時間が経てば大人になったり忘れたり、だいたいのものは変わっていくものだけれど、何かしらずっと残り続けたり変わらないことを発見すると、それは特別なのだということが伝わる。
その変わらないものに自分が関与している時、嬉しい様な申し訳ない様ないたたまれないような、なんとも言えない気分を感じることがある。
自分が関与していたとて、それはその人のものでその特別はその人が作りあげたものだから私の手柄では無い。しかし関わってしまっていて、あまつさえ感謝されたりするのは重たくのしかかってくる様に思えることもある。
自分に、これ以上出来ることはあまり無いと思うと途方にくれる。
しかし、その何かしらの特別を人の中に発見した時、もう少し頑張ろうか、という気も少し湧いてくる。
途方に暮れつつも探り探り、もう少し歩いてみようか。
週末に下地紫野のライブに行った。
何か溢れて言葉が出てこず会わずにそのまま帰った。
良いものを見た。
投稿者: 木村隆一
ストリーボード作成で学ぶ演出(のための準備)【04】「映画理論講義」
いろいろ探してみたけれど一般書で出ている映画理論の入門的な本は殆どなくて、2000年に勁草書房から出たこの本くらいしか見当たらなかった。今も新しい刷りで売り続けてるので参考に良さそう。
映画理論講義 –映像の理解と探究のために
著者:
ジャック・オーモン
アラン・ベルガラ
ミシェル・マリー
マルク・ヴェルネ
訳者:
武田 潔
目次:
序論 …………………………………………………………………………………. 3
I 映画文献の分類 ……………………………………………………………… 5
1 “一般的な”の出版物 ……………………………………………………. 6
2 映画狂のための書物 ……………………………………………………. 7
3 理論的著作 ……………………………………………………………… 8
II 映画理論の諸相 ……………………………………………………………. 10
1 “内発的”理論 …………………………………………………………. 10
2 記述的理論 …………………………………………………………….. 11
3 映画理論と文学 ……………………………………………………….. 11
4 映画理論と技術的実践 ………………………………………………… 12
5 映画理論の多様性 ……………………………………………………. 12
注 ……………………………………………………………………………… 15
第1章 視聴覚的表象としての映画 ………………………………………….. 19
I 映画的空間 ……………………………………………………………….. 21
II 奥行きの技巧 …………………………………………………………….. 32
1 遠近法 …………………………………………………………………. 32
2 被写界深度 ……………………………………………………………. 35
III ショットの概念 ……………………………………………………………. 41
IV 聴覚的表象としての映画 ………………………………………………… 48
1 経済的=技術的要因とその歴史 ……………………………………… 48
2 美的およびイデオロギー的要因 ……………………………………… 49
注 ……………………………………………………………………………. 55
第2章 モンタージュ …………………………………………………………… 61
I モンタージュの原理 ………………………………………………………. 63
1 モンタージュの対象 …………………………………………………… 67
(1) 映画作品の一部分(映画的連辞)でショットよりも
大きいもの …………………………………………………………. 67
(2) 映画作品の一部分でショットよりも小さいもの …………………. 68
(3) 映画作品の一部分でショットへの分割と(完全には)
一致しないもの …………………………………………………… 69
II モンタージュの機能 ……………………………………………………… 76
1 経験的アプローチ ……………………………………………………. 76
2 より体系的な記述 ……………………………………………………. 78
(1) 「創造的」モンタージュ ………………………………………….. 79
(2) 統辞的機能 ………………………………………………………. 80
(3) 意味的機能 ………………………………………………………. 80
(4) リズム的機能 …………………………………………………….. 82
(5) モンタージュの分類法 …………………………………………… 83
III モンタージュのイデオロギー …………………………………………… 83
1 アンドレ・バザンと「透明性」の映画 …………………………………. 84
(1) 「禁じられたモンタージュ」 ………………………………………. 85
(2) 透明性 ……………………………………………………………. 87
(3) つながりのためではないモンタージュの拒否 ………………….. 91
2 セルゲイ・エイゼンシュテインと「映画の弁証法」 …………………. 92
(1) 断片と衝突 ………………………………………………………. 97
(2) モンタージュの概念の拡張 …………………………………….. 97
(3) 観客に対する影響 ………………………………………………. 97
注 ………………………………………………………………………….. 100
第3章 映画と物語 …………………………………………………………… 105
I 物語映画 ………………………………………………………………… 107
1 映画と物語の出会い ………………………………………………… 107
2 非物語映画――境界を定めることの難しさ ………………………. 109
(1) 物語的/非物語的 …………………………………………….. 109
(2) 境界の基準 …………………………………………………….. 109
3 物語映画――研究の対象と目的 …………………………………… 111
(1) 研究の対象 …………………………………………………….. 113
(2) 研究の目的 …………………………………………………….. 113
II フィクション映画 ………………………………………………………… 115
1 あらゆる映画はフィクション映画である ……………………………. 119
2 指向対象の問題 …………………………………………………….. 119
3 物語言表、物語叙述、物語世界 …………………………………… 121
第4章 映画と言語活動 …………………………………………………….. 187
I 映画言語 ………………………………………………………………… 189
1 古くからある概念 ……………………………………………………. 190
2 初期の理論家たち ………………………………………………….. 192
3 「映画の文法」 ………………………………………………………. 197
4 映画における言語活動についての古典的理論 …………………… 201
(1) 伝統的な映画言語 …………………………………………….. 202
(2) 言語活動の消滅に向けて? …………………………………… 203
5 記号なき言語活動 ………………………………………………….. 206
II 映画――言語か言語活動か? ………………………………………… 209
1 映画的言語活動と言語 …………………………………………….. 210
(1) 言語の多様性と映画言語の一律性 …………………………… 211
(2) 言語活動、コミュニケーション、極の入れ換え ……………….. 214
(3) 映画言語の類同的なレヴェル ………………………………… 215
(4) 線状性と離散的単位の存在 ………………………………….. 216
はい、続きをお送りします:
(5) 映画における分節の問題 ………………………………………. 216
2 映画の理解可能性 ………………………………………………….. 218
(1) 知覚的類同性 ………………………………………………….. 219
(2) 「質料的希釈のコード」 ………………………………………… 221
(3) 映画特有の記述形式の形象 ………………………………….. 223
III 映画的言語活動の不均質性 ………………………………………….. 228
1 表現素材 …………………………………………………………….. 228
2 記号学におけるコードの概念 ……………………………………… 230
3 映画に固有なコード ……………………………………………….. 232
4 映画に非固有なコード …………………………………………….. 235
IV 映画作品のテクスト分析 ………………………………………………. 237
1 「言語活動と映画」における「映画作品のテクスト」という概念 …… 238
2 実例――D・W・グリフィスの『イントレランス』
におけるテクストのシステム ……………………………………… 240
3 文学の記号学におけるテクストの概念 ……………………………. 242
4 テクスト分析の抑制性と理論的射程 ………………………………. 248
(1) テクスト分析の主要な特徴 ……………………………………. 248
(2) テクスト分析における具体的な困難 …………………………… 251
注 ………………………………………………………………………….. 259
結論 ………………………………………………………………………….. 351
注 ……………………………………………………………………………. 359
参考文献(I、II)……………………………………………………………. 363
用語対照表 …………………………………………………………………. 403
索引(人名、映画題名、事項)…………………………………………….. 417
訳者あとがき ……………………………………………………………….. 453
原書は初版が1983年、改訂が94年らしいので30年くらい前にフランスで出版されたらしい。
私が学生の頃なので参考で扱ってる映画も古いがまあ仕方ない。
少し読んでみたが凄く抽象的な部分はあるけど、使えそう。
映画評論はずいぶん沢山出ているし理論的な更新みたいなものは無いのか?と思うけど無いのかもしれない。
渡邊大輔が言ってることなんかは新しいと思うけど、入門としては必要ないのか…いやそうでもないような。
YouTubeはじめ映像メディアは様々広がっているので本当は更新されて良さそうだが。
学校などでは、どういう本を教科書で使っているのだろうか?
私が見つけられないだけで、良い本があるのかもしれない。
フィルムアート社から出ている入門書的なものは実務的だけど理論が薄そう。パラパラめくってみただけなんでわからないが。
認知科学とかも随分進んでいるので、その辺りを引いたものもありそうなものなのだが。
その辺を調べ出すと無限に時間がかかりそうなので躊躇してしまうが、多少はやらないとダメそうだ。
そのあたりは良さげな本のあたりがついてるので。
私が学生の時は、ほしのあきら「フィルムメイキング」を使ってた。本人が講師だからだが。
エイゼンシュタインの理論などは、ぱらぱら読んだけど流石に嘘でしょみたいな部分も多くて今素朴には読めない。
「映画理論講義」はそのへんもざっくり整理してあるみたい。とにかくざっくりでも読まないとなぁ…。
実務的なものは他にも良さげな本があるので、参考にしようと思う。最近の学生はそういうのを読んでるのかもしれない。
映画記号論的なものはだいぶ前に死滅してしまったようで、理論書は流行らなくなったのかも。
私が教わった浅沼圭二で終わってるぽい。
映画分析的な本は色々ある。
苦手な蓮實重彦もめくってみるべきなのかもしれないが。
私のやろうとしてることも、どちらかというと実務寄りだし。
久しぶりに更新。
1995年【2025年02月17日】
1994の年末辺りからアニメ制作会社で働き始めた記憶があるので丸っと30年くらい経つのだと思う。
よく続いたものだ。
記憶が薄れかけているので当時のスタジオについて思い出してみる。
最初(で最後)に入った会社はスタジオ・ジュニオをという老舗のスタジオだった。老舗だというのは入るまでは知らなかったのだが。
私の入った班は元ドラゴンボールの制作班を母体にしていて、監督だった岡崎稔さんの管理する班だった。
社長は香西隆男さんだったので岡崎さんの役職が何だったのか分からないままなのだが、後に別れて今のシナジーSPという会社になり、そこでは社長だった。
私は演出助手(兼制作)という当時にしては特殊な形態で採用された。
最初から演出助手で採用している会社は多分なかったのではなかろうか。
当時私の入った班は合作と呼ばれるアメリカのカートゥーンの下請けと日本のテレビのグロス受けという2本柱で回していたようだ。
グロス受けとはテレビシリーズの中の1本を個別に下請け制作する仕事。
合作の演出は一休さんのキャラクターデザイナーだった我妻宏さんが担当していた。
合作は日本のテレビシリーズであれば原画単価1カット3千数百円だったが、秒単価で5千円くらい出ていたと記憶しているので、比較的に割の良い仕事だったのだろう。
1カット3千数百円は衝撃的に安いな、と思ったものだ。
当時は月に40カットくらい描く原画マンはまだ沢山いて、それはそのくらいやらないと食べていけないから引き受けていたのだけれど、40カットやっても20万にも届かない。
私の給料も初任給たしか12万くらいで安かったが、アニメーターに比べれば遥かに安定していた。
TBSの初任給が20万位と求人票に書いてあった時代。
入ったばかりの頃、私は自動車の免許を取得中で、制作の仕事は殆どまともに出来なかった。
同僚の制作たちも、変わった待遇で基本17時か18時頃に退社でOKな超ホワイトな扱い。
ホワイトだが、制作の仕事が円滑に回っていたとは言い難そうだった。
当時のジュニオは3つの建物に分かれていて、それぞれ全く別の仕事をしていたという訳でもないが私の班は独立していた印象。
岡崎さんがスタジオで気楽に使える演出が欲しくて私を採用したのだろうと思う。
入ったばかりの頃、岡崎さんの(多分取引先とかを見せるための)ドライブに付き合って、いいとこを見せてやろうとしたのかお台場に移る前のフジテレビに連れて行かれた。元ドラゴンボールの担当Pが突然の訪問に困惑しながら対応していたのが面白かった。
当時の岡崎班の構成は、ベテランに我妻宏、前田実。中堅は堀内修、佐藤正樹、久保川美明。若手が高田晴仁、槙田一章、安彦英二、他数名で基本アニメーターしかおらず会社の仕事をしている人も少なかった。
出入りしていたフリーの演出家は大関雅幸氏だけで、私は彼の担当していたレッツ&ゴーの撮出しを手伝ったのが割と最初の仕事だった気がする。
もちろん撮出しとは何なのかは殆ど教えてもらわなかった…。
誰も教えてくれないので怒られつつ覚えるという方法でしばらく生き延びる。
初めての演出と呼べる仕事は、入社して数ヶ月後だったかの公共広告みたいな仕事で、ごみはみんなのたからもの、みたいなタイトルだった気がするけれど右も左もわからないのに絵コンテと演出までやらせてもらった。
岡崎さんは良くも悪くもいい加減だったので、入社半年後くらいには今のおじゃる丸なんかやっているNHKの帯番組の「はりもぐハーリー」という作品の半パートを絵コンテ演出して、それがテレビアニメデビューなのだが出来はもちろん酷かった。
とはいえ、オンエアを楽しみに見たところ私の名前は無い。
1話の前半と後半で話しが違う2本立ての作りだったせいで両方とも私ではない別の演出家の名前をクレジットしてしまったらしい。というわけで、デビュー作に今でも私の名前のクレジットはなくwikiなどにも別の演出家が記載されている。
暗澹たる船出。
まあ、私はあまり気にならず、とりあえず作ったものが世に出たことが嬉しかった。
そのあと、まともに仕事ができる様になったと思えるまで10年くらいかかった。
とりあえずここまで。
嘔吐・シビルウォー【2025年02月09日】
結局うちの辺りは雪は降らずで助かった。
しかし風が強いので寒さが沁みる。
週明けからは少し暖かくなるという予報だが…。
久しぶりに腰痛が出ているので散歩に行きたい(少し運動しないと治らない)のだが、寒くて外に出る気力が全く湧かない。
今日は植物を買いに行くという理由をつけて久しぶりに少し歩いた。
仕事は終わらないし、打ち合わせか買い物でもなければ外に出るきっかけが無いので何か歩く口実を作らないとまずい。
忙しいと椅子で居眠りしたり、うっかり床で横になったりで腰をやってしまうことは良く有って、気をつけていても、猫に構え構えとせがまれて遊んでるうちにうっかり床で寝落ちて後悔したり。この世の終わりの様な声を出して廊下で鳴かれては集中できない。
新しい文芸誌GOATに載っていた小川哲の「嘔吐」を読んで爆笑した。
女性小説家を推してるファンの炎上騒動をネタにしてSNSあるある言説が書かれていて笑うと同時に頭がを抱える。
ネット上のライトで真面目に読むに足らない批判だが微妙に痛いところを突いてくる感じなどがうまく再現されていて苦笑。
ラストの切り捨て方は笑えるのだが、現実はああバッサリといかないか。
筒井康隆の「大いなる助走」が読み返したくなった。
シビル・ウォーアメリカ最後の日を仕事しながら見た。
映像はとても良くできている。
戦闘シーン、残虐シーンは割とストレートに血みどろでネット上に溢れかえる残虐シーンを見慣れている人間にも説得力を感じさせる。
しかし、肝心なことは何も言ってない言わない感が強すぎて虚無。
ジャーナリストが主役なのだが、肝心の内戦がどうして行われているのかという事には全く触れないので沢山描かれる死も娯楽的な要請以上のものは無い。
最後まで重要なことは何も言わないまま見せ切る脚本力は大したものなのだが仏作って魂入れずの典型に見える。
マウリポリの20日間の方が残虐シーンはあまり無いもののよほど恐ろしい。
仕事しながら起きていたのでトランプ大統領と石破首相の会見を見ようと思っていたら少し寝落ちしている間に終わっていた。
石破氏が68でトランプが78。元気だなあ。
仕事のトラブル諸々は何とかなりそう。
劇伴ラフが出来た。良い感じである。
雪が降るとか【2025年02月01日】
2月になった。明日は雪が降るというので地植えのプリムラジュリアンとアネモネの上に不織布をかぶせておいた。
アネモネは寒さに強いので放っておいても別に平気なのだが綺麗に咲いてるのと花芽も上がっているので雪で潰れないようにするため。
しかし降らない方が良いなぁ。
特に外に出るというわけでもないのだけれど、雪かきなどは面倒である。
むかし大学受験に出てきた時に雪が降っていて、なんで東京なのに雪があるんだよ、と憤った記憶があるが、この時期は最近とくに積もるくらい降ってる年が多い。
今年は日本海側は大雪で大変そう。
新潟に住んでいた頃、小学生くらいまでは毎年結構積もっていた気がするが、年々積もる量は減っていたのじゃないだろうか。
2月に入ったらだんだんあったかくなってしまうので、いちじくを早く植え替えないと。
今週はトラブルが湧いたり消えたり。
作品を作っていれば何かしらトラブルはつきものだが、ベテランスタッフの体調トラブルは、もはやこれから避けようがなくなるんだろうな。
暑さ、寒さは体に障る。
町屋良平「生きる演技」をゆるゆると読む。
芥川賞を取った作品が面白かったので。
文体が脚本のようで読みやすい。
モチーフが少し苦手だが。
新しく出た小学館の文芸誌もゆるゆると。
欲しい本が幾つかあるので買いに行きたいが、出かける余裕があるのか…?
フジテレビの10時間会見を全部見た人はいるのだろうか。
倍速でみても5時間。
YouTubeでイスラエル大使が会見しているのをぼんやり眺めていたがガザをリビルドすると言っていたが、リビルドされたそれは果たしてガザなのか。
しばらく暇したい。
リメイク・流行り・今【2025年01月27日】
寒さで枯れ込んでしまった赤羽千日紅寄せ植えをバラしてアネモネとグラスで植え替え。
アネモネは霜が降りる様な寒さにもめげずに咲くので気に入っている。
ただ花首がぽっきり折れてしまうほど強い風が吹くことがあるので対策できると良いのだが、短めのピックなど売っているのだろうか。
もう一つ植え替えたい寄せ植えがあるが、花を買いに行く余裕がない。
いちじくもそろそろ植え替えないと暖かくなってきてしまう。
近所のめちゃめちゃセンスよく植物を飾ってある家にオリーブだったか(うろおぼえ)大きなシンボルツリーがあって、てっきり地植えだと思っていたのだが、よく見たらドラム缶の中に植え込んであることに気づいた。わざわざドラム缶を調達して植え込んでるわけで感嘆せざるを得ない。
捨てて置いてある様にみえる錆びたスチールの書類棚などが巧みに配置されていて、ほとんど鉢植えで飾ってあるのだけど景色が作り上がっている。
上手くやればこんなことが出来るのかと思うものの、色んな意味で相当に凝らなければ難しいことも判る。
気負っても、植物はいい感じになるまでに時間がかかるし、上手く育てられる様なるには経験が必要。センスよく飾るのは、そのまた先という具合で一足飛びにはいかない。
まずしばらく、気楽に育てたいものを育ててみる。
ジークアクスは平行宇宙というかファーストガンダムのifの世界だったいうのは、ちょっと驚いた。
そもそもテレビシリーズとして作られているものなので映画はごく触りだけだから、どうファーストの物語と関わっていくのかまだわからない。
ビギニングの部分はあれで初めてみる若者などはどの程度理解できるのだろうか?と思うが絵は流石に綺麗に出来ている。
本編?は、前提の世界観を共有出来ないと分からないということでもなさそうだが、どんな観客層を想定しているのかは聞いてみたい。
伝統が重いと新規は入りにくいわけだが、伝統を知る者にとっては考えることが減って楽。
保守に軸足を置いていると考えるとまさに今風な作品と言えるのかもしれない。
リメイクは制作側としてやりたい人とやりたくない人とハッキリ分かれる気がする。以前、私は全くやりたくない派だったのだが今はまあそうでもない。
リメイクはリメイクだけに以前のものを化粧直ししながらなぞることになるので、分かりきっていることに新鮮な気持ちで向き合う必要がある。
リメイク小説というのは、少ないと思うが映像のリメイクは、もはや伝統的に作られている。
観客は以前の作品を知らなければ新鮮に見ることが出来るかもしれないが作り手は仕事を引き受けるまで知らなかった作品だとしても前提を踏まえるために詳細に元の作品について知らなければいけない。
そして観客が新鮮な気持ちで見られる様に工夫を凝らす必要がある。
そもそも元の作品は、それが作られた時代を背景として成立しているので、リメイクされる時代との齟齬をどう埋めていくのか、とくにアニメは若者に向かって作られていた分、時代の空気をいやがおうにも色濃く反映してしまっているのでリメイクによって脱色されてしまう部分が大きいと酷くつまらない物になる。
いざ仕事でやれと言われたら難しそうだ。
若い頃は自分の好きだった作品「のようなもの」を作りたいと思うのは自然だが、実際作る立場になると自分のやりたいことと観客の求めるものとの不一致に悩むことになるのが常だと思う。
自分はどんどん年老いていく事に無自覚なまま、自分の見たい物を観客に見せても失敗する。
しかし、自分が相手にする観客について知るということは容易ではないし、相手に合わせることに腐心して自分の興味のない物を作っても仏作って魂入れずということになる。
魂が入っていなくたって面白いということもありうるかもしれないが。
原作ものをやっていると特に自分との繋がりをどうつくるか考えざるを得ない。
移住とか高雄港の娘【2025年01月19日】
そういえばブログのデザインを変えたのだが、見にくいだろうか。
もう少しアレンジ出来ると思うのだがやり方が判らず…。
月曜は後輩にご飯に行こうと誘われ、もうひと方と3人で西荻窪でランチ。
10年ぶりくらいに会うというメンバー。
誘ってくれた彼は年末予定が合わず会えなかったのだが、また誘ってくれたので珍しいなと思っていたところ地方へ移住するとのこと。
そういえば、前に話してくれていたっけなと思い出す。
今は地方に移住して仕事をしている人も増えている。
業界がコロナを経てかなりオンラインに慣れたということもあり、職種によっては全く問題なく仕事ができる。
その彼は監督業をしているので、時々は東京に出てこなければいけないが、それでもやれそうということらしい。
地方に行ってしまう方が仕事のセーブがしやすいだろう、というのが目的と話していたが、なるほどそれはそうかもしれない。
目の前に仕事があると無視できない人は物理的に制限を設ければ、いやでも限界がある。
私の場合は完全デジタル化してしまっているのでデスクワークはあまり変わらないが、ここにしか東京行けないぞ、となれば頑張ってそこに合わせて予定を組んで様になるのだろうか…。
いやむしろ私の方がスケジュール守れるか不安。
それ以前に、きちんと計画して実行できる気がしない。
いきあたりばったりで生きてきたもんで。
最近見たアニメについての批評も聞けてなかなか面白かった。
水曜日は打ち上げ。
脚本家チームは1年前に仕事が終わっているのでそれ以来の邂逅。結構色んな方が来ていてありがたかった。
しかし、またしても挨拶し損ねた人もいる。
オンラインのみで一度も会ったことがない人がいるので、制作に聞かないとパッと顔が分からないことがある。
そのうえ、人が大勢いるので小さい会場でも何処にいるのか分からなく、顔を知っていても話しそびれた人は沢山いるのだが、まあ皆楽しんで帰ってくれたと思いたい。
コロナで無くなっていた打ち上げの類も大分戻ってきている。
木曜は演出の発注、出来上がった話数のコンテを各話を担当してくれる演出にお願いするという打ち合わせ。
担当がバタバタな現場だった昔の仕事に関わってくれていた人だったのだが、どうも自分が途中で逃げたと思われていると勘違いしていたらしく、いやいやそんな事はないと答えたのだが、もう誰が逃げたのとかもよく分からない様な状態の現場だったので、却って申し訳なかったなと思う。
しかし、実際逃げた人と再び現場であい見えるということもごく稀に起こる。
こっちは忘れていたのだが、むこうは憶えていた。
よっぽどの人は憶えているのだが、この間制作に名前を出されて、そいつだけはNGであると申し伝えたが、そんなやつはそいつ一人だ。
まあ、人生色んなことがあるのでよほど悪意を感じるようなことがなければ逃げられたとて気にならない。
最近読んだ本。「高雄港の娘」陳柔縉(チンジュウシン)
日本が50年も台湾を統治していたなどと今のいままで恥しながら知らなかった。
舞台は日本統治下の太平洋戦争少し前の台湾から現代の日本。
ほとんどの舞台は台湾であるけれど、日本の歴史風俗が沢山出てくる。そりゃ日本が統治してたんだから当たり前だが。
日本と台湾の現在の関係がどうしてこうなのかの一端が分かるような歴史小説になっていて、なるほど世界は複雑なのだと理解できる。
前半は台湾の日本語教師がが主人公で後半はその娘が中心に進むのだが、女性にはモデルがいるらしい。父親も旦那も亡命ししかし旦那の手引きで日本に渡って実業家として成功するというその激動の人生には驚く。しかしドキュメンタリーではなくあくまでフィクションの物語として書かれているらしい。
資産家の相続争いを巡る人間関係が主人公家族に大きな影を落としつつ戦争と恋愛が大きく絡んで台湾・日本の文化・歴史を娯楽として描いてあって重苦しくなく謎解きとしても読めて面白い。
日本統治下の台湾は、もちろん日本の文化・政策を強要されていたわけで恨みが募っていてもおかしくはないのだが、東北の震災の時はたくさんの寄付をしてくれたりという関係がなぜそうなのか少し分かる。
きな臭い世界の生き延び方について考えさせられた。
追記:TikTokがアメリカで見られなくなった。
全修見たり【2025年1月10日】
少し前、朝に霜が降りていて(多分寒さで)枯れかけていたオキザリスはもうダメだなぁという状態。
しかしアネモネなど寒さに強いものは元気である。
寄せ植えにしていた植物で幾つか寒さで傷んでしまったものがあるので植え替えしたいが、仕事が切羽詰まっているのと、こう寒いと植え替えがちょっと危険なので悩み中。
日本海側は雪が多くて大変そうだ。
太平洋側は来月頭あたり降るのだろうか。
思っていたより、暖かめの冬なので過ごしやすい。
木の実マスターは年明けと同時に配信はしていたけれど、7日から地上波の放送が始まって、Twitterなど見ていると結構見てもらっているようで驚いている。
異世界転生ではないのだけど、ファンタジーというジャンルのファンが沢山いるのがよく分かった。
沢山見てもらえているというのは純粋に嬉しい。
比較的好意的な感想が多いのもホッとしたところではある。
SNSだけを見ていても最近は反応が分かりにくくなっている。
TwitterというかXから離れたヲタクたちも多い、とうことと今の日本のアニメのお客さんの半分くらいは海外の人たちになってしまったことが大きい気がする。
海外の反応は結構積極的に探しに行かないと出会えないので、なかなか嗅ぎ取るのは難しい。
しかし、何かファンコミュニティーの反応を探る場所があるといいと思うのだが…。
全修。というアニメの1話を見た。
全修はアニメ業界用語で上がってきた絵を全て直してしまう事だ。
やられた方にも、する方にとっても悪夢的な作業である。
作品冒頭で監督が全部修正と言っているままの意味である。
前修だけは避けたい。
なぜ全修を見たかというとキャラクターデザイナーが石川佳代子嬢だからだ。
彼女はアイカツ!の時、とても活躍してくれた大恩人。
アニメ業界には珍しく、独自のセンスを持ったまま仕事を続けている稀有な存在だ。
というわけで、気になって見たのだけれど石川節はしっかり発揮されていて面白かったのだが、それよりも企画のコンセプトが面白くてひっくり返ってしまった。
以下ネタバレを含む。
アニメSHIROBAKOとファンタジー(石川佳代子を使っているので)を掛け合わせたようなものになるのかなあと予想していた。だが、今流行りの異世界転生ものじゃないですか。
アニメーターが異世界に転生し、さらにアニメパロディーも積極的にやるというという、パッと思いついたネタを瞬間接着剤でくっつけた様な企画を超絶作画で作っていて、これは面白い。
ノリとしては銀魂みたいな作品に似ている。
パロディーの選択も1話は度メジャーな作品を取り上げていて、毎度これをやるんだったら、どんな作品を選ぶかが成否に関わりそうだ。
一見マニア向けの様な企画だが、凄いメジャー志向な作品なので行く末が楽しみだ。
パロディーは我々が子供の頃に比べると非常にやりにくくなったが、こういう軽いノリの企画が許されて、そこそこ儲かるならアニメの未来は明るいのかもしれない、と思える。
海外でどう見られるのかも気になる。
ぜひ成功して頂きたい。
仕事正月【2025年01月06日】
久しぶりな気がするくらい仕事が切羽詰まっていて正月もゆるゆると仕事をしていた。
この稼業を始めてからは正月早くから働いていることは珍しくなかったけど、最近はそこまで切羽詰まった状態で年を越すことはあまりなかった。
立場が変わったからという理由や働き方改革とやらの恩恵もあってだろう。
しかし今年はハプニングもあり仕事の進行が遅れていて、後が厳しいことが見え見えなので集中力はやはり欠けるけれど、ずっと仕事をしている。
仕事初めも何もあったものでは無い。
とはいえ、年末はアイカツ!のイベントが幾つかあったりしたせいか年を越した感は味わえた気がする。
「外れスキル木の実マスター」が明日からオンエアだが去年の後半はその仕上げもあったりでいつになくバタバタしていた。
今年も今年も似たような仕事の進行で過ぎて行きそうだけれど、去年より少しやることが多いのでヒヤヒヤしている。
とにかく体調を崩さないように気をつけないといけない。
最近はなかなか体調を維持するのが難しい。歳なのでしかたないのだろうが、ストレスの影響を受けやすくなっているのがなんとも。
大風邪とか引くことはあまりない。コロナも未だに罹っていないので、それは良いことである。
年末の園芸店のセールで買い物は出来た。欲しかったアガパンサスは買えたが、寒さにあまり強く無いのをわかっておらず地植えしたオキザリスがもう枯れそうで悲しい。いい色のカラーリーフだったのだが。オキザリスはカタバミの仲間なのだが、カタバミは普通に冬も生えているし原種は強いんだな。
仕事をしていたので殆ど本は読めていない。
読みたいものはあるが、なかなか追いつかない。
今年は忙しくてあまり外にで開けることもままならないかもしれない。
絵コンテ学習用の資料だけは何とか早めに作りたい。
作ったところでどこでどうやって教えるかというアテもないのだが。
去年の元旦は能登の震災があったりで、幸先の悪い正月だったが今年はそういう意味では何も無かったのが何よりだ。お隣の韓国では飛行機事故があったが、まったく気の毒だ。
プリキュアの次回作が色々発表になって話題になっているようだ。
多少、事前に知ってはいたのだが、まあそりゃあ話題になるだろうと思っていた。
加藤陽一がシリーズ構成でアイドルものなのだから、実質アイカツ!と言われてもそうかもね思う。
私はプリキュア的には今千秋が監督である方が重要な気はする。
プリキュアシリーズは基本的に投影の生え抜きの監督を採用してきたので外様で女性の監督は非常に意欲的。
今さんはセーラームーンを担当していたので使いやすいという理由もあるのだろう。
キャストに高橋未奈美が入ってますますアイカツ!界隈とプリキュアとの融合が進んでいて個人的には面白い。スタッフ側にも元アイカツ!チームはいるので。
加藤くん含め皆んな人気者なので何の違和感もないだろうが。
年月が経つとライバル関係だったチームも関係が変わってきて、おおそんなことが、ということが起こる。
加藤くんの起用もその一つ。もう少し早く起用されるかと思っていた。
私のところへ監督のお鉢が回ってくる事は永遠にないだろうが。
パソコンが新しくなって普段使っているソフトの中で3Dのモデルを動かしてもあまり重くなく扱えそうなので、コンテの描き方も少し新しいことに挑戦できるかもしれない。
モデルを作るところから始めるのはハードルが高いのだが…。
はて、あまり欲張りすぎず出来ることから実現していきましょう。
アイカツライブ・トットちゃん【2024年12月23日】
もうすぐクリスマスというか、お正月。
やばい。仕事が。
先週の日曜日はアイカツ!のあかりジェネレーション10周年を記念したライブ「キラッキラ」へ。
10周年…いやぁそうですか。
アイカツ!が放映されていた期間は3年半くらいでもうその三倍の時間がたったということなんだな。3年目以降があかりジェネレーションだからそこから10年ということですか。
ライブはメインのアイドル担当の役者の皆さんが全員集まってくれるという奇跡のようなブッキング。
流石に公演時間が伸びまくって4時間というのは申し訳なかったが、楽しんではもらえたのではなかろうか。
私も皆んなの元気そうな顔を見て安心した。
荊棘の女王が久しぶりに聞けたのも満足。
久しぶりにアイカツ!絡みの仕事が沢山ある年末だった。
しかし、この調子で記念イベントやってると毎年なんかありそうで、ファンの皆さんは大変だな。
ここのところ久しぶりにアニメ映画を見た。といっても最近のものではなく見逃していたものを幾つか。
まずは窓際のトットちゃん。
これは良くできていた。
ベースは地味な話であると思うのだけれどイメージシーンなどを上手く使ってアニメらしい飛躍した表現も交えつつ娯楽としても十分楽しめるようなつくり。
アートアニメの要素を巧みに取り入れて、表現の幅が広い。
日常芝居の表現はジブリ的な流れの最先端と言えるのかもしれない。
身振り手振りは少し大きめに表現されていて、それが作品の方向性とうまく嵌っているし芝居のアイデアも豊富でかなり丁寧に手間をかけた芝居作りになっている。
一般のお客さんが見ても分かりにくいかもしれないが、ここまでやるか!というくらい大変なことを丁寧に作り込んでいて感嘆した。
演出はオーソドックスなことをしっかりやるという方向性で、これを教科書に演出を教えれば基本は網羅できるんじゃないだろうか。
映画館で見なかったことを若干後悔した。
きみの色、化け猫あんずちゃん、も見た。
たまたまだが日常芝居に対する思想の違いが分かりやすくて面白い作品たちだった。
きみの色は、リアルで地味な芝居を真正面からトライしている。トットちゃんとは真逆の芝居作り。
しかし、ここまでやれば素晴らしいと思えるくらいにやり切っていてすごく好みな芝居作りだった。
ロトスコープではないけど、リアルな方向を目指している。
ちゃんとアニメらしい派手さのある芝居も用意されている。
興行成績が振るわなかったのはシナリオ的な問題が大きいのかもしれない。
一方、化け猫あんずちゃんはロトスコープを使ってファンタジーの世界を描くという変わったアプローチ。
きみの色とは逆の思想、トットちゃんの方が近い。
ロトスコープを使うことによってファンタジーにリアリティーを与えようとしているのだろうと思うけど、山下敦弘氏が元々やりたかったという企画らしいので、山下氏の能力を活かすためのロトスコープという技法という側面が大きいのかもしれない。
アニメーションの監督として久野遥子さんが立っているが、日常芝居に関しては久野さんの良さがロトスコープによって縮減してしまっている感は否めない気がする。
あと、単純にセリフの間がロトスコープの映像をまま使っているようで会話が間延びして感じる箇所が少なくなかった。人間の役者が写っている場合は間の仕草などで間が気にならない可能性があるのだけど、アニメのキャラクターに置き換えた時に上手く間のニュアンスが伝わらないということが起こっているのかもしれない。
鬼のような現実にないキャラクターはロトスコープによって現実感が増していると思うが、逆にどこで飛躍させるかの判断の難しさを感じた。
ロトスコープの良い面、難しい面が分かりやすく出ている。
トットちゃん、きみの色、あんずちゃんと見比べるとアニメーションにおける日常芝居のリアリティーを考える上でとても面白いと思う。
この週末の土曜日は恒例になった声優のワークショップの講師。
演出家という職業は分かりにくいので、それについての講義にしている。
結局2時間くらい話してしまうのだが、それでも毎度これも言っておけば良かったなと思うことが残ってしまう。
やるたびにまとまって分かりやすくはなっているとは思うが、どうだろう。