境界」これも幻想の話。

    国家だジェンダーだと揺れてる境界。

    境界無しには人間は何も考えられない。

    面白い。

    アイキャッチの画像ひと月毎に変えないと見ずらいかなぁ。

  • 最近の読書【09月01日】

    最近の読書【09月01日】

    辻田真佐憲「戦前の正体」「文部省の研究」

    島薗進「教養としての神道」

    石田美紀/キム・ジュニアン編著「グローバル・アニメ論」

    明治維新で新しく作られた伝統みたいなものを全然わかっていない、ということがよく解った。

    明治維新から150年くらいしか経っていないと思うと、変わらない日本人の心性みたいなものもそりゃあるよね。

    「教養としての神道」は神道の細かなディティールが少し読みづらいけど、土着の宗教としての神道がどのように生き残ってきたのかというのはとても面白い。

    明治維新以前は神仏習合であったことなど全く知らず…。

    無教養である。

    宗教関係の本も色々読んでみたいものの、沼が深いので少しづつかな。

    仏像にも興味が湧き石井亜矢子「仏像解体新書」を買ってみた。これは図版がたくさん載っていて分かりやすく仏像を解説していて面白そう。

    山本聡美「九想図をよむ」(増補カラー版)も大変おもしろそうだが、こちらはかなり労作の研究書なので真面目に読むと大分骨が折れそう。九想図というのは、死体の変化を九段階にわけてイメージして自他の肉体への執着を滅却する九想観という仏教の修行に由来する画題だそうな。こちらも図版多数。

    「グローバルアニメ論」は論文集。「持永只仁の家族アーカイブから読み解く協力者としての子供観客」ジェーソン・コーディ・ダグラスが非常に面白かった。他の論文もなかなか興味深い。一つ一つは短めの論文なので読みやすいかと思う。

    あとは久しぶりに映画館へ。「Berbie」を鑑賞。大味だが面白いと思ったものの興行はアメリカに比べると大分奮っていない様子。そもそも日本でバービーで遊んだと言う人は少ないだろうから仕方ないかもしれない。バービーの小ネタが満載(多分)だが遊んでないとピンとこないかも。日本人にはニュアンスが伝わりづらい諧謔も沢山あるような気がする。しかし新宿の東宝では女性客がかなり入っていて啜り泣く声さえ聞こえた。冒頭の2001年宇宙の旅のパロディーは面白かったがターゲットの客へ響くのか?と言う気はした。私には分からない他の映画のパロディーもあったかもしれない。