夏目漱石の「こころ」を仕事絡みで読んだ。
恋愛のもつれで友人に自殺された男が心を釘付けされていた、という話。
心が釘付けで体が動かないというのはよくわかる。
まだ読み始めてばかりだが、伊藤亜沙の「体はゆく:できるを科学する」は心を体が超えてゆくという話。
体が超えていくというのは、歳を食って分かるようになった気がする。
意識していることしか出来なかったら新しいことは出来ない。出来るようになるというのは体がひょいと動くようになってしまうことで、それとテクノロジーの関係というのが、この本の肝らしい…まだ読み始めたばかりなので良く分かっていない。
心と体のバランスで人は進んでいく、というのはそりゃそうなのだろうけど、大体の人間はどちらかに偏っているから上手くいかない。
私は、どちらかというと頭でっかちで体が動かない派だった。
けど、歳を食って少し変わった気はする。別に運動するようになったわけではない。
絵を描くにしても体を動かして分かることが随分ある。
逆に動かしてみないと分からないことが沢山ある。
もう少し若い時に、こういうことに気づけていればね、と思うけど、そしたら違う人生だったんだろう。
今は気楽に体を動かそうと思えるので、昔よりやりたいことが増えたかもしれない。
もちろん人生はもう長くないので凄く何かが上手くなったり、することはない事は分かっているのだが年老いた体なりに楽しめることは色々あろうと思う。
夏目漱石、あまり読んでないし、とてつもなく久しぶりに読んだが、文章の読みやすさに驚きを感じた。
そして53歳になった。
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こころ【2024年06月10日】
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散髪【2024年03月28日】
髪を切りすっきり。ひさしぶり。
美容師のお兄さんにビールを献上。大変喜んでくれた。
最近はお酒が飲めず大量に余っている。
体調は上向いてはいるものの、まだしばらくお酒は控えるつもり。
3月も後半で少しづつ暖かくなってきているのでありがたい。
寒い時期は何かしら体調が崩れがちなのは歳のせいで致し方ないのだろう。
シラスで山﨑孝明という心理療法士(どうも定義が難しいらしい)の精神分析についての講義をみる。面白かった。
エヴァは精神分析の用語が沢山引用されているようだが山﨑氏はエヴァをきっかけに精神分析にはまったらしい。
フロイトは興味ありつつ手が出ずにいたのだが、藤山直樹の集中講義・精神分析は買ってあったので、ざっとでも読んでみよう。
山﨑氏の精神分析は文学という言葉が刺さった。
以前は精神科の診療はカウンセリングも一体なのだと勘違いしていたが山﨑氏の「精神分析の歩き方」で随分違うことを知る。精神科の医療は基本的に物理。
カウンセリングも精神分析も現状は医療行為ではなく保険が効かないので高い。
そもそも精神分析を医療行為ではないと考える精神分析家(日本に数人しかいない)もいるようだ。
カウンセリング、精神分析的心理療法は精神分析を実際の臨床治療に応用するというものだが、その内実の腑分けは難しいので山﨑氏の本など読まないとわからない。
心理療法をやっている人たちにも良し悪氏があるようなのだが、使う側にとってはかなり見えずらい世界。
医療としての精神分析はともかく、物語の中のキャラクターを考える上で精神分析は非常に有用そうだ。
ハリウッドの脚本だと当たり前のように精神分析の考え方が使われているとも聞くが実際はどうなのだろう。
オッペンハイマーは見に行こうかと思っている。
ノーランの映画は長くてラストの方でいつもトイレに行きたくなるのだが、頑張ろう……。
今回も3時間あるとか。
今日は会議だ。
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読書日記「文学のエコロジー」【2024年03月27日】
山本貴光さんの「文学のエコロジー」読了。
文学の中に書かれていることをコンピューターのシュミレーションの要素として読み直す、というのが主な企み。
言われてみれば、仕事では原作や脚本などをシュミレーションし直す様な読み方はしているのだがシュミレーションという言葉で考えたことはなかった。
前半は事物、時間など物質的なことを取り出して解析。
後半は紙幅を割いて、心に関する描写についての考察。前半に比べると抽象的なテーマだが、それがAIへと接続されて現代の問題として語られていて大変面白かった。
最終章の文学のイメージは読者との共同作業の中に現れるという事についての考察は、全くその通りだと思う。
文学以外でも物語を扱った何かに敷衍できる内容で大変面白かった。
山本さんは同い年だけれど博覧強記の人で、同じ人間とは思えない。
なかなか本を読む時間がとれないけれど読みたいものが溜まっている。
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速く読めた…?【2023年01月26日】
先日、近所の本屋が居抜きで中身が変わりブックファーストになっていたので、つらっと覗いて本を1冊買った。
小川哲「君が手にするはずだった黄金について」
小川さんの小説は読んでみたかったのだが、「地図と拳」は分厚すぎて躊躇してしまい、短編集である本書を手に取る。
読み始めると、つるつると進んであっという間に読み終わってしまった。
小説は読むのに時間がかかってしまうタチなのだが何故だろうか…と考えてみるに、あまり時間が問題になっていないからなのでは、と思い至る。
時間が問題になっていないとは、例えば「いやあ、今日はあたたかいですねえ」などというセリフがあった場合、そのセリフに流れているであろう時間をあまり想像しなくても問題ないという様なことだ。
他にも小説内で当然に物語の時間は流れているのだが、あまりそのことと小説の面白さが繋がっていない。
基本的に判じもののような作りなので、時間とか関係なくパズルを解く様な面白さになっているからだろう。
脚本を読む時などは基本的に20分のテレビアニメの脚本ならそれ以上の時間をかけて読みたい。そんな時間はないことが多いけど。
何故かといえば、脚本上で流れている時間は映像化する時、決定的に重要になるからだ。
脚本を読むのも慣れてくると、読み飛ばしても大体そこで流れている時間が感覚である程度はわかる様になるのだけど、ゆっくり読んだ方が正確だと思う。
ゆっくりというか、声に出して音読するか、声に出さないまでも頭の中で音読して物語の中にある時間を想像したほうが脚本上にある時間を比較的正確に体感出来るだろう。
アニメのセリフの長さは基本的に演出家が決めるのだが、新人の頃は必ず声に出して読めと教えられたものだった。頭の中で読んでセリフを測っているのと声に出して読むのとでは随分違うことがあるからだ。(特に新人のうちは)
私が本を読むのが遅い、という要因の一つに頭の中でつい音読してしまうということはあるのだろう。読むのが早い人はきっと音声化していないに違いない。
いまは小さい字を読むのが苦手(老眼だから…)とか他の要因も多々あるのだけれど、文章を音にしてしまうのは、本を速く読むいう意味では短所で、しかしアニメの演出家としては長所である。
流れている時間を味わうことが、圧倒的に物語の面白さに繋がっている小説というものもあるわけで、そういう小説はやはりゆっくり音にして味わうほうが良い。
能楽師の安田登さんは古典を声に出して読むと全く違う味わいがわかるという様なことを言っていたが音としての言葉は音にしないとわからない。
それはそれとして小川晢の小説はさくさく読めることが分かったので、そのうち「地図と拳」も読んでみよう。
全く関係ないがSNSを見ていたら接地面の見える歩きは必ず必ずフリッカーか地面の滑りが発生するので避けたほうが良いという様なことを言っている方がおられたが、まあフリッカーが起きようが滑りが起きようが地面を見せることが必要なこともあるよ。と演出家としては思うのだった。
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かるく勉強【2023年12月11日】
LGBTQの入門的な本を幾つか買って読んでいる。
「医療者のためのLGBTQ講座」編:吉田絵理子
「LGBTってなんだろう」藥師実芳・他
「LGBTヒストリーブック 絶対に諦めなかった人々の100年の闘い」ジェローム・ポーレン
「クィア・アクティビズム」新ヶ江章友
「クィア・アクティビズム」はまだ読みかけ。
どれも良い本だった。
「医療者の…」は一般の人にもわかりやすく書いてあるので、基本的な医療目線の知識が分かる。
二つ目の「LGBTってなんだろう」も大体同じような内容だが親などが読むような想定で
書かれたもの。
ヒストリーブックは子供用に書かれたものらしく、短いエピソードが年代別に並んだ作り、平易にしてある分エピソード同士の関係性が少し分かりにくいかもしれないがアメリカの運動の面白いエピソードが満載で良い。1900年代前半から2014年辺りまでをフォローしている。
「クィア・アクティビズム」は割と出たばかりの本、大学の教科書用として書かれている。フェミニズム運動から説明されていて性表現規制などにも触れられていてかなり面白い。まだ読み終わっていないが歴史をざっくり追うならこれはとても良い。
歴史を紐解くととにかく大変ということだけは良くわかる。たくさんの人間が命を賭して戦っている。アメリカで女性の参政権が認められてから、まだ100年くらいと思えば日本の状況をみてもまあなるほど思わなくもない。
プリキュアもLGBTQの問題を扱うご時世なので、大雑把にでも知識があった方が良い。
LGBTQはの問題は色々なことと繋がっているということだけはわかった。
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全然歩いてない【2023年11月23日】
ブログなぞ、いまさら誰も読まないだろうがまあ良い。
SNSは広告が入ったりで読みにくくて最近ずいぶん見る時間が減ってしまった。
前は中毒気味だったのだが…。
東浩紀「訂正可能性の哲学」読了。
まだあまり理解できていない気はするが、とても考えさせられるテーマ。
おわりに、の「正義なんて本当は存在しない。同じように真理もないし愛もない。自我もないし美もないし自由もないし国家もない。すべてが幻想だ。みなはそれを知っている。にもかかわらず、ほとんどのひとはそれらが存在するかのように行動している。それはなにを意味するのか。人間についての学問というの、究極的にはすべてこの幻想の機能について考える営みだと思う」に共感。
今興味があるのは人間のつくる「境界」これも幻想の話。
国家だジェンダーだと揺れてる境界。
境界無しには人間は何も考えられない。
面白い。
アイキャッチの画像ひと月毎に変えないと見ずらいかなぁ。
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最近の読書【09月01日】
辻田真佐憲「戦前の正体」「文部省の研究」
島薗進「教養としての神道」
石田美紀/キム・ジュニアン編著「グローバル・アニメ論」
明治維新で新しく作られた伝統みたいなものを全然わかっていない、ということがよく解った。
明治維新から150年くらいしか経っていないと思うと、変わらない日本人の心性みたいなものもそりゃあるよね。
「教養としての神道」は神道の細かなディティールが少し読みづらいけど、土着の宗教としての神道がどのように生き残ってきたのかというのはとても面白い。
明治維新以前は神仏習合であったことなど全く知らず…。
無教養である。
宗教関係の本も色々読んでみたいものの、沼が深いので少しづつかな。
仏像にも興味が湧き石井亜矢子「仏像解体新書」を買ってみた。これは図版がたくさん載っていて分かりやすく仏像を解説していて面白そう。
山本聡美「九想図をよむ」(増補カラー版)も大変おもしろそうだが、こちらはかなり労作の研究書なので真面目に読むと大分骨が折れそう。九想図というのは、死体の変化を九段階にわけてイメージして自他の肉体への執着を滅却する九想観という仏教の修行に由来する画題だそうな。こちらも図版多数。
「グローバルアニメ論」は論文集。「持永只仁の家族アーカイブから読み解く協力者としての子供観客」ジェーソン・コーディ・ダグラスが非常に面白かった。他の論文もなかなか興味深い。一つ一つは短めの論文なので読みやすいかと思う。
あとは久しぶりに映画館へ。「Berbie」を鑑賞。大味だが面白いと思ったものの興行はアメリカに比べると大分奮っていない様子。そもそも日本でバービーで遊んだと言う人は少ないだろうから仕方ないかもしれない。バービーの小ネタが満載(多分)だが遊んでないとピンとこないかも。日本人にはニュアンスが伝わりづらい諧謔も沢山あるような気がする。しかし新宿の東宝では女性客がかなり入っていて啜り泣く声さえ聞こえた。冒頭の2001年宇宙の旅のパロディーは面白かったがターゲットの客へ響くのか?と言う気はした。私には分からない他の映画のパロディーもあったかもしれない。
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重なるものは重なる8月11日
絶対に洗濯したいものがある、という時に限って洗濯機は壊れるは激しく雨が降るは…でなんでかなぁと思わなくはないが世界はそういうもんだよな。
猫たちは仕事をし始めると構え構えと叫び出すが、いざ遊んでやろうと猫じゃらしを持つと寝始めたりする。
今も横で三毛猫が鳴いている。
梅雨があんまりなかったから雨が降るのは歓迎だ。尋常でない暑さを少々和らげてくれた。
買っておいた葡萄を夕食のあと食べる。
食事の後だと一房食べるのは、さすがに重く…しかし全て平らげてしまい、猛烈な眠気に襲われてしまう。
食べるととにかく眠くなるというのは、まあ健康なのだろうか。
胃に血流が集中して脳味噌に回している余裕がないわけだが、血液が仕事を終えると脳も活動の許しを得るわけで変な時間に目が覚めたりすることになる。
お酒を飲んで何かを食べるとしばらくするうちに必ず眠くなるので、よく寝ているところを写真に撮られて見せられる。
まあしかしお酒を飲んで食べるという快楽を半減させるのはしのびないので、食べてしまうし、眠くもなる。
先日、何となく眠れなかったのビールを飲んでいて何となく映画が見たくてAmazonプライムで新藤兼人の「濹東奇譚」を見た。
昭和初期あたりから戦後くらいの話で正面切ってはあまり出てこないが戦争の影を描いていて、今興味のあるところと重なる。
ウクライナの戦争を見ていて何となくウクライナ関係の本を読んだり、辻田真佐憲「戦前の正体」、宮崎駿「君はどう生きるか」とかたまたま戦争について考えることが多かった、夏だからというのもある。
中公新書の「物語 ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国」黒川祐次 著は、独立前のウクライナを知るのにとても良い。
濹東奇譚は、戦前の価値観みたいなものが老いていく荷風に重ねられて荷風が老いを認めて女を諦めていく様がとても良い。
濹東奇譚は売りはエロだったのだろうと思うが、大島渚の愛のコリーダと比べると愛のコリーダの方が圧倒的に華やかだ。
しかし濹東奇譚の方が何とも言えない情感が描かれている。
お雪の女優さん、墨田ユキがとても良い。
老いを描いている作品は若い頃見ても全くピンとこなかったが、今は実感と共に分かる様になった。
老いについてはともかく、戦争については、もうしばらく考えたり調べたりすると思う。
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4月の近況
4月1日は「おとなりに銀河」の1、2話先行試写会があり、覗きに行った。
一般の方向けの試写だったので当然お客さんの反応が見たくて行ったのだが席は最前列だったので、あんまり分からず。しかし上映後は拍手をいただいたので、まあ概ね好評価であったと解釈させていただきました。
私の隣には原作者の雨隠ギドさんと旭プロダクションの河内山P。ギドさんとは最終話のアフレコ以来の再会かと思う。
もののがたり、おとなりに銀河と原作ものを監督として担当するのは初めてだったが、快適に仕事をさせてもらった。おとなりに銀河は実写ドラマも同時期の放映となり、比べて見ていると技法の違いや尺のフォーマットの違いで原作のアレンジの仕方が違っているのがとても面白い。
アイカツプラネット!で実写の現場を見せてもらったので違いが分かりやすく感じられて楽しい。
偶然だけれど実写の方にアイカツプラネットでディレクターとして入ってくれていた國領くんが参加していて、そこも楽しみなのです。
まさか同じ原作で仕事しているとはね…とお互いびっくり。
あちらは15分枠で帯なのでアニメの方がゆっくり展開することになる。
最近読んだ本
「会話の科学 あなたはなぜ「え?」と言ってしまうのか」ニック・エンフィールド
これは思っていたより面白かった。
会話は言語だけで成立しているのでは無いうような研究を一般向けに解説したもの。言語学だとあまり大きく扱われてこなかったような分野の研究が最近進んできたらしい。我々は虚構の会話をたくさん作るのだが虚構をそれらしく聞こえるようにするという技術は経験的な感覚に頼ることが多い。
こういう研究を読むと自分達の感覚は、ある程度間違ってなかったという確信が得られるし、創作にある程度客観的な根拠を持って迷わず作れる。
基本的には英語の会話ついての研究が軸なのだが、会話は言語関係ない構造があるという辺りが面白い。
とはいえ、まだまだ研究は始まったばかりという雰囲気なのでこれからに期待したいのと、参考文献をもう少し読んでみたいという気になった。
「語り芸パースペクティブ」玉川奈々福 編著
これはしばらく前に出た本なのだけれど、とても面白かった。
日本には様々な語り芸が有るのだけれど、その分野の重鎮たちを呼んで実演とその芸について語ってもらった講演記録。
講談だ落語だ文楽だ歌舞伎だと私もほとんどまともに見ていないのだが、自分のやっていることも語り芸の一種と言える気がするし日本の伝統の影響は無意識の中に必ずあると思う。
自分のやっていることのルーツを探りたいというような事で伝統芸能、特に語り芸には今大変興味がある。
この本は芸能のつながりの一端を垣間見せてくれてとても良い。
今更だが古典を勉強してみようと思わされる一冊だった。