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  • どうにもこうにも暑い【2024年08月03日】

    どうにもこうにも暑い【2024年08月03日】

    暑くて全てのやる気が溶けていくような気がしてしまう。
    しかし、少しずつ体調は上向いてありがたい。
    睡眠時間が増えているのが良いのか…原因はよく分からない。
    睡眠は歳のせいもあり上手く眠れないことも多いのだが、やはり眠れると調子は良い気がする。
    そして気づけば8月。

    先日はアイカツ!のライブが久しぶりに行われていて、相変わらず盛り上がっていた。
    私は配信で見ていたのだけれど、ドリアカのキャストが顔を合わせているのを見るのは久しぶり。
    みんな元気そうで何よりだ。
    もう久しく関わっていない作品について語ってくっるだけでもありがたい。
    次はあかり世代括りでイベントをやるそうで、しかも結構大きな会場だから埋まるのかしらと心配しつつ、私も少し手伝うので楽しんでもらえるものになるんんじゃないかと思
    昨日、仕事で若い各話演出に今回のコンテのフィードバックをくれというようなことを言われたのだが、もはやその人はここしばらくですっかり腕を上げて(いやアニメーターの経験も長いし最初から上手かったのだけれど)特に私がどうこう言うような事はない。
    上手くなると何か言われる機会はどんどん減っていくので他人の意見が聞きたいというのは分かるので何かアドバイスしようとは思うけど、ある程度の力をつけた演出がステップアップするには監督業をやるしかない。

    各話演出ではお話の部分に関われないので、そこに踏み込めるのは監督業である。
    しかし、監督業は外からは見えづらい仕事がたくさん襲いかかってくる。
    およそクリエイティブではないと思われる政治的な交渉やトラブルシューティングなど真面目な人ほど其のストレスは尋常ではないと思う。
    他人の絵コンテを直すといのも各話演出にはない仕事で、良いコンテが如何にありがたいかというのが身に沁みるし自分の不出来な部分も実はよく分かったりする。
    自分が描けないような絵コンテに出会うと刺激を受けつつ打ちのめされ、イメージと違う(下手なコンテというのではなく話やキャラクターの解釈違い、演出論の違いなどがある)コンテには直しの時間の無さで苦悩する。

    自分というのは一人しかいないのだと思わされるのが監督業だ。
    自分と同じイメージを持てるのは自分しかいない。
    当然、自分の考えと同じ絵コンテなど上がってこないし、同じ演出など基本的には行われない。
    上手い人は、なるべくそこを近づけてくれる。

    オーソドックスな演出というものはあって、私が各話演出の時はなるべく監督が直しやすいような絵コンテを心がけていた。
    演出は直しようがないので、絵コンテを与えられたスタッフでなるべく最良の形で具現化できるように心がけた。
    監督が近くにいる場合は監督の手をなるべく煩わせない程度に意見を聞くなども。(若い時はてんで好き勝手をやっていたこともあったけれど…)

    監督と各話の演出は同じ人間ではないのだし、最後はお互いの信頼の中でベストを尽くすしかない。

    しかし、オーソドックスな演出というのは特に教科書みたいなものがあるわけではないので、共有されていないところには全く共有されていないものなのだというのは最近になって感じるようになった。

    オーソドックスというものは良くも悪くも色がない状態なので作品によってアレンジが必要だとは思うのだが、分かっていれば作品や監督の趣向がよく分からない場合でもアレンジしやすいような形で素材を提供可能になるのではないかと思う。

    監督をコンスタントにやっているような人の絵コンテは、大体これが出来ているように思う。

    しかし明らかにオーソドックスなスタイルを知らない(あるいはわざと避ける)人というのはいて、それは時に結構困ったりする。
    よく話題に上がるイマジナリーラインに対する考え方などが違うと、もう大変な直しになったりするので、オーソドックスな考え方は共有されていた方が良いと思う。

    作品によるスタイルの違いなどを超えて一般的な方法論というのはいろんな仕事をするタイプの人は特に知っていると楽だと思う。

    メモ的にここで少しづつまとめてみようか。

  • 「体はゆく」「言語の本質」【2024年07月31日】

    「体はゆく」「言語の本質」【2024年07月31日】

    暑すぎる。
    日傘を差す男性も最近はだいぶ増えた。ただ歩いてるだけでも頭が痛くなってくる気候では必須アイテムになりそう。特に中年以降には。熱中症になるより傘を持ち歩く面倒くささの方がマシだと思う。

    最近読んだ本。伊藤亜紗「体はゆく」、秋田喜美・今井むつみ「言語の本質」

    「体がゆくは」どのように人間の体が出来るようになるかをテーマにテクノロジー系の研究者を取り上げて対談形式で研究を語っている。
    ピアノ練習を補助する装置として指に機械を装着して教師や自分のベストな演奏を指先に再現する技術というのが出てきて自分の体にベストな動きを再現することで体で理解することができる、という話が面白かった。
    けん玉などもバーチャルで練習すると意外に皆出来るようになるとか。

    絵でも上手い人が絵を描く動きを体に再現させることで上達するかもしれない。
    絵を描くという行為もかなり身体的なので体で覚えるというのは必要、とにかく描けというやつである。
    しかし盲滅法に体を動かしても当たる確率は低めなので体を動かす装置があったら大分効率は良さそうである。
    スポーツ選手がビデオで自分がベストの時の映像を見るというのもその類のようで、上手い人が絵を描くのを後ろか見ると同じような効果があるのかもしれない。

    体が頭というか意識に上らないところで動いていて、それを使って意識や体に変容をもたらすことが出来るというのは面白い。
    頭と体の関係は一筋縄ではない…というか頭も体の一部なので分けて考えるということで見失ってるものがあるのかもしれない。

    「言語の本質」もなかなか面白かった。
    オノマトペというのは言語の原初的な形で、そこから言語がどのように作られていったのか、という仮説を組み立てている。
    前半はオノマトペが言語の中でどういう立ち位置なのかという検証(実験などを紹介しつつ)なのでちょっとまどろっこしくて飽きてしまうかもしれないが、ざっくりとばして後半の面白いところだけ読むのでもいいかもしれない。
    オノマトペがアイコン性の高い言葉(ビジュアル的なアイコンと似たような)で音の具象をもしたところから始まっている、なので幼児と会話する時にオノマトペが用いられることが多い、ということだけ押さえれば後半は問題なく読めると思う。
    記号接地の問題について論じたかったというようなことを著者の一人である今井むつみが話していたので読んだのだが、オノマトペは記号接地のキーワードということらしい。
    なるほど、ではある。
    あ、記号接地の話に興味がある場合は前半も面白いかもしれない。

    先週末は、ものすごく久しぶりに大橋彩香のライブに行った。
    もうすっかり貫禄のついたステージで、年月を感じる。
    日本のポップカルチャー最前線はマンガ・アニメ文化の周辺にあると思わされた。

    少し仕事の待ち時間があったので噂の「ルックバック」も昨日見られた。
    なるほど、丁寧に作っている。
    短いのでちょっとした隙間に見られるし、この形態が成功したらアニメ興行の新しいスタイルになるかもしれない。

    話の筋は概ね原作通りなのだろうか。原作は未見。
    監督が思い入れて作っているのは、この話の主人公に自分を重ねているからなんだろう。
    思い入れて作っていなければ自分でほとんどの原画を書いたりはできない。
    私も主人公の気分は分かりすぎるほどによく分かる。
    が、感動したかと言われると、ピンと来なかった。
    周りでは若者が啜り泣いていて、帰りのエレベーターでも感動を口にして語らっていた。
    私はというと淡々と見られてしまった…それは何故なのか考えてみると面白そうだと思う。

    ちょいネタバレあり。

    劇中でのテーマそのものだが、素描力があるということと伝わる絵が描けるというのはニアイコールで同じではない。
    これは、そのまま当の映画に批評的に向けられてしまう視線でもありうる。

    年齢によっても感じ方は違うかもしれない。
    私などはそりゃそうだろう、と思うラストなのだが、若者なら強いカタルシスを得られるかもしれない。

    短尺の漫画道みたいな話なので、短尺ゆえの話の作りの難しさもありそうだ。

    主人公と観客の距離感の取り方は少し遠めに作ってあるのではないか、といのは私の印象で、それは感動ポルノみたいな印象を上手く避けている一方、主人公を分かりにくくさせているのかもしれない。
    スラムダンク前半のクールさを彷彿とさせる。

    大学での凶行イメージはドラマ的には不要だったように思うが、原作ものでもあるし主人公の漫画とも絡むネタではあるからカットは難しいにしても、もっと淡白にした方が分かりやすかったかもしれない。

    クリエーターあるあるみたいな作りの主人公の話なのと、ビジュアルの力が非常にあって、色々考えてみたくなる作品であった。

  • しばらくぶりの連絡【2024年07月21日】

    しばらくぶりの連絡【2024年07月21日】

    しばらく会っていなかった人たちから連絡をもらい、ご飯を食べたりということが最近つづく。
    たまたまなのだろうが不思議なものだ。

    別に一緒に仕事をということでなくても、お互い元気にやっているのが確認できると安堵する。
    歳の近い人は会わずに後悔することもあるやもしれんと思うと、少し無理してでも出かけようという気になる。
    わざわざ私なんかに連絡をくれる人というのも少ないし。

    仕事を一緒にしていないと会う機会は、なかなか無い。連絡する機会が減るから。
    よほど仲が良くても歳を食うほどに会う機会は減っていく。
    家の事情、仕事の事情、体力など様々な理由で会えないことはよくある。

    会えば時間はあっという間に巻き戻る。が、ずっと止まったままとも言える。
    その間に何があったのか分かり得なかったり聞くのも憚られることもあるけれど、それはそれでいいような気がする。
    何かあればまた会えばいい。


    少し仕事が落ち着いた。
    休み休みでないとなかなか前に進めない、歳には逆らえない。

    とはいえ、のんびりと休むという暇があるわけでもなく。

    友人の笑った顔に少し元気をもらったので頑張りましょう。

  • 今週読んだ本とか【2024年7月14日】

    今週読んだ本とか【2024年7月14日】

    自分ごとでも嫌なことでも無いのだが、とある事があって今週はずっと憂鬱な気分だった。
    しばらくは引きずってしまいそう。

    久しぶりにアニメ関係の本を買った。
    「TOROYCAアニメ撮影テクニック」「井上俊之の作画遊蕩」「アニメーション動きのガイドブック」

    TOROYCAの本は最近のアニメ撮影の雰囲気を知るのに良い。
    メインの著者TOROYCAの取締役でもある加藤くんは私の初監督作の撮影監督でもあり、今や数々の作品の撮影を担当している。もう一人、一番担当記事が多い津田くんは最近の新海誠作品の撮影監督でもある。

    基本的にかなり作り込むタイプの撮影。
    もう少しぱっと見は分からないような処理を重ねるタイプの撮影もいる。

    売れ筋の作品は撮影で作りこんでいるものが多い印象なので主流と言えるんじゃなかろうか。

    本には細かなプラグインなども記載してあるので本業の人が見ても参考になりそう。
    私はよく分からないので雰囲気だけ味わった。

    井上さんの本は、遊蕩というには極めて真面目にアニメのレイアウトについて語っているのだけど、井上さんの語り口が熱っぽくてとても良い。
    井上さんのようなベテランが今だに熱量高く仕事に対峙しているというのは胸が熱くなる。

    本の中で提唱されているレイアウトキーポーズ制度。
    昔のレイアウトはシートにはラフなタイミングしかないかタイミングは書かれておらず、原画のように細かな演技は描かれておらず背景の発注に必要なキーになるポーズだけ描かれているだけだった。
    現在はラフ原画がレイアウトの時に描かれるのは当たり前になっていて、しかしそれらを作画監督が修正するのは難しいし不可能なのでキーポーズだけにしてレイアウトを描き、作画監督が修正したものを原画マンに戻した方が効率的、大雑把にいうとこんな事だ。

    昔は、その通りのシステムだったのだが、幾つかの理由からこのやり方は現在は使われていない。
    一つ大きな問題は音響スケジュールとの関係性。
    全て絵が完成してからアフレコ以降の音響作業が行われるようなスケジュールなら、上記のレイアウトキーポーズシステムは十全に機能する。
    しかし、絵のスケジュールの遅れから絵が完成しないまま音響作業に突入せざるを得ない現場は昔から沢山あった。
    特にテレビアニメーションであれば放送日に間に合わせるために絵と並行で音響作業を進めなくては行けないという事がよく起こった。
    これが90年代後半に深夜アニメが増え始めてから、スタッフが足りなくなっていきスケジュールは劇的に悪くなっていく。
    せめて、原画作業まで終わっていれば音響作業は何とかならなくも無いのだが、それも出来なくなっていき、レイアウト撮と言われる状態で編集から音響作業をしなければならなくなっていく。
    そこで問題になるのがキーポーズしかないレイアウトで、キーポーズは原画ではないから大雑把な動きしかわからない。さらにタイムシートも付いていなかったりする。
    初めは原画にならなかった残りのレイアウトのキーポーズは原画マンに戻してラフ原画(!)にしてもらったり演出や作画監督が絵を足して編集に対応する事で、ギリギリ何とかなっていた。
    しかし、それも量が多くなると対応しきれなくなり、であれば最初からラフ原画を描いてもらった方が良いじゃないか、というような流れで急速にレイアウト・ラフ原制度に変わっていった。

    その他にキーポーズだけに作画監督が修正を入れるケースでは、まともな原画マンであれば良いのだが作画監督の修正があるところだけしか形が描けない、あるいは第2原画に出されて、やはり修正のあるところしか拾えない、あるいは修正のあるところすら拾えないみたいな事態も起こるようになっていったのも一つの要因という気がする。
    他にも理由はあると思うが、大まかにはこんなところか。

    みんな現行の体制に慣れきってしまっているので、修正は難しい問題が横たわっていると思うが効率良い制作体制は考えないと辛いばかりというのはそうだろう。


    アニメーションの動きのガイドブック、は動画協会でやっているアニメーションブートキャンプというワークショップの内容をまとめたものだ。まだちゃんと読んでないが…。
    単純な作画の技法書というよりは、劇団なんかがやっている役者へのワークショップに近いものがある、と思うし実際参考にしているようだ。
    作画以前の演技とか人に伝えるとは?みたいなことを扱っていて文章多めで技法書っぽくないのであるが、これは意外と面白い。
    スタジオで新人に何か教えるような事がある人は読んでおくと参考になると思う。
    作画だけでなく色んな職種の人が読むといい。

    デジタル環境が整えば商業アニメも、もう少し表現の幅が広がると思うのだが、そこまでいくにはまだだいぶ時間がかかりそうだ。
    遊びで試行錯誤する時間があるといいのだけど…。

  • 暑さが身に染みる【2024年07月07日】

    暑さが身に染みる【2024年07月07日】

    急激な暑さが襲ってきた今日この頃。
    少し外に出ただけで、くらくらと眩暈がしてくる。
    植物も日にあたりすぎると弱ってしまうものは日陰で過ごさせたりしなければならない。
    もう日本は亜熱帯のようだ。

    滑り込みでオッペンハイマーを見た。
    都内の劇場だともう終わりかけだが新宿東宝のIMAXでやっていたので仕事帰りに見に行った。
    仕事帰りに3時間の映画は、ちとしんどいな…と思っていたが意外と集中して見られた。

    音響のイメージがかなり重要な作品だったのでIMAXで見られたことはラッキーだった。
    原爆作成の過程から完成辺りは、微妙な気分になるのだが、人間の奇妙さのようなものをオッペンハイマーを通して良く描いている。
    単なるドキュメンタリー的ではない手法で人間の内面と表層を表現していて面白かった。
    史実的なところはダイジェスト的な作りになっているので、本などを読まないと良くわからないことも多々ある。
    反戦映画という訳でもなく、かなり変わった趣向の映画だと思った。

    最近、臨床心理の本を読んでいるせいか子供の頃のことをポロポロ思い出したり考えたりするのだが、それとも重なるような映画だ。

    映画を見た以外は仕事ばかりで書けるようなこともない。

    一つあった、アイカツ!のスタッフだった人と今やっている現場で顔を合わせた。
    元気にやっているのがわかるのは嬉しい。

    もうしばらく仕事漬けなのは致し方ない。

  • 園芸勉強中【2024年07月01日】

    園芸勉強中【2024年07月01日】

    WordPressを使っているのだけれどブログにもAIアシスタントが付いている。
    スペルチェックとか要約とかやってくれるということかな?

    7月だ。
    梅雨に入ってから、あまり梅雨らしくないような気がする。

    藤井聡太がついに8冠の一角を伊藤匠に明け渡した。
    羽生も7冠を保持していたのはそう長い期間ではなかったが、藤井聡太は
    一度くらいは全部防衛するかと思っていた。
    タイトル戦で敗れたのはこれが初めてなのだから、凄いことなのだが。

    家で本を読む時間がないので携帯で読書。
    また東畑開人の「なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない」
    途中だけど今井むつみ・秋田喜美「言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか」

    「なんでも見つかる…」はカウンセリングとはどんなものなのかが事例風の物語を使ってわかりやすく解説されている。途中の女性事例のオチはよく出来すぎていて、おお…と感動した。
    事例といっても守秘義務があるわけだし、かなり創作な筈だがよく出来ている。

    先週は細々と予定が詰まって忙しかった。
    なかなかまとまった時間がとれず、仕事の進みは芳しくない。
    最近は園芸YouTubeばかり見ているので人のうちの庭が気になる。
    狭い玄関先でも偉い凝ったことをやっている人がいたり庭先に植わっているの樹木や花が気になったり。
    多少分かるようになると面白いものだ。
    ちょっとした移動の時の楽しみになっている。
    玄関先の雑草取りさえ楽しい。

    自分でも鉢で何か育ててみたいが…。

  • お仕事ヒーリング【2024年06月22日】

    お仕事ヒーリング【2024年06月22日】

    東畑開人「野の医者は笑う」をザーッと読んだ。
    面白い。
    東畑の沖縄在住時代に沖縄の様々なヒーラーについて調べた話でとても軽い筆致で書かれているので異常に読みやすい。
    そして登場する人たちが皆んな魅力的だ。

    「野の医者たちは癒す機会を欲している。そのことで自分自身が癒やされるからだ」

    果たして自分も半分ヒーリングのために仕事をしているように思える。

    かつてアニメに癒されたように他人を癒したい、他人を癒すことそのものが自分の癒やしにつながっっていると言う訳だ。

    いろんな仕事であるあるの話だと思うが、実際アニメ業界のクソ安いギャラで皆んなが作品を作り続けてきた原動力は自分自身への癒しの効果に他ならないのではないだろうか。そう思うと色々と合点がいく。

    庵野秀明もエヴァは自分と皆んなの癒し(金儲けとかも含めて)のために作った、みたいなことを話していた。(だが、さらに鬱が深まったとも言っていた)

    作っている最中は、いつもこんな面倒なことやってさらに金も儲からなくて何でこんなことをやっているんだと思うことは1度や2度ではない。が、出来上がった作品が案外良くできていたりするとすぐに忘れてしまう、とまでは言わないが怒りがスーッと冷めていってしまうようなことはある。

    癒し効果が絶大だったからこそ、労働環境が何十年も蔑ろにされ続けてきたと言う側面もあったのではないかと思わざるを得ない。

    90年代あたりまではアニメ文化は作り手も受けても若者が担っていた。
    だからこそ、そのような状況で耐えられたのかもしれない。

    しかし、作り手たちはどんどん歳を取り、仕事の癒しの効果も劇的に低下しているものと思われる。
    アニメ業界・高齢化問題は非常にやばいと思う。
    やばいからといってすぐにどうこうなるものでもなく、アニメ業界のでだけの問題でもない。

    明日はJAniCAの総会。JAniCAは多少なりとも労働環境の改善に果たした役割は大きいと思うものの、時代の変化のスピードは上がるばかりで全てに対応するのはとても難しい。

    本の中に出てくる野の医者たちの多くは、困難な人生を生きている。そこには何か共感するものがあり、愛おしくもなる。

  • Hard days【2024年06月17日】

    Hard days【2024年06月17日】

    先週も黙々と仕事。
    とある会議で雑談中、北米で受けてるアニメが日本と違い過ぎるという話。

    ファンタジー系、ジャンプ系は根強い人気で、日本ではあまり話題にならないアニメが
    配信などの上位に食い込んでいるとのことでランキングを見せてもらいつつ、なるほど。

    国が違うんだから、そりゃあ人気作品が違うのは分かるのだが何が受けているのか皆んな肌感で
    分からない。
    アニメも漫画も、かなり海外のマーケットが大きな割合を占めるようになった今、クリエーターが
    感覚的にお客さんの面白がっている勘所を掴めないというのは宜しくない。

    しかし、ファンとコミュニケーションを持つ機会もなかなか無い訳だしどうしたものだろう。

    マーケットが拡大していけば、良くも悪くも共通言語は増えていくのだろうけど、どこまでいっても
    根本的な文化は違うわけで。
    ハリウッド映画のように巨大なマーケットができたとしても、今海外映画が振るわなくなっている
    ような状況になることは、いつでも考えうる。

    よく分からないけど受けている状況というのも、それはそれで面白くて分からないままでいた方が
    面白いかもしれない。
    文化は平気で国も人種も超えていく。

    最近人気になった某ちょいエロアニメのグッズを中国のファンが大量買いしていくらしいが、彼らは母国の税関を通れるのだろうか。おたくのエネルギーは、どこでも変わらない。

    セクシー田中さん問題についても色々話したり…。

    原作とアニメ現場で概ね上手くいっているところが多いとは思うのだが、上手くいっていないところもやはりあるようで。

    なにはともあれ楽しく仕事が出来るよう願うばかりだ。

    仕事の話はすぐ終わった。

  • こころ【2024年06月10日】

    こころ【2024年06月10日】

    夏目漱石の「こころ」を仕事絡みで読んだ。
    恋愛のもつれで友人に自殺された男が心を釘付けされていた、という話。
    心が釘付けで体が動かないというのはよくわかる。

    まだ読み始めてばかりだが、伊藤亜沙の「体はゆく:できるを科学する」は心を体が超えてゆくという話。

    体が超えていくというのは、歳を食って分かるようになった気がする。
    意識していることしか出来なかったら新しいことは出来ない。出来るようになるというのは体がひょいと動くようになってしまうことで、それとテクノロジーの関係というのが、この本の肝らしい…まだ読み始めたばかりなので良く分かっていない。

    心と体のバランスで人は進んでいく、というのはそりゃそうなのだろうけど、大体の人間はどちらかに偏っているから上手くいかない。

    私は、どちらかというと頭でっかちで体が動かない派だった。
    けど、歳を食って少し変わった気はする。別に運動するようになったわけではない。

    絵を描くにしても体を動かして分かることが随分ある。
    逆に動かしてみないと分からないことが沢山ある。

    もう少し若い時に、こういうことに気づけていればね、と思うけど、そしたら違う人生だったんだろう。

    今は気楽に体を動かそうと思えるので、昔よりやりたいことが増えたかもしれない。
    もちろん人生はもう長くないので凄く何かが上手くなったり、することはない事は分かっているのだが年老いた体なりに楽しめることは色々あろうと思う。

    夏目漱石、あまり読んでないし、とてつもなく久しぶりに読んだが、文章の読みやすさに驚きを感じた。

    そして53歳になった。

  • 評伝を使って世代を語る【2024年05月27日】

    評伝を使って世代を語る【2024年05月27日】

    webちくまで富野由悠季の評伝を藤津亮太氏が書いている。
    これがとても面白そうだ。
    面白そうだというのは、まだ連載2回目までだからだけど2回目でやろうとしている事が大分見えている。

    よくあるやり方ではあるけれど、富野由悠季を語ることによって70〜80年台のアニメの諸々の歴史を語ろうという事だと思う。

    これはとても面白い試みだ。

    富野さんは本人のキャラも相まってかあまりまともに語られてきた印象がない。
    第二次アニメブームの頃の歴史的な流れも実は真正面に語られてきたことはあまりないように思う。

    氷川さんがロボットアニメの歴史を概観するようなものや、サブカルチャーの中の文脈として語られるくらいしか知らない。

    藤津さんは大分前から評論家的な態度を取ろうとしてきたと思うが、その実仕事としてはライター的な仕事が多くて読んでいると歯痒さを感じていた。

    アニメ誌などライター仕事というのは提灯記事的なものにならざるを得ない。

    しかし、今回の文章は何か吹っ切れたような印象もあり藤津さんの代表作になることを期待させる。

    良い批評は作品の質も向上させると思う。
    漫画はある程度それが叶っている。

    アニメも良い批評があった方が良いと思うが、儲からないだろうなとも思う。

    80年代あたりまではアニメ誌でも批評的なことは行われていて読まれていたと思う。

    しかしいつしかライトな記事だけになりキャラについてしか語られなくなった。

    私がインタビューなどで答えるときもキャラに関する質問が多くて、メタ的な作り手の内部に踏み込んでくるようなことはほとんど聞かれない。

    聞かれてそれがあるという訳でもないけれど。

    50年近く経ってやっと、あの頃のブームや何が起きていたのかという事が語られそうな予感がしてワクワクしている。

    アイキャッチ画像そろそろ替えるか…。