投稿者: 木村隆一

  • ラジオに送り損ねたファンメールをくれたお嬢さんへ【2025年04月13日】

    ラジオに送り損ねたファンメールをくれたお嬢さんへ【2025年04月13日】

    メール拝読しました。

    ありがとう。とても嬉しかったです。

    このブログを読んでくれると信じて、ここで簡単ですが返信します。

    アイカツが好き、というその言葉にいつも我々は励まされています。
    テレビの前に座っている30分ほどの間だけでも、見てくれた人が楽しければ良い。と、小さな野望を目標に私たちは番組を作っていました。
    テレビの初回から10年以上経って、まだファンから覚えていてもらえる様な作品ができたことは望外の喜びです。

    作品を作っているとき、果たしてこのアニメーションが何か人に喜びを与える事ができるのか、絶望を和らげる事ができるのか、不安でならないというのは大袈裟ですが、確信を持っていることは有りません。

    作品が観客に出会って生まれた思いを我々が知り得る方法は限られています。その思いの一端を知り得る事が出来て、しかもそれが前向きなもので有るということは我々に勇気を与えてくれます。

    星宮いちごに負けず劣らずドラマティックなあなたの人生に少しでもアイカツが加勢できたのなら、こんなに嬉しいことは有りません。


    さて、アニメ業界はいまだに胸を張っておいでなさい、といえるような場所ではないですが、昔よりは随分過ごしやすくはなりました。
    また、この業界は狭いもので出会いもそこかしこに転がっていると思います。

    激動の世界の中で、日々やりたいことや、やれる事が変わっていくのはよく有る事だと思いますし、まずは気楽にやってみる、というは星宮いちごの精神でもあり、私の心情です。

    ダメなら引き返せば良い。

    あなたの道に幸があることを心より祈っています。

    アイカツ!監督 木村隆一

  • 植物日記・エンディングの仕事・例の…【2025年04月12日】

    植物日記・エンディングの仕事・例の…【2025年04月12日】

    咲かないのかと思っていたオステオスペルマムが咲きそう。
    温度の問題だったのか?

    スーパーアリッサムも秋に植えて株ばかり大きくなって全然咲かずだったのがポツポツ咲き始めた。

    ビオラは3種植えてあるが種類によって生育が全然違って今ひとつバランスが悪い。
    アンティークビオラという一番おとなしそうな名前のビオラが盛大に横に広がって見元園芸のものは縦に、もう一つは花は結構上がっているが全然大きくならない。

    地上部がほとんど枯れて大丈夫か?と思っていたアガパンサスのブラックマジックも新芽が上がってほっとした。
    根は緑で生きているとは思ったけど地上部が全く枯れると無事なのか判りずらい。

    ポットのまま置いてある苗がバンバン水切れし始めて非常にまずいがまた雨が降ったりするので来週中くらいまで植え替えは難しいかも。

    ロックは淑女の嗜みでして、のエンディングは急な仕事だったこともあり絵コンテのみの参加。当作の演奏シーンのアドバイザーなどしているソエジマヤスフミさんが演出をしてくれた。
    色味やら、背景のイメージやらはソエジマさんのアイデア。
    ソエジマさんとは別の仕事でご一緒する可能性があったのだが、そちらはポシャったので世の中に出るものができて良かった。

    フジテレビの報告書をパラパラパラと読む。
    分厚すぎるので、なるべく要所を拾う。
    見えるはずの断崖が何かで埋まっていて渡れる状態になっているのか、断崖を見えなくしている何かがある。
    断崖に限らず有るべきものは有ったほうが良い。実在しないとしても。
    有る必要のないものが有るということも沢山あるが。
    信頼のおける虚構とは…。

  • 植物日記・ラジオ出演・緊張の初作業【2025年04月10日】

    植物日記・ラジオ出演・緊張の初作業【2025年04月10日】

    しばらく前の雨で痛んでいた地植えのプリムラジュリアンは、やはり復活せず。残念。
    近くに植えていたアワユキエリカ・プリティーレッドも気づいたら枯れかけていて、これも多分雨の影響。

    アネモネはたくさん花が上がってとても華やか。
    ラナンキュラスは花が大きくて持ちもよく、春を彩っている。

    蕾は沢山上がっているのに全然咲いてくれなかったオステオスペルマムも花弁が開き始めて咲いてくれそう。温度か日光の問題だったのかもしれない。

    買ったまま植え替えていない苗が沢山あるのだが、暖かくなってきてしまって早く植え替えないとまずい。
    ビニールポットは水切れが早くて、気をつけていないとすぐ調子が悪くなってしまう。
    土を買ってこないと植え替えできないのだが、買いに行く暇がない。
    週末にはなんとかしたい。

    日曜に出演したラジオ番組が流れた。
    来週も私がゲスト。
    依頼が来て収録まで間がなく放送も近かったので大丈夫なのかと思ったが割と楽しく話せた。
    ラジオに出たのは10年以上前にアイカツ!の番宣的にニッポン放送のミューコミに出て以来だと思う。
    スタジオの作りは結構違っていて、スタジオの一角に調整卓がありディレクターなどもそこにいた。
    収録用のスタジオだからなのかもしれないが、いろんな形があるんだなと知る。
    MCの檜山さんは非常に穏やかで良い方だった。学生の頃アイカツスターズ!を見てくれていたとか。
    共通の趣味があったのだが、それは来週のネタとして使われていると思う。
    たまに喋る仕事は刺激になって楽しいのだが、ラジオの仕事とか来ないだろうか。
    私だけじゃ聞く人いないだろうけど。

    月曜は緊張の初作業。
    アニメ制作の一部ではあるけど、自分ではやったことのない役職を担当することになり、最後までアワアワしてなんか頭が真っ白になった瞬間もあったが、予定より早めに終了する事が出来たので周りは上出来だろうと思ってくれた様だ。
    もう少し細やかに何か出来たのではないかという後悔はあるが、悪くはないものになっている筈。
    来週はもう少し落ち着いて出来ると思う。

    久しぶりに非常に緊張感のある仕事になっているが、上手くいけば良い作品になる予感を強く感じている。

  • やっとあったかくなりそう。植物日記・生きる演技・ペスト、ラジオ【2025年04月05日】

    やっとあったかくなりそう。植物日記・生きる演技・ペスト、ラジオ【2025年04月05日】

    しばらく続いた雨が止んで気温も上がりそうで買い込んでいた植物が植えられそうな気候になってきた。
    雨が続いては作業もままならないし、根腐れしてしまう。

    地植えにしていたプリムラジュリアンはいい感じに咲いていたが地面に這うような植物なので雨の影響をもろに受けて花はダメになり切り戻してみたけど葉もだいぶ痛んでいたので、復活は難しいかもしれない。

    アネモネは沢山花が上がってるので、このまま暖かくなれば楽しめそう。

    ビオラは種類によって生育にえらい差があって、元気ではあるが思ったように育たない品種がある。

    宿根草が結構出回り始めたので立性の背の高いものを探しに園芸店へいったが、ラベルに高さが書いていない品種が意外に多い。
    最近は背の高いものより矮性種の方が多くなっているようで、立性のものがなかなか見つからない。
    宿根草はとんでもなく大きくなる品種も結構あるようなので、50〜80センチくらいで収まる品種の方が使いやすいのはそうかもしれない。
    環境や管理によっても大きさは随分変わるんだと思う。
    幾つかは立ちの上がるものを見つけたので植えてみようと思うが、大きくなるには2、3年かかるんじゃなかろうか。
    なかでもアカンサスモリスが楽しみ。


    町屋良平「生きる演技」は趣味では無かったがよく出来た作品だった。
    演技と言いつつ小説についての小説のようでもある。
    自分の話す言葉が自分のものなのかは怪しいものだろう、いつか誰かから聞いた言葉をまるで自分の中から湧き上がってきたもののように感じたり、常識、思い込み、人間は殆どそういったもの作り上がっているんじゃないのという、そりゃそうだろうねとも思うし、自分と他人との境界が曖昧になっていく様を言葉を使ってまざまざと非常に巧みに見せてくれる。
    しかし湿り切った質感は趣味ではない。
    1R1分34秒のような爽快さは無かった。

    カミュ「ペスト」は「アルベール・カミュ──生きることへの愛」という新書の島薗進の書評が面白かったので興味が湧いて読んでみた。
    そもペストが今でも時々流行しているということは全く知らなかった。
    コロナ禍を経験した我々はペストの街の気分を容易に思い浮かべることができる。
    かなり実感を伴った小説として読むことができる。
    医師リウーの結局のところ出来る事をやるだけだという諦めのような境地は感染症に閉じ込められた世界のみならず現世から逃げ出すことの叶わない人間の共通感覚として読める。
    コロナ禍を思い出して気が重くてなかなか読み進められなかったが収束は非常に面白かった。

    今週は知り合いのプロデュサーの頼みで突然ラジオに出ることになり、もう週末にはオンエアされるらしい。
    文化放送には初めて入った。ニッポン放送は随分昔に行ったが両局ともテレビ局とは違う独特の小ささが昔のアニメ会社の空気感を感じられて好ましい。
    私なんぞの小物がゲストで聞いてくれる人はいるんだろうか…と心配にはなるが。

  • 桜は咲いたが、また寒い【2025年03月30日】

    桜は咲いたが、また寒い【2025年03月30日】

    あたたかくなったと思ったらまた冷えてチューベローズの植え替えをいつやろうか若干悩ましい。

    今週は美術の打ち合わせがあって、その時に私が求めた絵画的な表現について、不安というかイメージが掴めないようで、しばらく自分の意図を話すなどした。

    キャラクターのリアリティーに関わらず、背景はフォトリアルという表現は今のスタンダードだが、特徴的なのは目の大きいキャラクターとの取り合わせ。
    フォトリアルな背景がメジャーになったのは押井守がパトレイバーで写真を下敷きにした背景に比較的リアルなキャラクターを上に置くことでリアリティーを作ったというあたりだろう。
    キャラクターはカワイイが背景はリアル、という形式の嚆矢は、けいおんだろう。
    今はどちらかというと、けいおんの流れが主流を占めている気がする。
    キャラクターの抽象度は高く目が大きくてカワイイ、リアルな背景とは合わなさそうなキャラクターを組み合わせる、そのやり方は不気味の谷のようなものを感じてしまって苦手だ。
    しかし、そういう表現の作品は山ほどあるし受けているので、何故そういう形式が求められているのかは考えている。

    自分の作品では、比較的リアルめなキャラクターでも背景に絵画的なテクスチャーなどをなるべく残すようにしてもらっている。
    背景がフィクションである事を担保してくれることが重要だと思っている。
    ただ最近は背景の抽象度を上げるのは結構難しい。
    抽象性の高いイメージを大勢のスタッフ間で共有していく難易度が高いからだ。
    とくに透視図法を使わない背景はほぼ作れない。
    透視図法は実は比較的簡単に共有可能な方法だ。
    今フォトリアルな背景が席巻している理由の一つでもある。
    3Dモデルを使えば余計簡単に透視図法のクオリティーは上げられる。
    という事で、最近の背景美術の抽象度を上げるには、もっぱら質感ということになる。
    テクスチャーは様々使えるようになってきているので、それなりに幅のある表現は出来るのだけど、作品ごとの決定的な差別化を図るのは難しい。
    毎度悩むのだが、担当するスタジオやスタッフの持つ技術に大きく依存するので、そこで出来る枠組みの中で選択する。

    3Dモデルを使うことに付随する問題も議論されている。
    実写の撮影などを見たことがあれば簡単にわかることなのだが、狭い部屋のモデルなどでキャラクターを大きく映す時、かなり広角で撮ってしまうオペレーターがいるが、これはカメラの後ろの壁を外して引きじりを作れば簡単に解消できる。
    そもそもレンズの選び方の意図が分かっていないとか。

    アニメーターはアニメーターで透視図法が全く分かっていない人もいるし。

    色々悩ましい時代ではある。

  • 編集はじまりとか【2025年03月22日】

    ついに次作の編集が始まってしまった。
    編集が始まったということは音響制作も始まるということのなので、切羽詰まってきた。
    音響制作は役者さんのスケジュールのお尻があるので、始まってしまうと基本的にはあまりずらせない。
    が、ずれまくっているのが昨今ではあるのだけど人気声優を使っているほどスケジュールの押さえが難しく、画の状態が悪くてもアフレコに突入しなければいけないということは有りがち。
    拙作も遅れてのスタートだが、まあそこそこの状態には出来ると思うのだが…。
    ちょっと今回は自分の仕事が多くて大変。
    久しぶりにスタッフに声を荒げてしまったりもして先は思いやられる。

    預かっていた保護猫は正式に我が家の一員となった。
    初日から腹を出して寝ていたので、とくに問題もなく先住猫たちもだいぶん慣れてきたみたいだ。
    体調を完全に理解している訳ではないので、これから何か出てこないといいけど。
    雄猫はある程度年齢がいくとあまり遊ばなくなるのだけど、おもちゃを振ると飛びついてくる。
    子猫返りなのか、ちょっと新鮮。
    真っ黒猫なのでクローゼットなどに潜まれると全く気づかない可能性が高いので扉を閉める時気をつけなければいけない。

    木曜日スタジオに行く前に、新宿の京王百貨店のグリーンギャラリーガーデンズを覗きに行く。
    花苗の売り場面積は狭く量はあまりないけれど、種類はそこそこ置いてあった。
    ローダンセマム2種類、オダマキ、リーフを3種、宿根草をひとつ買う。
    オステオスペルマムも欲しかったけれど、量が多くなるので断念。
    本格的に暖かくなってきたので、家にある花もだいぶ咲いてきた。
    地上部が完全に枯れて2、3ヶ月たったほんとにこれ大丈夫なんかな?と思っていた宿根アスターも芽吹いてきて生きてるんだと驚き。
    しかしフランネルフラワーは冬に水を切らしてしまって完全い枯らしてしまったみたい。
    フランネルフラワーはシルバーリーフが綺麗でかなり良かった。春も売り場に並ぶみたいなので新しいのが欲しい。
    アガパンサスは1種類芽吹きがまだなのでちょい心配。
    根は大丈夫そうだから生きてると思うけど。
    アネモネはとにかく水を吸うので水切れに気をつけたい。
    ビオラももりもりしてきた。
    楽しい季節到来。

  • 雪、また降った・園芸日記・新入り猫【2025年03月20日】

    雪、また降った・園芸日記・新入り猫【2025年03月20日】

    昨日は雪。
    この時期にまだ降るなんて。
    さすがにもう厳しい寒さはないようで園芸シーズン到来などと言われ始めた。
    地植えのプリムラジュリアンは3度の雪を乗り越えてモリモリと花を咲かせ始めた。
    幾つかあるアネモネも花芽がずいぶん上がってきている。
    試しで買ってきたのオレンジ系ラナンキュラスが思った以上に花が大きくて茎がしっかりしていて風にも耐えられそうで楽しみだ。
    まだ売っているので他の色も買ってみたい。
    ラナンキュラスラックスは育ててみたいが丈夫すぎて地植えにすると大きくなりすぎるらしいので、どうしたものか考えている。
    宿根草はいくつか欲しいものがある。
    エキナセア、ヘリアンサス、ヘリオプシス、の夏の花と少し立ちが上がるペンステモン、アンチューサ、アカンサスモリス、ロベリアなど。
    葉も楽しめるものの方が良いのだが。
    宿根草も放っておくとかなり大きくようなので、はてどこに植えようか。
    庭のユスラウメの枝を整理しようと思ったらもう、芽吹いていた。枯れ込んでいる風の枝と他の木と被りそうな枝を少し切る。

    この前、新宿京王百貨店のうえのグリーンギャラリーガーデンズに初めて行ってみたが仕事帰りだったので花苗は全て片付けられていて観葉しか見られなかった。
    屋上近辺を使った店舗で狭い割には色んなものが置いてあっていい感じ。
    花苗は屋上に並べているようなので日が沈む前に行かないと買えないらしい。
    パンパスグラスの大きなドライフラワーが置いてあって欲しくなった。置く所がないが。

    先週から保護猫を預かっている。
    年末に逝ってしまった猫と同じアメリカンカールの黒猫。
    老人の多頭飼育崩壊から救い出されたらしい。
    歯は犬歯1本残してなく、結膜炎を放ったらかしされたらしく上の瞼の皮が少し垂れ下がっている。
    推定6歳ということだが雄猫の割によく遊ぶのでもう少し若いかもしれない。
    初日からマイペースなのか人見知りもせず先住猫にもグイグイ迫っていて、先住猫の方が警戒しまくってやっと最近慣れてきたみたいだ。
    体は結構大きくて歯がないが食欲旺盛でドライフードもあまり苦にせず食べている。
    放ったらかしだった反動か初日は特に子猫のように擦り寄ってきて布団の中まで入ってきて寝ていた。
    まるで10年もここに住んでいるような雰囲気で腹を出して転がったりしていて人間の心をぐいと掴んでしまった。
    気管支炎を持っていたり目ヤニが多かったりうんちも柔らかいとか、心配なところは多々あるが懐いているので、一緒にやっていけそうである。

    外れスキル木の実マスターがもう直ぐ最終回。
    12本1年ほどかけて作って放送は3ヶ月とあっという間に終わってしまう。
    いや3ヶ月があっという間に感じるというのは制作する側の感覚でしかないのかもしれない。
    地上波での視聴が大きな指標で無くなった現在は見られているかどうかの数値化は難しいのかもしれないが、ABEMAの視聴回数は結構良かったみたいなので健闘したのだろう。
    視聴率で測れない、円盤が売れないという時代のヒットの指標は分かりにくい。SNSにもはっきり現れなくなった。
    観客の反応を知る術を探っていかないと次に繋げるのが難しい気はしている。
    もともとテレビ越しの観客の反応を知るというのは難しいものだったが、直接の観客と触れ合うイベントなどさらに必要なのかもしれない。
    委員会の成績を教えてくれるでもいいのだが。

    少し風邪を引いたり仕事が忙しかったりで、ほとんど家にこもっていたら膝が痛くなり出したりした。
    スタジオに出かけた日にしばらくぶりに散歩を決行。
    痛みは引いた。
    うーん、ほんとに運動を欠かすのはまずいなと思う。

  • もう雪は降らないか…?

    もう雪は降らないか…?

    また雪が降って、さすがに落ち着いたか。
    植物も新芽や花芽が上がってきたり春が近づいてきた感。
    一つ仕事のミッションを片付けたら気が抜けたのか風邪をひいた。
    熱も他の症状も酷くはないのだが微妙に長引いて、こちらもやっと落ち着いてきた。
    そもそも風邪をひいたのが、えらく久しぶりな気がする。
    コロナ禍の感染症対策が過剰なまでに行き届いていた頃は風邪が蔓延する余地もなかった訳だから日常が戻ってきたともいえるか。
    しかし、風邪もコロナも引いてなんの得もないので出来るだけ遠ざかっていたいものだ。

    大統領の口論などというのは初めて見た。
    そもそもあんなに長くメディアのカメラが入っているのが珍しい。口論などYouTubeなどを探せば幾らでも出てくる時代なので、今どきな出来事の一つなのかもしれない。
    とはいえ、あれだけ世界をざわつかせる口論が見られることはめったにない。
    現実の映像がフィクションの映像にどういう影響を与えるかは興味が尽きない。
    フィクションの中で感じるリアリティはこういうもので常に更新されているのだろう。
    シビルウォーは、ニュース映像的なリアリティーをよく再現していた。
    ただ映像のリアリティーだけでは物語のリアリティーは担保されない。
    ユーチューブにしろニュース映像にしろ、人が撮ったものに含まれる演出についても選り分けるのは難しい。

    今作っている作品との繋がりやら自分の興味もあって、渡部渚のエッセイを読んだ。
    時代は変わると言っても一様なグラデーションで変わる訳ではなくて斑にぐるぐると攪拌されながら良くも悪くもゆっくりとしか変わらない、というのは身に染みる。
    憂鬱ではあるが、ゆっくり攪拌するしかない。

  • Precious【2025年02月25日】

    Precious【2025年02月25日】

    時間が経てば大人になったり忘れたり、だいたいのものは変わっていくものだけれど、何かしらずっと残り続けたり変わらないことを発見すると、それは特別なのだということが伝わる。

    その変わらないものに自分が関与している時、嬉しい様な申し訳ない様ないたたまれないような、なんとも言えない気分を感じることがある。

    自分が関与していたとて、それはその人のものでその特別はその人が作りあげたものだから私の手柄では無い。しかし関わってしまっていて、あまつさえ感謝されたりするのは重たくのしかかってくる様に思えることもある。

    自分に、これ以上出来ることはあまり無いと思うと途方にくれる。

    しかし、その何かしらの特別を人の中に発見した時、もう少し頑張ろうか、という気も少し湧いてくる。

    途方に暮れつつも探り探り、もう少し歩いてみようか。

    週末に下地紫野のライブに行った。
    何か溢れて言葉が出てこず会わずにそのまま帰った。
    良いものを見た。

  • ストリーボード作成で学ぶ演出(のための準備)【04】「映画理論講義」

    ストリーボード作成で学ぶ演出(のための準備)【04】「映画理論講義」

    いろいろ探してみたけれど一般書で出ている映画理論の入門的な本は殆どなくて、2000年に勁草書房から出たこの本くらいしか見当たらなかった。今も新しい刷りで売り続けてるので参考に良さそう。

    映画理論講義 –映像の理解と探究のために

    著者:
    ジャック・オーモン
    アラン・ベルガラ
    ミシェル・マリー
    マルク・ヴェルネ

    訳者:
    武田 潔

    目次:

    序論 …………………………………………………………………………………. 3

    I 映画文献の分類 ……………………………………………………………… 5
    1 “一般的な”の出版物 ……………………………………………………. 6
    2 映画狂のための書物 ……………………………………………………. 7
    3 理論的著作 ……………………………………………………………… 8

    II 映画理論の諸相 ……………………………………………………………. 10
    1 “内発的”理論 …………………………………………………………. 10
    2 記述的理論 …………………………………………………………….. 11
    3 映画理論と文学 ……………………………………………………….. 11
    4 映画理論と技術的実践 ………………………………………………… 12
    5 映画理論の多様性 ……………………………………………………. 12
    注 ……………………………………………………………………………… 15

    第1章 視聴覚的表象としての映画 ………………………………………….. 19
    I 映画的空間 ……………………………………………………………….. 21
    II 奥行きの技巧 …………………………………………………………….. 32
    1 遠近法 …………………………………………………………………. 32
    2 被写界深度 ……………………………………………………………. 35
    III ショットの概念 ……………………………………………………………. 41
    IV 聴覚的表象としての映画 ………………………………………………… 48
    1 経済的=技術的要因とその歴史 ……………………………………… 48
    2 美的およびイデオロギー的要因 ……………………………………… 49
    注 ……………………………………………………………………………. 55

    第2章 モンタージュ …………………………………………………………… 61
    I モンタージュの原理 ………………………………………………………. 63
    1 モンタージュの対象 …………………………………………………… 67
    (1) 映画作品の一部分(映画的連辞)でショットよりも
    大きいもの …………………………………………………………. 67
    (2) 映画作品の一部分でショットよりも小さいもの …………………. 68
    (3) 映画作品の一部分でショットへの分割と(完全には)
    一致しないもの …………………………………………………… 69

    II モンタージュの機能 ……………………………………………………… 76
    1 経験的アプローチ ……………………………………………………. 76
    2 より体系的な記述 ……………………………………………………. 78
    (1) 「創造的」モンタージュ ………………………………………….. 79
    (2) 統辞的機能 ………………………………………………………. 80
    (3) 意味的機能 ………………………………………………………. 80
    (4) リズム的機能 …………………………………………………….. 82
    (5) モンタージュの分類法 …………………………………………… 83

    III モンタージュのイデオロギー …………………………………………… 83
    1 アンドレ・バザンと「透明性」の映画 …………………………………. 84
    (1) 「禁じられたモンタージュ」 ………………………………………. 85
    (2) 透明性 ……………………………………………………………. 87
    (3) つながりのためではないモンタージュの拒否 ………………….. 91
    2 セルゲイ・エイゼンシュテインと「映画の弁証法」 …………………. 92
    (1) 断片と衝突 ………………………………………………………. 97
    (2) モンタージュの概念の拡張 …………………………………….. 97
    (3) 観客に対する影響 ………………………………………………. 97
    注 ………………………………………………………………………….. 100

    第3章 映画と物語 …………………………………………………………… 105
    I 物語映画 ………………………………………………………………… 107
    1 映画と物語の出会い ………………………………………………… 107
    2 非物語映画――境界を定めることの難しさ ………………………. 109
    (1) 物語的/非物語的 …………………………………………….. 109
    (2) 境界の基準 …………………………………………………….. 109
    3 物語映画――研究の対象と目的 …………………………………… 111
    (1) 研究の対象 …………………………………………………….. 113
    (2) 研究の目的 …………………………………………………….. 113

    II フィクション映画 ………………………………………………………… 115
    1 あらゆる映画はフィクション映画である ……………………………. 119
    2 指向対象の問題 …………………………………………………….. 119
    3 物語言表、物語叙述、物語世界 …………………………………… 121

    第4章 映画と言語活動 …………………………………………………….. 187
    I 映画言語 ………………………………………………………………… 189
    1 古くからある概念 ……………………………………………………. 190
    2 初期の理論家たち ………………………………………………….. 192
    3 「映画の文法」 ………………………………………………………. 197
    4 映画における言語活動についての古典的理論 …………………… 201
    (1) 伝統的な映画言語 …………………………………………….. 202
    (2) 言語活動の消滅に向けて? …………………………………… 203
    5 記号なき言語活動 ………………………………………………….. 206

    II 映画――言語か言語活動か? ………………………………………… 209
    1 映画的言語活動と言語 …………………………………………….. 210
    (1) 言語の多様性と映画言語の一律性 …………………………… 211
    (2) 言語活動、コミュニケーション、極の入れ換え ……………….. 214
    (3) 映画言語の類同的なレヴェル ………………………………… 215
    (4) 線状性と離散的単位の存在 ………………………………….. 216
    はい、続きをお送りします:

    (5) 映画における分節の問題 ………………………………………. 216
    2 映画の理解可能性 ………………………………………………….. 218
    (1) 知覚的類同性 ………………………………………………….. 219
    (2) 「質料的希釈のコード」 ………………………………………… 221
    (3) 映画特有の記述形式の形象 ………………………………….. 223

    III 映画的言語活動の不均質性 ………………………………………….. 228
    1 表現素材 …………………………………………………………….. 228
    2 記号学におけるコードの概念 ……………………………………… 230
    3 映画に固有なコード ……………………………………………….. 232
    4 映画に非固有なコード …………………………………………….. 235

    IV 映画作品のテクスト分析 ………………………………………………. 237
    1 「言語活動と映画」における「映画作品のテクスト」という概念 …… 238
    2 実例――D・W・グリフィスの『イントレランス』
    におけるテクストのシステム ……………………………………… 240
    3 文学の記号学におけるテクストの概念 ……………………………. 242
    4 テクスト分析の抑制性と理論的射程 ………………………………. 248
    (1) テクスト分析の主要な特徴 ……………………………………. 248
    (2) テクスト分析における具体的な困難 …………………………… 251
    注 ………………………………………………………………………….. 259

    結論 ………………………………………………………………………….. 351
    注 ……………………………………………………………………………. 359

    参考文献(I、II)……………………………………………………………. 363
    用語対照表 …………………………………………………………………. 403
    索引(人名、映画題名、事項)…………………………………………….. 417
    訳者あとがき ……………………………………………………………….. 453

    原書は初版が1983年、改訂が94年らしいので30年くらい前にフランスで出版されたらしい。

    私が学生の頃なので参考で扱ってる映画も古いがまあ仕方ない。

    少し読んでみたが凄く抽象的な部分はあるけど、使えそう。

    映画評論はずいぶん沢山出ているし理論的な更新みたいなものは無いのか?と思うけど無いのかもしれない。

    渡邊大輔が言ってることなんかは新しいと思うけど、入門としては必要ないのか…いやそうでもないような。

    YouTubeはじめ映像メディアは様々広がっているので本当は更新されて良さそうだが。

    学校などでは、どういう本を教科書で使っているのだろうか?

    私が見つけられないだけで、良い本があるのかもしれない。
    フィルムアート社から出ている入門書的なものは実務的だけど理論が薄そう。パラパラめくってみただけなんでわからないが。

    認知科学とかも随分進んでいるので、その辺りを引いたものもありそうなものなのだが。

    その辺を調べ出すと無限に時間がかかりそうなので躊躇してしまうが、多少はやらないとダメそうだ。
    そのあたりは良さげな本のあたりがついてるので。

    私が学生の時は、ほしのあきら「フィルムメイキング」を使ってた。本人が講師だからだが。
    エイゼンシュタインの理論などは、ぱらぱら読んだけど流石に嘘でしょみたいな部分も多くて今素朴には読めない。

    「映画理論講義」はそのへんもざっくり整理してあるみたい。とにかくざっくりでも読まないとなぁ…。

    実務的なものは他にも良さげな本があるので、参考にしようと思う。最近の学生はそういうのを読んでるのかもしれない。

    映画記号論的なものはだいぶ前に死滅してしまったようで、理論書は流行らなくなったのかも。
    私が教わった浅沼圭二で終わってるぽい。

    映画分析的な本は色々ある。
    苦手な蓮實重彦もめくってみるべきなのかもしれないが。

    私のやろうとしてることも、どちらかというと実務寄りだし。

    久しぶりに更新。