少しは本を読む時間ができそう【2025年07月28日】

1日だけ水をあげられなかったキク科の植物がカラカラに干からびていて、これはやっちまったなと思いながら祈る気持ちで水を与えたら、昼にはしっかり復活していてホッと胸を撫で下ろした。
暑さ寒さに強いという種類ではあったものの、しょぼしょぼに縮んで鉢に這う様にしなだれていた葉があっという間に復活したのは驚く。
流石に新芽などは痛んでいて、本格的に復活するには時間がかかりそうだけど。

どうもここのところ沢山枯らしてしまったので、諦めていたのだが強い種類は本当に強い。

特にキク科の花は強いものが多い印象で、結構いろんな種類を買い込んだ。

エキナセアもキク科。

菊と言えば和風のお供えに使うようなもののイメージしかなかったが、園芸種は色んなものがあって本当に楽しい。

ローダンセマム、オステオスペルマム、エキナセア、アスター、etc

たぶんキク科の植物が一番多く生き残っている。

暑さに強くても葉焼けして葉の一部が干からびてしまっているものも多い。
これはどうにも避け難いような気はするが、何かいい方法があれば知りたい。

少しだけ時間ができそうなので、映画理論系の本を読み始めた。

古い本なのだが、基本は今も変わらなく参考になる。

しかし、改めて理論系の本は難しすぎるところへ突っ込んでいってる感がある。

物語表現の技法を簡素に教えるようなものはないのかも。

シド・フィールドの脚本の書き方を教える有名な本も1冊読んだ。
何冊かあるのだが、大体内容は察した。

具体的な脚本の作り方ではあるのだが、いきなりハリウッド映画のようなものを書きたい脚本家の卵を向けた本なので、初心者が読んでもかえって分かりずらい。

しかも何か書きたいことがある人、を想定していて、そんな人は殆どいないだろう…と私は思う。

書きたいものとかなくても、そもそも人間は物語形式で何かを理解したり伝えたりするので、もっと素朴な教え方が可能なのではないだろうか。

実際仕事にしてしまったら、シド・フィールドの本のように見せ方について考えたりもせざるを得ないと思うが、初めからそれを教えても混乱を招く。


どこかの若い演出家が現場で使える辞書的な演出の本をクラファンを募って出そうとしているようだ。

なるほど、確かにそいう本はないのだが、どこまで本で伝えられるものなのだろうか。

私のやろうとしていることも似たような事ではあるのだが、細かな用語などは現場によっても違うし、あまりディティールに突っ込むのは難しいと思っている。

最近はオン・ザ・ジョブ・トレーニング、OJTで教えてもらえる機会も減っていると思うので、そいった本の需要が有りそうだという事なんだろうが。

結局最後は、表現の技術なんかよりもっと面倒で難しいことが演出家を待ち受けている。

それこそ「何を」描くかなのだが、原作もの全盛の中、そんなことを考えることもアニメの演出家には求められていないようにも見える。

しかし、そこから目をそらすのも不可能だ。

山場は抜けたか?【2025年07月05日】

梅雨はほとんど雨が降らないままあっという間に終わってしまって、のしかかるような暑さがやってきた。
日差しは殺人的な強さなので日傘なしに移動するのは危険だ。
植物も幾つか調子を崩しているが暑さが原因と思われる。
家の庭は全体に日陰なので暑さにそれほど強くないものは、そちらで育てているのだが、それでも枯れ込んでいるものがあって、暑さのほかに原因が思い当たらない。
よりによって、気に入っている苗が調子悪い。
ペンステモンだったか?はもうダメになってしまった。

特に花の大和で買った宿根草は長野の涼しい農場で育苗しているので、買ったタイミングが暑さが厳しくなる直前で失敗だったかもしれない。

一応、植物に付いてくるタグ?に説明があって暑さ寒さに対する強さや他にも特性が記載されているのだが、環境によってかなり違うので、育てて見ないと本来のパフォーマンスを発揮してくれるかは分からないものが多い。

強い植物もそれはそれで扱いが難しかったりするわけで、地植えすると大きくなりすぎたり、他の植物を駆逐したり。

エキナセアなどは冬に地上部が枯れるのでスカスカになってしまいつまらないので、鉢管理しようと思っているのだが、去年買ったものは多分水のやり過ぎで根腐れしてしまい芽吹かなかったので、上手くいくか心配。

3種類くらい買ったエキナセアは今のところは元気。
しかし花が咲いてるのは一つだけで、他のものは来年かなぁ。
秋に鉢増し出来るといいけど、大きくなってくれるか?

アガパンサスはファイヤーワークスだけ花をつけている。
紫と白のグレデーションでとても美しい。
アガパンサスの花は小さな花が球状に沢山集まって出来ているのだが一気に咲くわけではなく、下から順番に咲いている。
蕾も綺麗なので見た目は華やかだが、下の方は先終わって散り始めているので、全部咲いたところは見られないのかもしれない。
花持ちは比較的良いと思うのだけど、蕾が出来てから開花まで結構時間を要している。

少し時間が出来そうなので夏用の植物を植え込みたい。
しかし暑すぎるので上手く育つかは怪しい。

先週の日曜はJAniCAの総会で相変わらず委任状の集まりが悪かったものの、滑り込みで成立。
会員が多くなると議決権を有する人も必然的に増えて、しかし皆んな入ったきり議決権とか忘れてしまいがち。
町内会とかも委任状集めるのは結構大変だと思う。
一般社団法人は法律で社員総会が成立するための条件が決まっていたりするので人数の多い組織の委任状集めはどこも苦労しているのではなかろうか。

総会後、珍しく理事で飲み会。
私が参加してから初めて。
私が理事になった時はまだコロナ禍だったし、理事会ですらオンラインなので雑談をする機会もほとんど無かった。
多少なりとも、話をする機会が増えることは良いことだ。
皆んな忙しいので、集まれる機会はそうないが。

仕事はひと段落。
ついにコンテを抜けた。
うーん、時間かかりすぎ。

いろいろな作業しながら描くので、まあ仕方ないところはあるが。

どうも描画ソフトの挙動が遅く、その原因も分からないというのも時間がかかる大きな要因になってしまっている。

液晶タブレットが、ずいぶん古くなったのでそれのせいか…とも思ったけれど、お絵描きソフト以外では特に遅延は感じない。

パソコンはこれでオーバースペックといって良いはずなので、問題ないと思うのだが。

やはりタブレットかなぁ。

若い子が作業しているのを見てみたい。
ソフトの設定とかの問題もあるので他の人の環境を知りたい。

藤津亮太「富野由悠季論」を読み終わった。

想像していたのとは少し趣が違う。

演出技法などの解題が中心になっていて、一般的な評論ではない。

どちらかというと技術書のようなイメージ。

とはいえ、富野さんとその作品について私の知らない情報が沢山あって、そこは面白かった。

技術解説的なところは殆ど分かっているようなことの確認だったので、結構読み飛ばしてしまった。

もう少し、なぜそれをしたのか。
ある演出について、どうしてその時そういう選択をしたのかを時代性とともに藤津さんの見立てで推察しているようなものが読みたかった。

娯楽作家は、時代と無関係で何かを作るということはないし、富野氏も本文中でそのようなことを語っていることには言及されていて、その関係性の方が重要だと個人的には思う。

演出技法やキャラクター造形などは無限に選択肢がある中からそれを選んで使うわけだけれども、「選ぶ」というところに創作のかなり重要な部分がある。

私が興味のあったのは、富野由悠季の「選択」にまつわるエトセトラだったのだが、それについては今回の本は少なめ。
とはいえ、面白い部分も多々あった。

富野由悠季はモノを売るための作品を多く作ってきた珍しい監督なので、特に時代との関係性で何を選択してきたのか、分析すると面白いのではないかと思う。

私もモノを売るための作品を作った監督のはしくれだが、その面白さは独特のものがあると思う。

モダンチョキチョキズの配信が開始されたのでつい聴いてしまう。
学生時代を思い出す。
コミックソングの雄。

来週は久しぶりに遊びの予定が入っている。

植物日記・論文漁り【2025年04月21日】

植え替えていなかった植物をスリット鉢に植え替え。
結構新しい鉢を買ってきたはずなのに足りず、いくつか放置のままま。

ひとつはオージープランツでリン酸の高い土は使えないのでどうしたものか。わざわざ専用の土を買ってくるのも面倒。
ジギタリス、バーバスカムはまだ花芽は上がっていないがモリモリ大きくなっている。

宿根草系も植え替えで調子が良さそう。

モッコウバラは盛大に黄色の花を咲かせ始めた。

仕事は切羽詰まってきている。

自分的には今月来月が山場か。

これだけ色々手を出した仕事はずいぶん久しぶりかも。

パンクしないように気をつけないといけない、とはいえスケジュール的に動かし難くなって来ているので、やりきるしかないのだが。

肩やら手首は悲鳴をあげているけど。


認知科学、認知心理系の論文を漁ってイマジナリーラインの説明に使えそうなものはないか探しているが、ジャストフィットなものは日本語では無さそう。

英語論文で映像と絡めたものが有るようだけれど、読むのに時間がかかる。
とりあえずAIに訳させてざっくり読んでみるつもり。

対象の永続性、は発達心理で詳しく扱われているようだけど、イマジナリーラインのような映像の認知にも関係していると思う。
しかし、認知科学系の本で取り上げているものが見当たらない。
ここら辺の棲み分けというか、研究の重なりが無いのが不思議。

日本語で熊野雅仁という人が映像文法についての考察を10年以上前に龍谷大学の雑誌に書いていて、これの一部を読んだのだけれど面白くて全部読みたいが、国会図書館などに行くか取り寄せないと読めない。
しかし、映像と絡めた研究は日本語だととにかく少ないという印象。
探し方が下手のかもしれないが。

桜は咲いたが、また寒い【2025年03月30日】

あたたかくなったと思ったらまた冷えてチューベローズの植え替えをいつやろうか若干悩ましい。

今週は美術の打ち合わせがあって、その時に私が求めた絵画的な表現について、不安というかイメージが掴めないようで、しばらく自分の意図を話すなどした。

キャラクターのリアリティーに関わらず、背景はフォトリアルという表現は今のスタンダードだが、特徴的なのは目の大きいキャラクターとの取り合わせ。
フォトリアルな背景がメジャーになったのは押井守がパトレイバーで写真を下敷きにした背景に比較的リアルなキャラクターを上に置くことでリアリティーを作ったというあたりだろう。
キャラクターはカワイイが背景はリアル、という形式の嚆矢は、けいおんだろう。
今はどちらかというと、けいおんの流れが主流を占めている気がする。
キャラクターの抽象度は高く目が大きくてカワイイ、リアルな背景とは合わなさそうなキャラクターを組み合わせる、そのやり方は不気味の谷のようなものを感じてしまって苦手だ。
しかし、そういう表現の作品は山ほどあるし受けているので、何故そういう形式が求められているのかは考えている。

自分の作品では、比較的リアルめなキャラクターでも背景に絵画的なテクスチャーなどをなるべく残すようにしてもらっている。
背景がフィクションである事を担保してくれることが重要だと思っている。
ただ最近は背景の抽象度を上げるのは結構難しい。
抽象性の高いイメージを大勢のスタッフ間で共有していく難易度が高いからだ。
とくに透視図法を使わない背景はほぼ作れない。
透視図法は実は比較的簡単に共有可能な方法だ。
今フォトリアルな背景が席巻している理由の一つでもある。
3Dモデルを使えば余計簡単に透視図法のクオリティーは上げられる。
という事で、最近の背景美術の抽象度を上げるには、もっぱら質感ということになる。
テクスチャーは様々使えるようになってきているので、それなりに幅のある表現は出来るのだけど、作品ごとの決定的な差別化を図るのは難しい。
毎度悩むのだが、担当するスタジオやスタッフの持つ技術に大きく依存するので、そこで出来る枠組みの中で選択する。

3Dモデルを使うことに付随する問題も議論されている。
実写の撮影などを見たことがあれば簡単にわかることなのだが、狭い部屋のモデルなどでキャラクターを大きく映す時、かなり広角で撮ってしまうオペレーターがいるが、これはカメラの後ろの壁を外して引きじりを作れば簡単に解消できる。
そもそもレンズの選び方の意図が分かっていないとか。

アニメーターはアニメーターで透視図法が全く分かっていない人もいるし。

色々悩ましい時代ではある。

編集はじまりとか【2025年03月22日】

ついに次作の編集が始まってしまった。
編集が始まったということは音響制作も始まるということのなので、切羽詰まってきた。
音響制作は役者さんのスケジュールのお尻があるので、始まってしまうと基本的にはあまりずらせない。
が、ずれまくっているのが昨今ではあるのだけど人気声優を使っているほどスケジュールの押さえが難しく、画の状態が悪くてもアフレコに突入しなければいけないということは有りがち。
拙作も遅れてのスタートだが、まあそこそこの状態には出来ると思うのだが…。
ちょっと今回は自分の仕事が多くて大変。
久しぶりにスタッフに声を荒げてしまったりもして先は思いやられる。

預かっていた保護猫は正式に我が家の一員となった。
初日から腹を出して寝ていたので、とくに問題もなく先住猫たちもだいぶん慣れてきたみたいだ。
体調を完全に理解している訳ではないので、これから何か出てこないといいけど。
雄猫はある程度年齢がいくとあまり遊ばなくなるのだけど、おもちゃを振ると飛びついてくる。
子猫返りなのか、ちょっと新鮮。
真っ黒猫なのでクローゼットなどに潜まれると全く気づかない可能性が高いので扉を閉める時気をつけなければいけない。

木曜日スタジオに行く前に、新宿の京王百貨店のグリーンギャラリーガーデンズを覗きに行く。
花苗の売り場面積は狭く量はあまりないけれど、種類はそこそこ置いてあった。
ローダンセマム2種類、オダマキ、リーフを3種、宿根草をひとつ買う。
オステオスペルマムも欲しかったけれど、量が多くなるので断念。
本格的に暖かくなってきたので、家にある花もだいぶ咲いてきた。
地上部が完全に枯れて2、3ヶ月たったほんとにこれ大丈夫なんかな?と思っていた宿根アスターも芽吹いてきて生きてるんだと驚き。
しかしフランネルフラワーは冬に水を切らしてしまって完全い枯らしてしまったみたい。
フランネルフラワーはシルバーリーフが綺麗でかなり良かった。春も売り場に並ぶみたいなので新しいのが欲しい。
アガパンサスは1種類芽吹きがまだなのでちょい心配。
根は大丈夫そうだから生きてると思うけど。
アネモネはとにかく水を吸うので水切れに気をつけたい。
ビオラももりもりしてきた。
楽しい季節到来。

ストリーボード作成で学ぶ演出(のための準備)【04】「映画理論講義」

いろいろ探してみたけれど一般書で出ている映画理論の入門的な本は殆どなくて、2000年に勁草書房から出たこの本くらいしか見当たらなかった。今も新しい刷りで売り続けてるので参考に良さそう。

映画理論講義 –映像の理解と探究のために

著者:
ジャック・オーモン
アラン・ベルガラ
ミシェル・マリー
マルク・ヴェルネ

訳者:
武田 潔

目次:

序論 …………………………………………………………………………………. 3

I 映画文献の分類 ……………………………………………………………… 5
1 “一般的な”の出版物 ……………………………………………………. 6
2 映画狂のための書物 ……………………………………………………. 7
3 理論的著作 ……………………………………………………………… 8

II 映画理論の諸相 ……………………………………………………………. 10
1 “内発的”理論 …………………………………………………………. 10
2 記述的理論 …………………………………………………………….. 11
3 映画理論と文学 ……………………………………………………….. 11
4 映画理論と技術的実践 ………………………………………………… 12
5 映画理論の多様性 ……………………………………………………. 12
注 ……………………………………………………………………………… 15

第1章 視聴覚的表象としての映画 ………………………………………….. 19
I 映画的空間 ……………………………………………………………….. 21
II 奥行きの技巧 …………………………………………………………….. 32
1 遠近法 …………………………………………………………………. 32
2 被写界深度 ……………………………………………………………. 35
III ショットの概念 ……………………………………………………………. 41
IV 聴覚的表象としての映画 ………………………………………………… 48
1 経済的=技術的要因とその歴史 ……………………………………… 48
2 美的およびイデオロギー的要因 ……………………………………… 49
注 ……………………………………………………………………………. 55

第2章 モンタージュ …………………………………………………………… 61
I モンタージュの原理 ………………………………………………………. 63
1 モンタージュの対象 …………………………………………………… 67
(1) 映画作品の一部分(映画的連辞)でショットよりも
大きいもの …………………………………………………………. 67
(2) 映画作品の一部分でショットよりも小さいもの …………………. 68
(3) 映画作品の一部分でショットへの分割と(完全には)
一致しないもの …………………………………………………… 69

II モンタージュの機能 ……………………………………………………… 76
1 経験的アプローチ ……………………………………………………. 76
2 より体系的な記述 ……………………………………………………. 78
(1) 「創造的」モンタージュ ………………………………………….. 79
(2) 統辞的機能 ………………………………………………………. 80
(3) 意味的機能 ………………………………………………………. 80
(4) リズム的機能 …………………………………………………….. 82
(5) モンタージュの分類法 …………………………………………… 83

III モンタージュのイデオロギー …………………………………………… 83
1 アンドレ・バザンと「透明性」の映画 …………………………………. 84
(1) 「禁じられたモンタージュ」 ………………………………………. 85
(2) 透明性 ……………………………………………………………. 87
(3) つながりのためではないモンタージュの拒否 ………………….. 91
2 セルゲイ・エイゼンシュテインと「映画の弁証法」 …………………. 92
(1) 断片と衝突 ………………………………………………………. 97
(2) モンタージュの概念の拡張 …………………………………….. 97
(3) 観客に対する影響 ………………………………………………. 97
注 ………………………………………………………………………….. 100

第3章 映画と物語 …………………………………………………………… 105
I 物語映画 ………………………………………………………………… 107
1 映画と物語の出会い ………………………………………………… 107
2 非物語映画――境界を定めることの難しさ ………………………. 109
(1) 物語的/非物語的 …………………………………………….. 109
(2) 境界の基準 …………………………………………………….. 109
3 物語映画――研究の対象と目的 …………………………………… 111
(1) 研究の対象 …………………………………………………….. 113
(2) 研究の目的 …………………………………………………….. 113

II フィクション映画 ………………………………………………………… 115
1 あらゆる映画はフィクション映画である ……………………………. 119
2 指向対象の問題 …………………………………………………….. 119
3 物語言表、物語叙述、物語世界 …………………………………… 121

第4章 映画と言語活動 …………………………………………………….. 187
I 映画言語 ………………………………………………………………… 189
1 古くからある概念 ……………………………………………………. 190
2 初期の理論家たち ………………………………………………….. 192
3 「映画の文法」 ………………………………………………………. 197
4 映画における言語活動についての古典的理論 …………………… 201
(1) 伝統的な映画言語 …………………………………………….. 202
(2) 言語活動の消滅に向けて? …………………………………… 203
5 記号なき言語活動 ………………………………………………….. 206

II 映画――言語か言語活動か? ………………………………………… 209
1 映画的言語活動と言語 …………………………………………….. 210
(1) 言語の多様性と映画言語の一律性 …………………………… 211
(2) 言語活動、コミュニケーション、極の入れ換え ……………….. 214
(3) 映画言語の類同的なレヴェル ………………………………… 215
(4) 線状性と離散的単位の存在 ………………………………….. 216
はい、続きをお送りします:

(5) 映画における分節の問題 ………………………………………. 216
2 映画の理解可能性 ………………………………………………….. 218
(1) 知覚的類同性 ………………………………………………….. 219
(2) 「質料的希釈のコード」 ………………………………………… 221
(3) 映画特有の記述形式の形象 ………………………………….. 223

III 映画的言語活動の不均質性 ………………………………………….. 228
1 表現素材 …………………………………………………………….. 228
2 記号学におけるコードの概念 ……………………………………… 230
3 映画に固有なコード ……………………………………………….. 232
4 映画に非固有なコード …………………………………………….. 235

IV 映画作品のテクスト分析 ………………………………………………. 237
1 「言語活動と映画」における「映画作品のテクスト」という概念 …… 238
2 実例――D・W・グリフィスの『イントレランス』
におけるテクストのシステム ……………………………………… 240
3 文学の記号学におけるテクストの概念 ……………………………. 242
4 テクスト分析の抑制性と理論的射程 ………………………………. 248
(1) テクスト分析の主要な特徴 ……………………………………. 248
(2) テクスト分析における具体的な困難 …………………………… 251
注 ………………………………………………………………………….. 259

結論 ………………………………………………………………………….. 351
注 ……………………………………………………………………………. 359

参考文献(I、II)……………………………………………………………. 363
用語対照表 …………………………………………………………………. 403
索引(人名、映画題名、事項)…………………………………………….. 417
訳者あとがき ……………………………………………………………….. 453

原書は初版が1983年、改訂が94年らしいので30年くらい前にフランスで出版されたらしい。

私が学生の頃なので参考で扱ってる映画も古いがまあ仕方ない。

少し読んでみたが凄く抽象的な部分はあるけど、使えそう。

映画評論はずいぶん沢山出ているし理論的な更新みたいなものは無いのか?と思うけど無いのかもしれない。

渡邊大輔が言ってることなんかは新しいと思うけど、入門としては必要ないのか…いやそうでもないような。

YouTubeはじめ映像メディアは様々広がっているので本当は更新されて良さそうだが。

学校などでは、どういう本を教科書で使っているのだろうか?

私が見つけられないだけで、良い本があるのかもしれない。
フィルムアート社から出ている入門書的なものは実務的だけど理論が薄そう。パラパラめくってみただけなんでわからないが。

認知科学とかも随分進んでいるので、その辺りを引いたものもありそうなものなのだが。

その辺を調べ出すと無限に時間がかかりそうなので躊躇してしまうが、多少はやらないとダメそうだ。
そのあたりは良さげな本のあたりがついてるので。

私が学生の時は、ほしのあきら「フィルムメイキング」を使ってた。本人が講師だからだが。
エイゼンシュタインの理論などは、ぱらぱら読んだけど流石に嘘でしょみたいな部分も多くて今素朴には読めない。

「映画理論講義」はそのへんもざっくり整理してあるみたい。とにかくざっくりでも読まないとなぁ…。

実務的なものは他にも良さげな本があるので、参考にしようと思う。最近の学生はそういうのを読んでるのかもしれない。

映画記号論的なものはだいぶ前に死滅してしまったようで、理論書は流行らなくなったのかも。
私が教わった浅沼圭二で終わってるぽい。

映画分析的な本は色々ある。
苦手な蓮實重彦もめくってみるべきなのかもしれないが。

私のやろうとしてることも、どちらかというと実務寄りだし。

久しぶりに更新。

リメイク・流行り・今【2025年01月27日】

寒さで枯れ込んでしまった赤羽千日紅寄せ植えをバラしてアネモネとグラスで植え替え。
アネモネは霜が降りる様な寒さにもめげずに咲くので気に入っている。
ただ花首がぽっきり折れてしまうほど強い風が吹くことがあるので対策できると良いのだが、短めのピックなど売っているのだろうか。
もう一つ植え替えたい寄せ植えがあるが、花を買いに行く余裕がない。
いちじくもそろそろ植え替えないと暖かくなってきてしまう。
近所のめちゃめちゃセンスよく植物を飾ってある家にオリーブだったか(うろおぼえ)大きなシンボルツリーがあって、てっきり地植えだと思っていたのだが、よく見たらドラム缶の中に植え込んであることに気づいた。わざわざドラム缶を調達して植え込んでるわけで感嘆せざるを得ない。
捨てて置いてある様にみえる錆びたスチールの書類棚などが巧みに配置されていて、ほとんど鉢植えで飾ってあるのだけど景色が作り上がっている。
上手くやればこんなことが出来るのかと思うものの、色んな意味で相当に凝らなければ難しいことも判る。
気負っても、植物はいい感じになるまでに時間がかかるし、上手く育てられる様なるには経験が必要。センスよく飾るのは、そのまた先という具合で一足飛びにはいかない。
まずしばらく、気楽に育てたいものを育ててみる。

ジークアクスは平行宇宙というかファーストガンダムのifの世界だったいうのは、ちょっと驚いた。
そもそもテレビシリーズとして作られているものなので映画はごく触りだけだから、どうファーストの物語と関わっていくのかまだわからない。
ビギニングの部分はあれで初めてみる若者などはどの程度理解できるのだろうか?と思うが絵は流石に綺麗に出来ている。
本編?は、前提の世界観を共有出来ないと分からないということでもなさそうだが、どんな観客層を想定しているのかは聞いてみたい。
伝統が重いと新規は入りにくいわけだが、伝統を知る者にとっては考えることが減って楽。
保守に軸足を置いていると考えるとまさに今風な作品と言えるのかもしれない。

リメイクは制作側としてやりたい人とやりたくない人とハッキリ分かれる気がする。以前、私は全くやりたくない派だったのだが今はまあそうでもない。
リメイクはリメイクだけに以前のものを化粧直ししながらなぞることになるので、分かりきっていることに新鮮な気持ちで向き合う必要がある。
リメイク小説というのは、少ないと思うが映像のリメイクは、もはや伝統的に作られている。
観客は以前の作品を知らなければ新鮮に見ることが出来るかもしれないが作り手は仕事を引き受けるまで知らなかった作品だとしても前提を踏まえるために詳細に元の作品について知らなければいけない。
そして観客が新鮮な気持ちで見られる様に工夫を凝らす必要がある。
そもそも元の作品は、それが作られた時代を背景として成立しているので、リメイクされる時代との齟齬をどう埋めていくのか、とくにアニメは若者に向かって作られていた分、時代の空気をいやがおうにも色濃く反映してしまっているのでリメイクによって脱色されてしまう部分が大きいと酷くつまらない物になる。
いざ仕事でやれと言われたら難しそうだ。

若い頃は自分の好きだった作品「のようなもの」を作りたいと思うのは自然だが、実際作る立場になると自分のやりたいことと観客の求めるものとの不一致に悩むことになるのが常だと思う。
自分はどんどん年老いていく事に無自覚なまま、自分の見たい物を観客に見せても失敗する。
しかし、自分が相手にする観客について知るということは容易ではないし、相手に合わせることに腐心して自分の興味のない物を作っても仏作って魂入れずということになる。
魂が入っていなくたって面白いということもありうるかもしれないが。

原作ものをやっていると特に自分との繋がりをどうつくるか考えざるを得ない。

アイカツライブ・トットちゃん【2024年12月23日】

もうすぐクリスマスというか、お正月。
やばい。仕事が。

先週の日曜日はアイカツ!のあかりジェネレーション10周年を記念したライブ「キラッキラ」へ。
10周年…いやぁそうですか。
アイカツ!が放映されていた期間は3年半くらいでもうその三倍の時間がたったということなんだな。3年目以降があかりジェネレーションだからそこから10年ということですか。

ライブはメインのアイドル担当の役者の皆さんが全員集まってくれるという奇跡のようなブッキング。
流石に公演時間が伸びまくって4時間というのは申し訳なかったが、楽しんではもらえたのではなかろうか。
私も皆んなの元気そうな顔を見て安心した。

荊棘の女王が久しぶりに聞けたのも満足。

久しぶりにアイカツ!絡みの仕事が沢山ある年末だった。

しかし、この調子で記念イベントやってると毎年なんかありそうで、ファンの皆さんは大変だな。

ここのところ久しぶりにアニメ映画を見た。といっても最近のものではなく見逃していたものを幾つか。

まずは窓際のトットちゃん。
これは良くできていた。
ベースは地味な話であると思うのだけれどイメージシーンなどを上手く使ってアニメらしい飛躍した表現も交えつつ娯楽としても十分楽しめるようなつくり。
アートアニメの要素を巧みに取り入れて、表現の幅が広い。

日常芝居の表現はジブリ的な流れの最先端と言えるのかもしれない。
身振り手振りは少し大きめに表現されていて、それが作品の方向性とうまく嵌っているし芝居のアイデアも豊富でかなり丁寧に手間をかけた芝居作りになっている。
一般のお客さんが見ても分かりにくいかもしれないが、ここまでやるか!というくらい大変なことを丁寧に作り込んでいて感嘆した。
演出はオーソドックスなことをしっかりやるという方向性で、これを教科書に演出を教えれば基本は網羅できるんじゃないだろうか。
映画館で見なかったことを若干後悔した。

きみの色、化け猫あんずちゃん、も見た。
たまたまだが日常芝居に対する思想の違いが分かりやすくて面白い作品たちだった。

きみの色は、リアルで地味な芝居を真正面からトライしている。トットちゃんとは真逆の芝居作り。
しかし、ここまでやれば素晴らしいと思えるくらいにやり切っていてすごく好みな芝居作りだった。
ロトスコープではないけど、リアルな方向を目指している。
ちゃんとアニメらしい派手さのある芝居も用意されている。
興行成績が振るわなかったのはシナリオ的な問題が大きいのかもしれない。

一方、化け猫あんずちゃんはロトスコープを使ってファンタジーの世界を描くという変わったアプローチ。
きみの色とは逆の思想、トットちゃんの方が近い。
ロトスコープを使うことによってファンタジーにリアリティーを与えようとしているのだろうと思うけど、山下敦弘氏が元々やりたかったという企画らしいので、山下氏の能力を活かすためのロトスコープという技法という側面が大きいのかもしれない。

アニメーションの監督として久野遥子さんが立っているが、日常芝居に関しては久野さんの良さがロトスコープによって縮減してしまっている感は否めない気がする。
あと、単純にセリフの間がロトスコープの映像をまま使っているようで会話が間延びして感じる箇所が少なくなかった。人間の役者が写っている場合は間の仕草などで間が気にならない可能性があるのだけど、アニメのキャラクターに置き換えた時に上手く間のニュアンスが伝わらないということが起こっているのかもしれない。
鬼のような現実にないキャラクターはロトスコープによって現実感が増していると思うが、逆にどこで飛躍させるかの判断の難しさを感じた。
ロトスコープの良い面、難しい面が分かりやすく出ている。

トットちゃん、きみの色、あんずちゃんと見比べるとアニメーションにおける日常芝居のリアリティーを考える上でとても面白いと思う。

この週末の土曜日は恒例になった声優のワークショップの講師。
演出家という職業は分かりにくいので、それについての講義にしている。
結局2時間くらい話してしまうのだが、それでも毎度これも言っておけば良かったなと思うことが残ってしまう。
やるたびにまとまって分かりやすくはなっているとは思うが、どうだろう。

ペットロス【2024年11月18日】

猫との別れは何度経験しても慣れないもので…。
具合が悪そうだな、と気付いてからあっという間に逝ってしまった。

4ヶ月ほど前の検査では、まずまずだったのだが、先週末ご飯を食べなくなって病院へ連れて行ったのだが。

膀胱の脇に腫瘍が出来ていたらしく、それが静脈を圧迫して歩行も難しくなっていた。

歩きづらそうだな、と思っていたが猫は痛みを我慢するので、そこまでクリティカルな原因があるとも思わずにいた。
腎臓の数値も悪くなっていて、しかしまだ何とかという所だったようなのだが腫瘍との相乗効果か急速に体調は悪化したようだ。
ここ最近の急な寒さで激変したのかもしれない。

まあまあ歳だったので仕方ないないと思うのだが、もう少し上手く対処してやれば楽に逝けたのかななどと詮無いことを考える。
しかし言葉の通じない猫の変化を素人が察知するというのは、なかなか難しい。経験を積めば重要な変化に気づけると思うのだけれど。
人間というか、自分自身のことですらままならないのだから。

ペット界隈の医療は二極化しているそうで、街のホームドクターと大学など専門機関。高度な医療を施すところは、とても高い医療費を取るらしい。
専門の機関だと検査で20〜30万、手術で40〜50万、合わせて100万くらいしてしまうとか。
確かに、前の猫で検査してもらった時は結構取られた記憶がある。

老齢の犬猫に高い手術をしたとて、そう長く寿命が伸びるわけでも無い事が殆どだろう。苦痛は取り除いてやりたいが、さすがに何処まで手をかけるか悩ましい。

もうしばらくはペットロスから抜けられなさそうだ。

もう11月も半ばを過ぎてしまった。

来年は頭からバタバタしそうだし、なんだか余裕がない。


とある原作者の人に、コンテの絵が綺麗で驚いた、というようなことを言われた。漫画のネームのようなものかと思っていたと。

まあ確かに漫画のネームよりはアニメの絵コンテは詳しく絵が描かれている事が多いかもしれない。
これは良し悪しがあって、そもそも絵コンテだって漫画のネームのようなかなりラフな絵でも問題がないはずだ。
ラフな絵ですめば、そちらの方が圧倒的に早く描ける。

漫画と違ってアニメは大勢の人間が関わるので下書きも他人が分かる絵である必要性が少し高い。

しかし、必要な情報が分かればそれほど丁寧に描く必要もないわけで、現状の絵コンテの几帳面さはアフレコが絵コンテを撮影した映像で行われるという場合があることへの対処という側面が強いように思う。

もちろん他にも(絵的に)詳細な絵コンテが描かれる理由はあるのだが、スピード重視で描かれる事があまりないのは、殆ど上記の理由ではないだろうか。

世の中には凄い人がいて頼んで10日もあれば詳細な絵が入った絵コンテが上がってくることもある。

しかし、それは稀で普通の人だと一本の絵コンテを上げるのに3週間から6週間くらいが平均だろう。(もちろん他の仕事もしながらのスケジュールなのだが)

ただ、ラフだけだったら2日3日で出来てしまうという人は少なくないのではなかろうか。

ラフだけ演出家が描いて、清書をアニメーターに任せるようなやり方も有りそうだが実際は殆ど例がないと思う。

絵コンテについては、もう少し効率的な方法が色々な形で模索できそうなのだが、なかなかそうはなっていない。

絵が綺麗だと褒められるのは嬉しいのだが、問題の多い工程でもある。

泣きつかれて急ぎの絵コンテをこなしたりアイカツ!のイベント用の仕事があったりと10月末から忙しくてしんどいが、あと半年くらいはこんなこんな感じなのかもしれない。

神経質な時代なのかも【2024年11月02日】

今週はへとへと。
仕事で気力も体力も失って本も読めない。
のだが、また細かい仕事が増えたりして果たして終わるのだろうか…。

今週は連休なのだなと、さきほど気づいた。
昔は連休も土日も関係なく仕事の連絡が来ていたりしたものだけれど、最近は大分少なくなって健全になったものだと思う。
急ぎの仕事の返信もまだ来ていないもの。

仕事でちょい驚いたことがあり、それにまつわることをメモ的に記す。

最近のアニメ制作は、ほとんどが原作ありきの仕事である。
最近でなくとも原作ものの仕事はずっとあったわけだけど揉め事などの話もよく聞いた。
しかし、お互いに歩み寄りやら色々あって、ここ10年くらいで作り方は非常に落ち着いてきているというのが個人的な印象。

もちろん今だに揉め事の話も聞いたりはする。アニメの話ではないけれど、ついこのあいだ原作者が亡くなってしまった事件まであったわけで。
しかし、トラブルシューティングなどは出版社など権利を持っている側と制作サイドともに随分とノウハウは蓄積されていて、穏やかに仕事が進んでいるところが多いのではなかろうか。
派手に揉めている話は随分聞かなくなった気がする。
あるいは揉めてもなんとかなる段階で手を打てているというべきか。

なんとかなる段階、それはプリプロ。
絵的には設定画などの確認。
お話は脚本の段階で、なるべくしっかり合意して揉めないようにしましょう、ということ。

特に脚本の擦り合わせは昨今非常に重要度を増している。

さて、過去アニメ業界ではシナリオを軽視する演出家も少なくなかった。
その理由は色々あると思われる。
ひとつはアニメに限らず映像化の際に原作を大幅に改変する場合があった。
もうひとつは、アニメオリジナルの作品が多かった。

映像化の際に原作を大幅に改変していた理由は色々あるのだろうけど、昔は改変がそれほど悪とされてはいなかった。
映像は別物としてあまり気にしない原作者も多かったと聞く。

もうひとつアニメにオリジナル作品が多かった頃は、演出家の裁量でお話をアレンジしてもそれほど問題にならなかった場合も多かったと思われ、そういう文化の中で育った人は、とくに悪気なくシナリオを軽視するということがあったのではないかという気がする。

実際、私もオリジナルの仕事の時は脚本に沿うことに凄く気を使うということはない。
といっても、シナリオを軽視しているわけではなく、映像化の際に必要なアレンジや、ノリでこの方が面白いかなといったアイデアを入れるときに凄く気を使はなくて済む、という程度である。
そもそも面白いお話を作るために脚本会議をやっているわけで、シナリオを無視して作るというのは、その時間を捨てるということなのだから馬鹿げている。
最近でもオリジナルの仕事で監督が勝手に話を変えて脚本家と揉める、という話も聞くことはあるのだが何故なのか…。

しかし昨今の原作もののシナリオは、少し繊細である。
シナリオ会議に原作者が参加する場合も少なくないので、意外に細かなところまで原作者の手が入っている場合がある。
脚本は原作サイドとの契約書にも似た機能を果たすようになっている。
なので、監督といえども簡単に改変はできない。
改変したければシナリオ会議の段階でアイデアを提案するのが筋なのである。

実際私も大きめの改変を提案することがあるが、それは会議の場で議論される。

各話のコンテマン、演出家はシナリオ会議での議論を知らないのでシナリオの改変は難しくなる。絵コンテなどは良くも悪くも極力シナリオに沿って描かれる。
とはいえ、脚本通りに映像を作るというのは無理なので映像化するために多少のアレンジはどうしても必要だ。

私が原作ものの各話の絵コンテを担当する場合も極力シナリオ通りに作って、明らかに変えた方が良さそうなところがある場合は、なるべく発注の段階で確認する。
描きながら分かったことは断り書きを入れて直すか、放置して監督に判断を任せるというのがもっぱらだ。

ノリで作って、それを面白がれた時代もあったのだと思うが、今は良くも悪くも難しい。

漫画にせよ小説にせよ原作もののお話は一人の人間が描いていることが多いので、どうしてもその人にしか分からない理屈のようなものでつながっている部分がある。
ブラックボックスのような、その人の頭の中だけにある理屈は創作の魅力にもなりうるものなのだけれど、映像のように大勢の人間が関わって作る創作物の場合は他人と共有できないと理屈そのものが抜け落ちてしまうこともある。
ブラックボックスはなるべく少ない方が良いし、しかしそれが無くなることも原理的にないと思う。
すくなくとも監督と共有できていれば作品が大きくずれたものになることはない。

しかし末端のスタッフの創作性や実務的な問題とどう両立させていくか、というのは悩ましい。

池田繁美さんが亡くなった。
夏色キセキの時に一緒に仕事をした。
ガッチリした分かりやすい設定が印象的だった。
昔気質の厳しい人であったのだと思うが、私は意外と気安く話してもらっていた気がする。
昭和の職人たちが亡くなっていくのは仕方ないことだが残念だ。