寒さで枯れ込んでしまった赤羽千日紅寄せ植えをバラしてアネモネとグラスで植え替え。
アネモネは霜が降りる様な寒さにもめげずに咲くので気に入っている。
ただ花首がぽっきり折れてしまうほど強い風が吹くことがあるので対策できると良いのだが、短めのピックなど売っているのだろうか。
もう一つ植え替えたい寄せ植えがあるが、花を買いに行く余裕がない。
いちじくもそろそろ植え替えないと暖かくなってきてしまう。
近所のめちゃめちゃセンスよく植物を飾ってある家にオリーブだったか(うろおぼえ)大きなシンボルツリーがあって、てっきり地植えだと思っていたのだが、よく見たらドラム缶の中に植え込んであることに気づいた。わざわざドラム缶を調達して植え込んでるわけで感嘆せざるを得ない。
捨てて置いてある様にみえる錆びたスチールの書類棚などが巧みに配置されていて、ほとんど鉢植えで飾ってあるのだけど景色が作り上がっている。
上手くやればこんなことが出来るのかと思うものの、色んな意味で相当に凝らなければ難しいことも判る。
気負っても、植物はいい感じになるまでに時間がかかるし、上手く育てられる様なるには経験が必要。センスよく飾るのは、そのまた先という具合で一足飛びにはいかない。
まずしばらく、気楽に育てたいものを育ててみる。
ジークアクスは平行宇宙というかファーストガンダムのifの世界だったいうのは、ちょっと驚いた。
そもそもテレビシリーズとして作られているものなので映画はごく触りだけだから、どうファーストの物語と関わっていくのかまだわからない。
ビギニングの部分はあれで初めてみる若者などはどの程度理解できるのだろうか?と思うが絵は流石に綺麗に出来ている。
本編?は、前提の世界観を共有出来ないと分からないということでもなさそうだが、どんな観客層を想定しているのかは聞いてみたい。
伝統が重いと新規は入りにくいわけだが、伝統を知る者にとっては考えることが減って楽。
保守に軸足を置いていると考えるとまさに今風な作品と言えるのかもしれない。
リメイクは制作側としてやりたい人とやりたくない人とハッキリ分かれる気がする。以前、私は全くやりたくない派だったのだが今はまあそうでもない。
リメイクはリメイクだけに以前のものを化粧直ししながらなぞることになるので、分かりきっていることに新鮮な気持ちで向き合う必要がある。
リメイク小説というのは、少ないと思うが映像のリメイクは、もはや伝統的に作られている。
観客は以前の作品を知らなければ新鮮に見ることが出来るかもしれないが作り手は仕事を引き受けるまで知らなかった作品だとしても前提を踏まえるために詳細に元の作品について知らなければいけない。
そして観客が新鮮な気持ちで見られる様に工夫を凝らす必要がある。
そもそも元の作品は、それが作られた時代を背景として成立しているので、リメイクされる時代との齟齬をどう埋めていくのか、とくにアニメは若者に向かって作られていた分、時代の空気をいやがおうにも色濃く反映してしまっているのでリメイクによって脱色されてしまう部分が大きいと酷くつまらない物になる。
いざ仕事でやれと言われたら難しそうだ。
若い頃は自分の好きだった作品「のようなもの」を作りたいと思うのは自然だが、実際作る立場になると自分のやりたいことと観客の求めるものとの不一致に悩むことになるのが常だと思う。
自分はどんどん年老いていく事に無自覚なまま、自分の見たい物を観客に見せても失敗する。
しかし、自分が相手にする観客について知るということは容易ではないし、相手に合わせることに腐心して自分の興味のない物を作っても仏作って魂入れずということになる。
魂が入っていなくたって面白いということもありうるかもしれないが。
原作ものをやっていると特に自分との繋がりをどうつくるか考えざるを得ない。
タグ: 演出
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リメイク・流行り・今【2025年01月27日】
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アイカツライブ・トットちゃん【2024年12月23日】
もうすぐクリスマスというか、お正月。
やばい。仕事が。
先週の日曜日はアイカツ!のあかりジェネレーション10周年を記念したライブ「キラッキラ」へ。
10周年…いやぁそうですか。
アイカツ!が放映されていた期間は3年半くらいでもうその三倍の時間がたったということなんだな。3年目以降があかりジェネレーションだからそこから10年ということですか。
ライブはメインのアイドル担当の役者の皆さんが全員集まってくれるという奇跡のようなブッキング。
流石に公演時間が伸びまくって4時間というのは申し訳なかったが、楽しんではもらえたのではなかろうか。
私も皆んなの元気そうな顔を見て安心した。
荊棘の女王が久しぶりに聞けたのも満足。
久しぶりにアイカツ!絡みの仕事が沢山ある年末だった。しかし、この調子で記念イベントやってると毎年なんかありそうで、ファンの皆さんは大変だな。
ここのところ久しぶりにアニメ映画を見た。といっても最近のものではなく見逃していたものを幾つか。
まずは窓際のトットちゃん。
これは良くできていた。
ベースは地味な話であると思うのだけれどイメージシーンなどを上手く使ってアニメらしい飛躍した表現も交えつつ娯楽としても十分楽しめるようなつくり。
アートアニメの要素を巧みに取り入れて、表現の幅が広い。
日常芝居の表現はジブリ的な流れの最先端と言えるのかもしれない。
身振り手振りは少し大きめに表現されていて、それが作品の方向性とうまく嵌っているし芝居のアイデアも豊富でかなり丁寧に手間をかけた芝居作りになっている。
一般のお客さんが見ても分かりにくいかもしれないが、ここまでやるか!というくらい大変なことを丁寧に作り込んでいて感嘆した。
演出はオーソドックスなことをしっかりやるという方向性で、これを教科書に演出を教えれば基本は網羅できるんじゃないだろうか。
映画館で見なかったことを若干後悔した。
きみの色、化け猫あんずちゃん、も見た。
たまたまだが日常芝居に対する思想の違いが分かりやすくて面白い作品たちだった。
きみの色は、リアルで地味な芝居を真正面からトライしている。トットちゃんとは真逆の芝居作り。
しかし、ここまでやれば素晴らしいと思えるくらいにやり切っていてすごく好みな芝居作りだった。
ロトスコープではないけど、リアルな方向を目指している。
ちゃんとアニメらしい派手さのある芝居も用意されている。
興行成績が振るわなかったのはシナリオ的な問題が大きいのかもしれない。
一方、化け猫あんずちゃんはロトスコープを使ってファンタジーの世界を描くという変わったアプローチ。
きみの色とは逆の思想、トットちゃんの方が近い。
ロトスコープを使うことによってファンタジーにリアリティーを与えようとしているのだろうと思うけど、山下敦弘氏が元々やりたかったという企画らしいので、山下氏の能力を活かすためのロトスコープという技法という側面が大きいのかもしれない。
アニメーションの監督として久野遥子さんが立っているが、日常芝居に関しては久野さんの良さがロトスコープによって縮減してしまっている感は否めない気がする。
あと、単純にセリフの間がロトスコープの映像をまま使っているようで会話が間延びして感じる箇所が少なくなかった。人間の役者が写っている場合は間の仕草などで間が気にならない可能性があるのだけど、アニメのキャラクターに置き換えた時に上手く間のニュアンスが伝わらないということが起こっているのかもしれない。
鬼のような現実にないキャラクターはロトスコープによって現実感が増していると思うが、逆にどこで飛躍させるかの判断の難しさを感じた。
ロトスコープの良い面、難しい面が分かりやすく出ている。
トットちゃん、きみの色、あんずちゃんと見比べるとアニメーションにおける日常芝居のリアリティーを考える上でとても面白いと思う。
この週末の土曜日は恒例になった声優のワークショップの講師。
演出家という職業は分かりにくいので、それについての講義にしている。
結局2時間くらい話してしまうのだが、それでも毎度これも言っておけば良かったなと思うことが残ってしまう。
やるたびにまとまって分かりやすくはなっているとは思うが、どうだろう。 -
ペットロス【2024年11月18日】
猫との別れは何度経験しても慣れないもので…。
具合が悪そうだな、と気付いてからあっという間に逝ってしまった。
4ヶ月ほど前の検査では、まずまずだったのだが、先週末ご飯を食べなくなって病院へ連れて行ったのだが。
膀胱の脇に腫瘍が出来ていたらしく、それが静脈を圧迫して歩行も難しくなっていた。
歩きづらそうだな、と思っていたが猫は痛みを我慢するので、そこまでクリティカルな原因があるとも思わずにいた。
腎臓の数値も悪くなっていて、しかしまだ何とかという所だったようなのだが腫瘍との相乗効果か急速に体調は悪化したようだ。
ここ最近の急な寒さで激変したのかもしれない。
まあまあ歳だったので仕方ないないと思うのだが、もう少し上手く対処してやれば楽に逝けたのかななどと詮無いことを考える。
しかし言葉の通じない猫の変化を素人が察知するというのは、なかなか難しい。経験を積めば重要な変化に気づけると思うのだけれど。
人間というか、自分自身のことですらままならないのだから。
ペット界隈の医療は二極化しているそうで、街のホームドクターと大学など専門機関。高度な医療を施すところは、とても高い医療費を取るらしい。
専門の機関だと検査で20〜30万、手術で40〜50万、合わせて100万くらいしてしまうとか。
確かに、前の猫で検査してもらった時は結構取られた記憶がある。
老齢の犬猫に高い手術をしたとて、そう長く寿命が伸びるわけでも無い事が殆どだろう。苦痛は取り除いてやりたいが、さすがに何処まで手をかけるか悩ましい。
もうしばらくはペットロスから抜けられなさそうだ。もう11月も半ばを過ぎてしまった。
来年は頭からバタバタしそうだし、なんだか余裕がない。
とある原作者の人に、コンテの絵が綺麗で驚いた、というようなことを言われた。漫画のネームのようなものかと思っていたと。
まあ確かに漫画のネームよりはアニメの絵コンテは詳しく絵が描かれている事が多いかもしれない。
これは良し悪しがあって、そもそも絵コンテだって漫画のネームのようなかなりラフな絵でも問題がないはずだ。
ラフな絵ですめば、そちらの方が圧倒的に早く描ける。
漫画と違ってアニメは大勢の人間が関わるので下書きも他人が分かる絵である必要性が少し高い。
しかし、必要な情報が分かればそれほど丁寧に描く必要もないわけで、現状の絵コンテの几帳面さはアフレコが絵コンテを撮影した映像で行われるという場合があることへの対処という側面が強いように思う。
もちろん他にも(絵的に)詳細な絵コンテが描かれる理由はあるのだが、スピード重視で描かれる事があまりないのは、殆ど上記の理由ではないだろうか。
世の中には凄い人がいて頼んで10日もあれば詳細な絵が入った絵コンテが上がってくることもある。
しかし、それは稀で普通の人だと一本の絵コンテを上げるのに3週間から6週間くらいが平均だろう。(もちろん他の仕事もしながらのスケジュールなのだが)
ただ、ラフだけだったら2日3日で出来てしまうという人は少なくないのではなかろうか。
ラフだけ演出家が描いて、清書をアニメーターに任せるようなやり方も有りそうだが実際は殆ど例がないと思う。
絵コンテについては、もう少し効率的な方法が色々な形で模索できそうなのだが、なかなかそうはなっていない。
絵が綺麗だと褒められるのは嬉しいのだが、問題の多い工程でもある。泣きつかれて急ぎの絵コンテをこなしたりアイカツ!のイベント用の仕事があったりと10月末から忙しくてしんどいが、あと半年くらいはこんなこんな感じなのかもしれない。
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神経質な時代なのかも【2024年11月02日】
今週はへとへと。
仕事で気力も体力も失って本も読めない。
のだが、また細かい仕事が増えたりして果たして終わるのだろうか…。
今週は連休なのだなと、さきほど気づいた。
昔は連休も土日も関係なく仕事の連絡が来ていたりしたものだけれど、最近は大分少なくなって健全になったものだと思う。
急ぎの仕事の返信もまだ来ていないもの。
仕事でちょい驚いたことがあり、それにまつわることをメモ的に記す。
最近のアニメ制作は、ほとんどが原作ありきの仕事である。
最近でなくとも原作ものの仕事はずっとあったわけだけど揉め事などの話もよく聞いた。
しかし、お互いに歩み寄りやら色々あって、ここ10年くらいで作り方は非常に落ち着いてきているというのが個人的な印象。
もちろん今だに揉め事の話も聞いたりはする。アニメの話ではないけれど、ついこのあいだ原作者が亡くなってしまった事件まであったわけで。
しかし、トラブルシューティングなどは出版社など権利を持っている側と制作サイドともに随分とノウハウは蓄積されていて、穏やかに仕事が進んでいるところが多いのではなかろうか。
派手に揉めている話は随分聞かなくなった気がする。
あるいは揉めてもなんとかなる段階で手を打てているというべきか。
なんとかなる段階、それはプリプロ。
絵的には設定画などの確認。
お話は脚本の段階で、なるべくしっかり合意して揉めないようにしましょう、ということ。
特に脚本の擦り合わせは昨今非常に重要度を増している。
さて、過去アニメ業界ではシナリオを軽視する演出家も少なくなかった。
その理由は色々あると思われる。
ひとつはアニメに限らず映像化の際に原作を大幅に改変する場合があった。
もうひとつは、アニメオリジナルの作品が多かった。
映像化の際に原作を大幅に改変していた理由は色々あるのだろうけど、昔は改変がそれほど悪とされてはいなかった。
映像は別物としてあまり気にしない原作者も多かったと聞く。
もうひとつアニメにオリジナル作品が多かった頃は、演出家の裁量でお話をアレンジしてもそれほど問題にならなかった場合も多かったと思われ、そういう文化の中で育った人は、とくに悪気なくシナリオを軽視するということがあったのではないかという気がする。
実際、私もオリジナルの仕事の時は脚本に沿うことに凄く気を使うということはない。
といっても、シナリオを軽視しているわけではなく、映像化の際に必要なアレンジや、ノリでこの方が面白いかなといったアイデアを入れるときに凄く気を使はなくて済む、という程度である。
そもそも面白いお話を作るために脚本会議をやっているわけで、シナリオを無視して作るというのは、その時間を捨てるということなのだから馬鹿げている。
最近でもオリジナルの仕事で監督が勝手に話を変えて脚本家と揉める、という話も聞くことはあるのだが何故なのか…。
しかし昨今の原作もののシナリオは、少し繊細である。
シナリオ会議に原作者が参加する場合も少なくないので、意外に細かなところまで原作者の手が入っている場合がある。
脚本は原作サイドとの契約書にも似た機能を果たすようになっている。
なので、監督といえども簡単に改変はできない。
改変したければシナリオ会議の段階でアイデアを提案するのが筋なのである。
実際私も大きめの改変を提案することがあるが、それは会議の場で議論される。
各話のコンテマン、演出家はシナリオ会議での議論を知らないのでシナリオの改変は難しくなる。絵コンテなどは良くも悪くも極力シナリオに沿って描かれる。
とはいえ、脚本通りに映像を作るというのは無理なので映像化するために多少のアレンジはどうしても必要だ。
私が原作ものの各話の絵コンテを担当する場合も極力シナリオ通りに作って、明らかに変えた方が良さそうなところがある場合は、なるべく発注の段階で確認する。
描きながら分かったことは断り書きを入れて直すか、放置して監督に判断を任せるというのがもっぱらだ。
ノリで作って、それを面白がれた時代もあったのだと思うが、今は良くも悪くも難しい。
漫画にせよ小説にせよ原作もののお話は一人の人間が描いていることが多いので、どうしてもその人にしか分からない理屈のようなものでつながっている部分がある。
ブラックボックスのような、その人の頭の中だけにある理屈は創作の魅力にもなりうるものなのだけれど、映像のように大勢の人間が関わって作る創作物の場合は他人と共有できないと理屈そのものが抜け落ちてしまうこともある。
ブラックボックスはなるべく少ない方が良いし、しかしそれが無くなることも原理的にないと思う。
すくなくとも監督と共有できていれば作品が大きくずれたものになることはない。
しかし末端のスタッフの創作性や実務的な問題とどう両立させていくか、というのは悩ましい。池田繁美さんが亡くなった。
夏色キセキの時に一緒に仕事をした。
ガッチリした分かりやすい設定が印象的だった。
昔気質の厳しい人であったのだと思うが、私は意外と気安く話してもらっていた気がする。
昭和の職人たちが亡くなっていくのは仕方ないことだが残念だ。 -
ストリーボード作成で学ぶ演出(のための準備)【03】・基本的な目的
順番に内容を整理
GPTの整理では、
1. ストーリーボードの基本的な目的を理解する- 目的の説明: ストーリーボードは、映像のシーン構成やカメラワーク、キャラクターの動きを視覚的に整理するためのツール。シナリオから映像化の第一歩であり、アニメーターや制作スタッフとの共通言語となるものだと説明します。
- 具体例の紹介: 完成したアニメーション作品のストーリーボードと映像を比較しながら、どのようにストーリーボードが映像に変わるかを実例で見せます。
アニメーションというか我々が作っている商業アニメーション(この様式に対する明確なネーミングはないのは問題だ)を制作する上でストーリーボードがどの様な役割を担っているのか整理する
- 実際に制作する映像を視覚的にわかる様に計画する
- 物語全体の時間の想定または算出。全体の時間をどの様に分割するか、しないかを計画する。
分割単位は大きくシーンとカットがあるが、シーンはシナリオで既に想定されているので、基本的にはカットの単位で分割を考える - 映像内で起こる事象の提示(場所、演技、その他主要な映像に写すことが必要な事象)
- 事象をどの様に映し出すかの提示(フレーミング、カメラワークの提案)
- 部分、全体の作業負荷の想定、見通しを立てる
- 音響についても大まかに想定する場合がある
演技をストーリーボードで想定するのは、日本のアニメの多きな特徴。
実写だったら俳優の演技があるので、演出家が事前に想定する部分は限定的だ。
日本のアニメは作業負荷の想定やキャラクターの統一などの理由から、かなり踏み込んだ部分まで演技が描かれる場合がある。
作業者の負担になる部分でもあり、面白いところでもある。
大まかな項目としたらこんなところか?
ストーリーボード作成の目的自体は初心者にも比較的容易に理解可能だろう。
ただ実際のストーリーボードは、作品や監督などによって「どこまで踏み込んで考えるか」や「重要な要素」が大きく違う。
しかし演技、撮影効果、音響など、何をどこまで想定するのがストーリーボードの役割なのか、初心者にはある程度明確にしておくべきだろう。
あくまで商業アニメ制作に絞って、その役割をもう少し整理してみる・時間の算出
演出家を仕事としている身としては、このことが非常に重要だ。
何故なら、尺が足らなくてもオーバーでも商品としては成立しない。
映画であれば厳密なフォーマットは存在しないものの、90分と120分では、製作費が変わってくるし上映可能回数も変わってくる訳で、適切な尺に収めるのは管理職としての演出家に常に求められる。
しかし、超初心者に教える場合や、演出の概念やストーリーボードの仕組みを教えるだけであれば、あまり教える必要はない。
実際、学生の時はこんなことを言われたことはなかった。
プロになってからは、尺が上手くコントロールできなくて冷や汗をかいたことが何度となくあるのだが…。
とりあえず各項目ごとに、これは初心者に必要か?ということを整理していくしか無いかも。・演技の想定
これは結構、初心者でなくても難しい項目。
初心者にストーリーボードを教える場合、実は「演技については考えさせない」方がストーリーボードの仕組みはわかりやすいかもしれない。
映像のつながりを想定するだけであれば詳細な演技は必要ない。
ただ画面内のキャラクター(人物)の位置が想定されていれば良いだけである。
実写の様にカメラが移動して構図が変わる場合でも、見かけ上のキャラクターの位置が分かれば繋がるかどうかは判断がつく。
キャラクターが移動する場合でも、同じく画面内の見かけ上のキャラクターの位置が分かれば良い。
芝居を一緒に考えると混乱したり、映像の繋がりについて忘れたりしがちだ。
しかし実際のアニメの現場では、演技の想定が演出家というかストーリーボードを描く人間に強く求められている。
理由としては、
・全体の作業量の想定
・キャラクターの統一
・アニメーターが演技を考えてくれない、あるいはその時間がない
などがある。
これは初心者がストーリーボードを学ぶ際に結構足かかせになっている気がする。
初心者に教える場合は、ストーリーボードで求められる演技について整理しておく必要があるやに思う。抽象的にも具体的にもなりすぎない様に、ストーリーボード作成の目的を整理しなくてはいけない。
そしてそもそも、誰に教えると想定するのかハッキリさせる必要がある……のだが、超初心、初心、中級者でだいぶ内容が変わってしまう。
今回はここまで。 -
ストリーボード作成で学ぶ演出(のための準備)【02】
chatGPTが出してきたストーリーボードを新人に教えるための項目
- 目的の理解
- シナリオの解釈とシーンの分解
- カメラワークの基本
- 構図とレイアウト
- キャラクターの動きと表情
- シーンの繋がりとテンポ
- 映像言語の使い方
- ライティングと影の活用
- 音響や音楽の考慮
- フィードバックの受け入れ方
これはこれで的を得ていると思いつつ私が普段教える時は、以下のような要素を意識している。
- カメラの高さについて
- サイズの選択について
- 写す対象について
- イマジナリーラインの理解
- 二人の会話
- 三人(多人数)以上の会話
これだけ。これだけというか、2人の会話も3人の会話もイマジナリーラインのサブ項目なので、大体4項目。
普段は描いたコンテとシナリオをもらって添削のような形で教えることが多いのだけど、やはりあまり難しいことを言っても伝わらない。ので、なるべくシンプルに教えようと心がけてはいる。
シナリオの解釈は頭の1、2、3に関わるのだが、ここはとても難しい。アニメの絵コンテでは、実写では別の役職が担っている仕事を一手に引き受けているため、新人さんは混乱してしまうことが多いという気がする。
・映像のつながりを決める
・キャラクターの演技を作る
このうち演技の方は、実写では主に役者が担っているのだけれど、アニメの場合演出家(の描いた絵コンテ)でかなりの部分を想定することを要求される。
この演技を考える部分が、かなり難しくて教えるのにも困難がある。私もあまりまともに教えられる気がしない。
しかし、映像のつながりを決める部分に限定するとそれほど難しくは無いのではないかと思っている。
まずは、この2つを分けて考えることがストーリボードの理解の助けになるのではないか。
その場合、シナリオの解釈はどこまで必要なのか?
シナリオの読み方をそもそも先に教えた方が良いのではないか?
という気もしてくるが、それはそれで大変なことなので、なるべくシンプルに同時に教える方向で考えてみたい。
シナリオの解釈を教える場合、「誰が、どこで、何を、どうした」5W1Hの理解と表現が基礎。
あとはキャラクターの感情とそのつながりの理解。演技はそれ単体で非常に奥深い技術が蓄積されていると思うが、私は詳しくないので調べる必要あり。
演技メソッド的な本はたくさん出ているのである程度漁ればざっくり把握は可能かと思われる。
アニメの演技は表現の幅など人間のそれとは違う。
またアニメ的キャラクター独特の表現の難しさ(視線の問題など)があるので、そこは教えられると良いかもしれない。絵的な表現についても私はあまり詳しくないので、ざっくりと調べる必要あり。
パース、構図の一般的な技術など。・対象の選択
超初心者向けに教える内容と中級者以上向けに教えるのでは内容が大幅に違ってくる。
まずは超初心者向けの内容について考えてみるか。やはり重たいが、まあ進めてみよう。
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ストリーボード作成で学ぶ演出(のための準備)【01】
たまーに若い子に絵コンテを教える機会もあり、なかなかオーソドックスな絵コンテのスタイルや描き方は教えられていないのだなと思うことがしばしばあった。
なので、絵コンテに興味がある人向けに教育的メソッドを作ってみようと思い、しかし一から作るの手が掛かるのでどうしたものかと思っていたが、電車の中で半分暇つぶしに、絵コンテ制作を新人演出に教えるアイデアを提案せよとChatGPTに投げてみたところ、意外とまともなアイデアが返ってきて大変驚いた、と共にこれを叩き台にして作れば、あまり時間をかけずに出来るかもしれないと思ったので早速始めてみることとする。
以下はchatGPTの提案である。ChatGPT
新人の演出家にストーリーボードの描き方を教える場合、基本的な技術から応用まで段階的に教えることが効果的です。以下の順番で教えると、理解が深まりやすいです。1. ストーリーボードの基本的な目的を理解する
- 目的の説明: ストーリーボードは、シナリオを視覚的に整理し、映像の流れを決定するツールであることを説明します。キャラクターの動きやカメラの視点、シーンの構図などを計画し、チーム全体に作品のビジョンを共有するために使われることを強調します。
2. シナリオの分解と解釈
- シナリオの分析方法: まず、シナリオをシーンごとに分け、必要な演出要素(アクション、対話、感情表現など)を把握する方法を教えます。
- 重要シーンの特定: ストーリー全体の中で特に重要なシーンやクライマックスを特定し、その部分を重点的に描く技術を学ばせます。
3. カメラワークの基本
- 視点とアングルの基礎: 視点(主観/客観)やカメラのアングル(高い視点、低い視点、横からなど)の違いが映像に与える効果を説明します。
- カメラの動き: パンやズーム、トラックなどのカメラの動きをストーリーボードでどう表現するか、動きに合わせてシーンをどう切り替えるかを教えます。
4. 構図とレイアウトの基礎
- 三分割法や視線誘導: 三分割法などの基本的な構図のルールや、観客の視線をどこに誘導するかを学びます。
- 空間の使い方: キャラクターやオブジェクトの配置が、シーンの緊張感や動きにどのような影響を与えるかを説明します。
5. キャラクターの動きと表情の描写
- アクションの分解: キャラクターの動き(歩く、話す、戦うなど)をどのようにコマ割りで描くか、動きの流れやスムーズさを意識したストーリーボードの作り方を教えます。
- 表情の変化: キャラクターの感情を伝えるための表情の変化をどのように描き、シーンに反映させるかも重要です。
6. シーン間の繋がりとテンポ
- シーンの切り替えと繋がり: シーンのスムーズな切り替えや、ショット間のテンポの取り方を説明します。カット間のリズムやテンポ感が、視覚的な効果や感情の高まりをどう変えるかを学ばせます。
- テンポとリズムの重要性: アクションシーンと静かなシーンの対比や、リズムを意識した編集の仕方を教えます。
7. 効果的な映像言語の使い方
- 象徴やメタファーの導入: ビジュアルに意味を持たせる方法や、観客に暗示的に伝える演出手法を紹介します。たとえば、特定の色や形がシーンにどのように意味を加えるかを学びます。
- サブテキストの表現: キャラクターが話している内容以外の、裏の感情や状況を視覚的にどう表現するかを教えます。
8. ライティングと影の活用
- 照明効果の理解: 光の当たり方や影の使い方が、キャラクターやシーンの感情にどのような影響を与えるかを説明します。
- 時間帯や天候の表現: ストーリーボードで時間の流れや天候の変化をどのように描写するかを学ばせます。
9. 音響と音楽の考慮
- サウンドキューの入れ方: ストーリーボードには音響や音楽の指示も含める場合が多いため、どのタイミングで音が入るか、シーンに合わせた音響演出の指示を追加する技術も教えます。
10. フィードバックの重要性
- フィードバックを受け入れる姿勢: ストーリーボードはチームで共有するものであり、他者からのフィードバックを受けることが重要です。建設的な意見をどのように反映させ、より良いストーリーボードにするかを教えます。
教える順番のまとめ
- 目的の理解
- シナリオの解釈とシーンの分解
- カメラワークの基本
- 構図とレイアウト
- キャラクターの動きと表情
- シーンの繋がりとテンポ
- 映像言語の使い方
- ライティングと影の活用
- 音響や音楽の考慮
- フィードバックの受け入れ方
新人には、まず基本的な要素を学ばせ、徐々に複雑な技術やクリエイティブな要素に移ることで、全体的な理解を深められるようにすると良いです。
とのことだった。
かなりそれっぽい。
イマジナリーラインについて触れられていなかったので、
あなた:イマジナリーラインについて教える場合、上記の項目の中の何処に追加するのが良いですか?
と質問すると以下の答え。ChatGPT:
「イマジナリーライン(180度ルール)」は、カメラワークの基本やシーン間の繋がりとテンポに密接に関連しているため、これらの項目の間に追加するのが良いです。
具体的には、以下の位置に追加することを提案します:3.5. イマジナリーラインの理解
- 180度ルールの説明: イマジナリーラインとは、シーンにおけるキャラクターやオブジェクトの位置関係を保つために、仮想的に引かれる線のことです。カメラがこのラインを越えて位置を変えると、観客がキャラクターの位置関係や動きを混乱する可能性があるため、基本的にはラインを超えないようにします。
- シーンの連続性: イマジナリーラインを守ることで、視覚的な連続性が保たれ、観客が自然にシーンを理解できることを教えます。
- ルールの活用と破り方: ルールを意図的に破って感情の変化や混乱を演出する方法もあるため、その使いどころについても説明します。
このように、カメラワークの基本に関連した要素として教えるのが最も自然で効果的です。カメラアングルや視点と密接に結びついているため、このタイミングでイマジナリーラインの概念を導入すると、より理解が深まります。
なるほど…と感心。
これをさらに詳細にしたアイデア出しもしてもらったのだが、一般的に教えていそうな項目を多数並べてくれた。
が、詳細になるほど抽象的になっている印象。
しかし、根本的なことには何も触れられないまま、理屈めいた映画の理論が教えられていることは今も普通に起こっていそうな気がする。
そもそもの話ではあるのだけれど、映像文法は数学のようなものではない。
音楽のメソッドなどに近い。
短調は長調に比べると暗く聞こえる、と言われているが、それは数学の法則のように理由が説明されているわけではない。(認知心理みたいなもので説明を試みられてはいるのかもしれないが)
ポップスのコード理論なんかも、こういうフワッとした経験知的なものをベースに作られていると思うのだが、映像文法も似たようなものだと思う。
ほとんどの事は経験的な感覚を下敷きにして作られているので、時代によって変わることもあるだろう。
歴史、積み上げてきたものが大事なのだ。
理論は割とフワッとしたまま、感覚だけで作品を作っている演出家も少なくはないと思う。
私も大学で多少教育は受けたもののかなりフワッとしたまま、言語化しないまま仕事をしている部分も多い。
しかし、経験に頼りすぎるのは若い人が演出を学ぶ時、人によってはえらく時間がかかってしまう原因になりやすいように思うし、全く出来ないまま終わるということにもなりかねない。
映像文法は今まで人間が「映像から物語を理解する」にはどうしたら良いかという経験知の集積なので、そういう意味で有用だと思う。
私は映像文法の基本部分は極めて簡単だと思っていて、骨格だけ覚えたら、あとは経験値で膨らませ応用を考えていく他にないように考えている。
GPTが挙げていることは重要だが、「物語を映像で表現する」ための方法という映像全般の技術の中の限定的な分野の事でしかないので、全部を理解している必要はないし重要度も項目によってかなり違う。
4の構図とレイアウトについてなどは私の場合はかなりいい加減に考えている。
色々整理しながら、初学者が分かりやすいようにと、形式主義に陥らないように演出の基本をストーリーボード(絵コンテ)作りから学べるような方法を考えてみようと思う。
まずははここまで。 -
コロナが流行ってる【2024年08月12日】
世間はお盆休みだからなのか…やる気はあまり上がらず。
体調はゆるゆると上向いているので良きこと哉。
ネット将棋を飽きずに延々と指し続けてしまう。勝てる時は何でか偉く強い人にも勝ててしまうのだが負け始めるとこれまた何でこんな将棋が勝てないのかという勝ち将棋をひっくり返されたり。メンタルは将棋の調子で結構わかってしまうのだが、調子が良くても仕事の方は捗らなかったりはする。
片方の仕事はだいぶ進んできた。
色々あって長かったがやっと落ち着いてきてホッとしている。
告知は来月か再来月なのかな?近いとは思うのだが。
コロナが本当に流行っている。
スタッフが罹ったり、役者が罹ったり、マスクをしている人は少し増えた気はするが暑すぎる夏のせいもあってか、それほど多くはないように見える。
観光客もすごく増えているので感染者が増えるのもさもありなん。
私はコロナが流行り始めた頃は、マスクしたところでそう変わりはせんだろうと思っていたのだが、最近はなるべくならかかりたくないということで電車の中やら狭くて人が多いところではマスクをするようにしている。
おかげでかは分からないが今のところコロナに罹ったことはない。(無自覚な人もいるようなので確信はないが)
それでもマスクをするには、最近の夏は暑すぎてせずに済むならそうしたい。
後遺症はしんどい人は本当にしんどいようで2年以上辛い症状に悩まされている人の話も聞く。
歳はあまり関係ないようで、仕事が続けられないほどキツいこともあると聞くと他人事とは思えず用心せざるを得ない。
初めてのスタッフとの仕事はいつも探り探りで、正直慣れた人たちとやっている方が圧倒的に楽なのだが最近は少しお初の方が多い。
相手方がこちらを探っていたり警戒しているような感触を感じることもしばしばあるのだが、これはまあお互い仕方ない。
私は比較的気楽に付き合える監督だと思うのだが過酷な現場もあるだろうし、警戒したくなるのは良くわかる。
相手の緊張感が伝わるとこちらもそれを和らげるために頭を使わざるを得ないのだが、こちらの腹の中を相手に伝えるにはどうしても時間がかかる。
とあるスタッフから警戒警報をビンビン感じていたのだが、最近少し和らいだように感じた。
やはり仕事を進めてみないと相手のやり方というのはなかなか分からないもので、1本作ってお互い馬があって残ったスタッフとは次の仕事の時は圧倒的に気分が楽だ。
とにかく1本完成させるしか本当にお互いを理解する方法はない。仕事の時は最近はFUSIONのディスクガイドを片手に良さげなものを配信で聴いている。
しかし無いものも多くて、まだまだアナログ時代の遺産はデータになっていないものも多いのかもしれない。
アニメもそうだが、見ることができない聞くことができない状態というのは作品が存在しないのと変わらないので、著作権者はとにかく作品にアクセスできる状態が維持されるようにしてくれと思う。
金があっても見られない聞けない作品はあるわけで、それは作品にとっては途轍もない不幸だと思うのだが…。配信するにも金がかかるから儲からない作品は倉庫に置いておくしか無いというのは分かるのだが作品へのアクセスを確保しておくのは公共的義務なんじゃ無いのと個人的には思う。
結局、物理もデータも永遠に維持し続けるというのは不可能なんだろうけど。
文化は結局のところ口伝みたいに人間の中で再解釈、再生産されるという形でしか残っていかないのであれば、それをなるべく制限しないシステムは必要だ。 -
どうにもこうにも暑い【2024年08月03日】
暑くて全てのやる気が溶けていくような気がしてしまう。
しかし、少しずつ体調は上向いてありがたい。
睡眠時間が増えているのが良いのか…原因はよく分からない。
睡眠は歳のせいもあり上手く眠れないことも多いのだが、やはり眠れると調子は良い気がする。
そして気づけば8月。先日はアイカツ!のライブが久しぶりに行われていて、相変わらず盛り上がっていた。
私は配信で見ていたのだけれど、ドリアカのキャストが顔を合わせているのを見るのは久しぶり。
みんな元気そうで何よりだ。
もう久しく関わっていない作品について語ってくっるだけでもありがたい。
次はあかり世代括りでイベントをやるそうで、しかも結構大きな会場だから埋まるのかしらと心配しつつ、私も少し手伝うので楽しんでもらえるものになるんんじゃないかと思
昨日、仕事で若い各話演出に今回のコンテのフィードバックをくれというようなことを言われたのだが、もはやその人はここしばらくですっかり腕を上げて(いやアニメーターの経験も長いし最初から上手かったのだけれど)特に私がどうこう言うような事はない。
上手くなると何か言われる機会はどんどん減っていくので他人の意見が聞きたいというのは分かるので何かアドバイスしようとは思うけど、ある程度の力をつけた演出がステップアップするには監督業をやるしかない。
各話演出ではお話の部分に関われないので、そこに踏み込めるのは監督業である。
しかし、監督業は外からは見えづらい仕事がたくさん襲いかかってくる。
およそクリエイティブではないと思われる政治的な交渉やトラブルシューティングなど真面目な人ほど其のストレスは尋常ではないと思う。
他人の絵コンテを直すといのも各話演出にはない仕事で、良いコンテが如何にありがたいかというのが身に沁みるし自分の不出来な部分も実はよく分かったりする。
自分が描けないような絵コンテに出会うと刺激を受けつつ打ちのめされ、イメージと違う(下手なコンテというのではなく話やキャラクターの解釈違い、演出論の違いなどがある)コンテには直しの時間の無さで苦悩する。
自分というのは一人しかいないのだと思わされるのが監督業だ。
自分と同じイメージを持てるのは自分しかいない。
当然、自分の考えと同じ絵コンテなど上がってこないし、同じ演出など基本的には行われない。
上手い人は、なるべくそこを近づけてくれる。
オーソドックスな演出というものはあって、私が各話演出の時はなるべく監督が直しやすいような絵コンテを心がけていた。
演出は直しようがないので、絵コンテを与えられたスタッフでなるべく最良の形で具現化できるように心がけた。
監督が近くにいる場合は監督の手をなるべく煩わせない程度に意見を聞くなども。(若い時はてんで好き勝手をやっていたこともあったけれど…)
監督と各話の演出は同じ人間ではないのだし、最後はお互いの信頼の中でベストを尽くすしかない。
しかし、オーソドックスな演出というのは特に教科書みたいなものがあるわけではないので、共有されていないところには全く共有されていないものなのだというのは最近になって感じるようになった。
オーソドックスというものは良くも悪くも色がない状態なので作品によってアレンジが必要だとは思うのだが、分かっていれば作品や監督の趣向がよく分からない場合でもアレンジしやすいような形で素材を提供可能になるのではないかと思う。
監督をコンスタントにやっているような人の絵コンテは、大体これが出来ているように思う。
しかし明らかにオーソドックスなスタイルを知らない(あるいはわざと避ける)人というのはいて、それは時に結構困ったりする。
よく話題に上がるイマジナリーラインに対する考え方などが違うと、もう大変な直しになったりするので、オーソドックスな考え方は共有されていた方が良いと思う。
作品によるスタイルの違いなどを超えて一般的な方法論というのはいろんな仕事をするタイプの人は特に知っていると楽だと思う。メモ的にここで少しづつまとめてみようか。
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来月辺り告知が出来る…らしい【2024年05月25日】
1週間が経つのが早い。
先週は、お久しぶりな人たちと会って、今週はお久しぶりな人から連絡が来た。
なんと無くそういう時期なのかもしれない。
たまーーーーーに、コンタクトフォームから仕事の依頼がくるのだが今日も久しぶりに来ていた。
当然知り合いではないので新鮮味がある。
今の所、来たことのあるのは各話演出の仕事だけ。
今は各話演出の仕事は、基本的にお断りしている。
いやーー、各話演出を探すのは大変だろうなというのは自分の現場を見ていれば容易に分かる。
私は長いこと各話演出の仕事をしていた。初監督の後もしばらく引き受けていたので20年くらいはやっていたと思う。
昔から良い各話演出というのは不足しがちである。
私の世代前後だと、少し能力のある若い演出はすぐに監督に引っ張り上げられてしまっていたので中間の厚みは、いつも薄かった。
不運なことに私の前後2歳くらいの人たちは、力があっても監督になるのにえらく時間がかかった人が多い印象だ。
前後5歳くらい離れた人に華やかな人が多かった、ということもあるし、景気のせいで仕事の波が自分のキャリアとうまく噛み合わなかったという側面もあるように思う。
が、各話演出の時代の経験は、かなり生かされている。
長く各話演出をやっているような人は稀で、今は特においそれとは確保できないだろう。
どんどん高齢化もしているし若くてキャリアのある各話演出は本当に探すのが難しいと思う。
昨今スケジュールが長期化していることもあり、1年で経験できる本数は少なくなっている。
なので、若いうちに沢山数をこなすのが難しい。
スケジュールがかなり長期化して人材の確保も難しくなっているのにも関わらず、私のところにきた仕事で提示されていたギャラはそれほど上がっていないことに驚く。20年前の1.5倍くらいかな。
実際には拘束費を払っている会社が殆どになってきたので、もっと上がっているとは思うのだが、それなら最初から単価で提示するのを止めればいいのにと思う。
私が仕事を始めた30年くらい前は、まだアメリカは景気が良く合作と呼ばれる日本では放映されないアメリカの制作会社の仕事(有名なのはバットマンとか…)が結構あって、その予算は当時の単価から推察するに日本の予算の2〜3倍はあったのではないだろうか。(調べれば何か文献がありそうだけど、調べてない)
またそういう時代が来るのかもしれない、もう来ているのかもしれない。全然関係ないけれどAdobeのFireflyで、ほうれん草のおひたしが付け合わせで乗っている焼き鮭の皿という画像を生成しようとしたらほうれん草が生クリームのソースとなって焼き鮭の下に敷かれている画像が出来て笑ってしまった。モデルのバイアスのせいか日本食の画像の生成は難しいらしい。
使い勝手は、まだまだだ。
来月辺り監督作の告知が出るらしい。
ちゃんと働いています。