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  • 10th再上映【2024年03月22日】

    10th再上映【2024年03月22日】

    昨日でアイカツ!10thSTORYの再上映も終わり観てくれた方には深く感謝。

    ゆるゆるとアイカツ!界隈は何か続いていきそうなので、のんびり待っていただきたい。

    わざわざ、コンタクトフォームからファンレターをくれたお嬢さん(JKと書いてあったのでお嬢さんであろう)、ありがとう。

    10年もたった作品に対して愛情を示して貰えるのは制作者冥利に尽きるというものだ。

    あの映画については前に色々書いてしまったので、もうとくに言うこともない。

    繋がった映画の形態で見られるのは映画館か配信なので、たまに映画館でやってくれると良いのだが。

    つい先日、ジャネット・ジャクソンとTLCが共演するという神ライブをやっていたが、知り合いのオールドファンたちは大満足だったようだ。

    若い頃に見たもの聞いたものは、やはり強烈に体の中に残っていて、いつまで経っても力を与えてくれる。

    不思議だなとも思うけど、創作の仕事に関わってるような人も子供の頃や若い頃に得た初期衝動の勢いだけで歳をとっても動いてることは多いと思う。

    アイカツ!も初期衝動についての物語だ。

    アイカツ!に限らず沢山の作品で繰り返されている永遠不変のテーマだと思う。

    私もいまだに子供の頃の初期衝動だけが力の源泉だけれど、職業選択は半分偶然で続けられているのも半分偶然だし、他の選択をしていたとしても何らか若い頃の経験が初期衝動として機能していたんだろう。

    良くも悪くも若い頃のかけられた呪文は強力で、そこから逃れるのは容易ではない。

    解いてしまった方が良い呪文も沢山あって、それにはプリンセスのキスのような強烈な体験が必要だとは思う。

    そうでなければ解けないか、解くまでにえらく時間がかかることはあると思う。

    老いると、いろんな魔法がその効力を失っていく。

    そうして気づくことも沢山あって、それは楽しいことだ。

    自分には出来ないと思っていたことが出来るようになってしまったりすることもある。

    解けてしまわないでほしい魔法は、自分で望まなければそうそう解けないものだ。

    魔法、呪文は良い面も悪い面も持っていることが常だろう。

    ある時期までは自分を守ってくれていたものが、気づいたら唯の重荷になっているということもある。

    芸術(高尚な意味ではなく広い意味での)作品もそれが見た人に何らかの力を与えているうちは良いが、何かの足枷や頸木になってしまうことはある。

    だから私は、ひとしきり楽しんだら忘れてしまった方が良いと思う。

    必要になったら体の中に刻まれた何かが思い出させてくれるんじゃなかろうか。

    体の中で昇華されて残っているものが重要だ。

    時を経て作品を見返すと新たな発見をすることが多い。

    しかしかつてのような魔法は立ち現れず色褪せて見えることがほとんどだ。

    それでもかつて魔法の呪文をかけてくれた作品は何か輝きを残している。かつては見えなかった魅力が立ち現れてくることも尋常にある。

    I can cast a spell of secrets you can tell

    というI’m Every Womanの歌詞のようでありたいと一人の演出家としては思う。

  • 今日でほんとにラスト

    今日でほんとにラスト

    1月20日から上映されてきたアイカツ!の映画も今日で上映がラストだそうで、たくさんの人に見ていただいてありがたい限りです。

    10周年のお祝い楽しかった。

    10年前のことって、結構忘れかけている。なかなかもう振り返る機会もないので私が関わった当時の特に立ち上げの頃の事を思い出してみよう。

    といっても、ほとんどはどこかで記事になってる様な事だと思うけど。

    怒られたら消すかも(笑)

    アイカツ!話が私のところへ来たのは、別な作品「夏色キセキ」の作業をしている途中だった。多分2012の年明けとか結構ギリギリなタイミングだった様に思う。夏色キセキが春番だったので後半戦を作っている頃だったのでは無いだろうか。

    サンライズ(当時)との付き合いも、それまで全くなかったので私に任せるの不安じゃないの?と思ったが夏色キセキも一応アイドルネタだったし向いてると思ってくれたのかな?

    夏色キセキといえば寿美菜子嬢とは、その時に初めてまともに話した様に思うし芝居が非常に印象に残った。私にとっては、とても大事な役者さんとの出会いだった。

    シナリオ会議が始まったのは3月か4月、途中色々あって止まったりもしていたので作業は非常に遅れていた。

    夏色キセキに入っていた京極尚彦くんの監督作(ラブライブ)が動いているのを知っていたので、いつ放映?と彼に聞いてアイカツ!より先に動いてたのに放映は後だったのを羨ましく思ったのを覚えている。(アイカツ!は10月、ラブライブは翌年1月)

    私と加藤陽一は初めて組む、しかもお互いそれほど上(監督・シリーズ構成)に立った経験が無い状態だったので初めはかなり手探りだったと思う。

    サンライズPの若鍋さん1年目の制作チームのテレコムのP、テレビ東京の奈良さん、バンダイチームの人たちみたいな偉い人が沢山いて私がそれまで見てきた中では割と大所帯の会議だったので、色々言われたら嫌だなあ…などと思っていたがバンダイさんから難しい注文をされることは殆どなく、むしろシナリオで出てきた面白いアイデアをとにかくゲームにも反映させるぞ(時間もないのに)みたいなノリノリの雰囲気だったのでやりやすかった。

    もちろん大変なことも沢山合ったのだが…まあ今となっては笑える。

    とにかく止まったら落ちる(放映が)みたいな状況だったのであらゆる事が全力疾走だった。

    そして結局、3年半終わるまで走りっぱなしだった。

    もう今は無理だ(笑)

    ゲームチームの方もアニメと状況は変わらず、待ったなし。

    ドレスデザイン、カードデザイン、音楽制作、ゲームも制作は大変。

    しかしアニメとゲームの進行がほとんど追っかけっこしていたおかげで、シナリオとのシンクロ率は高められたと思う。

    フェブリスメーターと私が勝手に名前をつけた勝敗のポイントを表すバーが表示されるメーターやアバターのラフデザインは私が作ったのだが、時間がないけどアニメとゲームでデザインを合わせたいと言われてデザイナーもいなかったので私が起こした様に記憶している。ゲームチームはなるべくアニメのアイデアを拾おうとしてくれていたし、アニメの方でもなるべくゲームの面白い要素がフォローできる様にしてくれていた。

    お互いに時間がない中でアイデアを投げ合っていたので全部とはいかなかったが、まあ良くやっていたと思う。

    並走する彼らと顔を見合わせ、お互い大変だねと笑って話していた。

    役者さんのオーディションと歌い手さんの選定はほぼ同時進行で動いていた様に思う。

    今考えると少し時期をズラしても良かったのでは?と思うけど、春くらい?の段階で初期メインキャラ8人

    全員の役者と歌い手を一気に決めた。

    確か3DSのゲームで全員の声を入れたいからみたいな理由だったかもしれない(かなりうろ覚え)

    いや、ミシェルとかも決めたからキャラの役者は10人近く一気に決めた気がする。

    こんなに一気に決めることもなかなか無いのでは無いだろうか。

    キャストの選考を決める日は私の誕生日(6月10日)だった様に記憶しているので、オーディションはその少し前にやったのではなかろうか。決めてすぐゲームボイスの収録が始まった様に思う。

    当時アイカツ!あるあるであったのだが、ゲームの開発が先行しているのでシナリオにも出てきていないキャラの声をゲームに収録しなければいけない事がしばしばあった。

    なのでゲーム音声の収録には私も殆ど立ち会っていた。ゲームボイスのセリフの監修も私と加藤氏が目を通していたのでなかなかハードだった。

    しかし、ユリカは確か後でセリフを少々修正してボイスを録り直している筈である。

    シナリオが出来てなかったので当時は吸血鬼キャラという設定がなかったのだ。(沼倉さんすいませんでした)

    最初のゲームボイスの収録の時は他のキャラも大体こんな感じで見たいなざっくりしたイメージで作ってもらったと思う。

    テレビのアフレコが始まったのは、多分8月くらいとかからじゃなかろうか。(だいぶうろ覚え)

    音楽周りの初期は曲の発注などは私も参加したと思うが歌の収録などは水島氏と音楽チームにほとんど任せきりだった。キャラに関しては簡単なメモを書いて歌い手さんたちに渡していた程度。

    アフレコもしていないので歌い手の皆んなはかなり手探りだったに違いない。

    ロゴの制作などもシナリオと同時並行で進めていた。

    最初はコンペでは無く幾つか案が有ったのだが、思うところがあり無理を言って知り合いのデザイナーさんに声をかけコンペにして貰った。

    その中で採用されたのが内古閑さんのデザイン。

    私はコンペで上がってきた候補の中からプロデューサーたちが、ある程度選別したものをどれが誰のデザインということは聞かずに決めた。

    パッ見た時は誰のデザインか判らなかったけどコンセプトの昇華の仕方がとても素晴らしくシンプルにゲームの内容や作品の楽しげな雰囲気を表現してくれていたので選んだところ、内古閑さんのデザインと聞いて流石だなーと思ったのを覚えている。

    キャラクターの設定も一応コンペだったのだが、人が見つからず…というのと水島氏の紹介してくれた、やぐちひろこ嬢が圧倒的に良かったのですんなり決まった。

    アニメのデザイナーも当然一人では全部こなせないので、夏色キセキでメキメキと頭角を現した当時は新人原画マンだった渡部里美ちゃんとダメもとで電話したら引き受けてくれた石川佳代子嬢が参加してくれることになる。

    石川さんと私、内古閑さんも初めて顔を合わせたのはガイナックスで水島氏が監督で制作した「はなまる幼稚園」という作品だった。

    里美ちゃんは初期キャラクターの衣装替えのほとんど、石川さんはメイン以外の学園生徒やアイカツフォンなどプロップと呼ばれる小道具、宝石箱の様なフィッティングルームも考えてくれた。

    サンライズ側にいた最初期のメインスタッフは、木村、やぐち、石川、渡部。後は設定制作をやっていた今ではプリキュアのプロデューサーである田中昂くらいであった。

    メインで制作を請け負ってくれたのはテレコムアニメーションフィルムという、あの宮崎駿も在籍していた老舗スタジオである。

    テレコムのスタッフだったのが、その後長くアイカツシリーズに関わることになる色彩設計の大塚眞純嬢。当時ほぼ初めての設計業務だったと思う。

    そして美術監督の大貫雄司、撮影監督の宮川淳子嬢。編集の笠原義宏さんなど。

    他にも沢山絵コンテを描いてくれた矢野雄一郎さん、沢山演出をやってくれた小山田桂子さんなどがテレコムのスタッフだった。

    キャラクターにしても美術にしてもアイカツ!は設定の量が多かった様に思う…すいません。

    毎話ごとに違う場所出てきたり変装やらドラマで衣装を変えたり。

    設定に関わるの渡部さん、石川さん、大塚さん、大貫くんはとても大変だったろうと思う。

    設定というのはシナリオがある程度完成しないと作り始められないのでシナリオが遅れていたアイカツ!は設定もギリギリで追いかけっこをしていた。

    設定の発注はメインキャラクターは基本的に原案があったので原案に沿って発注。

    色も頭部はゲームチームの作った原案に沿っていた。

    原案と言えばエンディングにもクレジットされている川村歩さんが主にキャラクターのデザインをまとめていらっしゃったのだと思う。他の人のアイデアも当然入っていたと思うが主には川村さんがまとめていたと聞いていた。

    立ち上げは時間がなかったこともありゲームチーム側で先行してデザイン案が描かれていたのだと思う。私が入った頃にはキャラのデザイン案はメイン8人全て存在していた。髪型は子供への調査なども受けて変更があったキャラがいたと思う。ユリカとか。

    サブキャラはオリジナル、服装も制服以外はオリジナルなので自由に制作していた。

    服装は私は極力意見を言わない様にしていた。渡部さんにしても石川さんにしても服は好きな人だったので、おじさんが余計な口出しはなるべくしない様に気をつけていた。

    シナリオに関わる説明などがあれば伝えるくらい。

    色に関しても同様で相談されれば応えるが、女の子のセンスが必要なものに関しては基本的にはお任せで通したいと思っていた。ていうか今だにそう。おじさんが口出しても碌なことがない。

    基本的には私はまとめ役に徹して、女性の意見が反映される様にしていたつもり。

    立ち上げの頃アイカツ!に関わっていた女性スタッフや役者さんに子供の頃見て印象に残っている女のむけアニメはあるか良く聞いていたが、ほとんどの人が佐藤順一さんの作品を上げていた。セーラームーン、おジャ魔女、ふたご姫…など。

    私は一番最初のセーラームーンのノリが好きだったので、あの雰囲気を再現できないだろうかと目論んでいた。

    美術もセーラームーンや小林プロダクションが女の子向けの作品で作っていた様な雰囲気を意識していた。美術監督の大貫くんは、私が参加していた「はなまる幼稚園」の雰囲気を参考にしたと話していた気がする。

    美術デザインはちょっと西洋風というか少し洒落た和洋折衷のイメージでみたいなお願いをしていた様に思う。

    スターライト学園のデザインは何かイメージの参考みたいなものを大貫くんが挙げてくれていた気はするが、覚えていない。なんでも弁当の辺りの街並みは横浜の元町辺りの洒落た雰囲気みたいなお願いをした気がする。

    初期の頃は結構お仕事的にというか、あまりやる気なく参加してくるスタッフも少なくは無かった。あまりにスケジュールが悪かったので、それも当然と言えるのだが。そんな中、撮影監督の宮川さんにのやる気にはすごく励まされた。フェブリスアンテナ(この名称も作中では使わなかったかも…)という観客が頭につけるアンテナから出る星やシーンの変わり目に入るワイプは彼女が作ってくれた。ワイプは石川佳代子さんにタタキのアイデアを出して貰って宮川さんが起こしてくれた様に記憶している。

    宮川さん、石川さんといえばカレンダーガールのレコードの回る速度はテレビ局の注文もあってかなり直しを重ねた。最初はかなり早く感じたので仕方なく数枚の絵を不採用にして決定された。

    最近イベント上映の時に話したけどカレンダーガールのエンディングで回っているレコードを未来のいちごが止めて終わるというアイデアを私は考えていたのだが、絵コンテから丸々石川さんに頼むことになって、その時アイデアは不採用になった。この未来のいちごのアイデアがSTARWAYの映画に繋がっている。

    CGはサムライピクチャーズさんがテレコムの紹介で担当してくれることになった。時間がないのに前向きに色々相談に乗ってくれたのを憶えている。

    キャラのモデルは時間が無かったこともあり、あまり手が入れられないというような話だった気がするが結局色々あって修正されていったのはみなさんご存知かと思う。

    カメラワークも最初はゲームで付けたものを軸にアレンジしていく様な方向性だったが、後にディレクターの北田さんの参加で大きく変わっていくことになる。

    1話でのフィッティングルームで天井に光が映ったりするのは地味に部屋全体を3Dで組んで作って丸い天井への光の反射を作っている。

    アイカツ!の頃は昼間は、ほとんど打ち合わせで夜にデスクワークだった。アニメの監督は皆んな大体あまり変わらないと思うけど絵コンテ描いたり直したりは夜中の作業になってしまうことが多い。

    なので朝方とかに制作が私が描いたり直したコンテを回収にくるのだが、アイカツ!は人が少なかったこともあり、このままでは私も制作も疲弊してしまうと思い当時は出て間もなかったCLIP SUTUDIO PAINTで絵コンテの直しをやるという方法に1クール終わる頃には切り替えたんじゃないかと思う。

    データでのやりとりで済むので、非常に楽になった。

    1話は手描きのコンテで完成したのは6月の頭とかだった気がする。ヤバい……。

    2話は矢野さんがコンテを描いてくれて以降、矢野さんのコンテには沢山助けられた。

    矢野さんは宮崎駿の薫陶を受けた世代の方で姿はオジサンだが心は乙女の優しい方。絵は当然上手いが滅法手も早く2週間で1本くらいのペースで絵コンテを描かれていた様に思う。

    私なぞ遅くて遅くて、結局1話のコンテを描いて以降、次にテレビのコンテを描いたのは177,178話になってしまう。

    Signalize!のオープニングは夏色キセキの作画チームが担当してくれた。

    あの時はCGが間に合わなくてダンスシーンも作画で作っている。原画は確か長田伸二。

    いちごが着替えつつ色が変わるカットは渡部里美ちゃんが原画を描いて変わった色にして!みたいな注文で大塚さんに自由に色を決めて貰ったという記憶がある。

    最初のいちごが振り向くあたりは岩崎茂希くんが担当、ジョニーのあたりは盟友の安彦英二が描いてくれた気がする。

    作曲のNARASAKIさんは「はなまる幼稚園」でご一緒していて水島氏が繋いでくれて快く引き受けていただいたという流れだったと思う。

    音楽といえばMONACAチーム。

    私が入った時すでに何曲かはゲーム用のデモが存在していた。

    ゲームに最小された順はアニメの方との兼ね合いやらラインナップのバランスやらで最初にできた順から搭載されていたわけではない。

    劇伴の打ち合わせは帆足くんと石濱くんの二人で来てくれた気がする。石濱くんは大変なシャイボーイで当時はあまり話してくれなかった様に思う。沢山話す様になったのは劇場版アイカツの後あたりかなぁ。帆足くんはいつも気さく。絵コンテを簡単に編集してフィッティングシーンのガイドを作って帆足くんに曲を作って貰った様に記憶している。

    音響監督の菊田さんは、やはり夏色キセキからの流れで他の候補もいたと思うが私の希望や現場のテレコムさんも懇意だったこともあり決まったように思う。

    菊田さんはラブ&ベリーのゲームの収録も担当していたそうだ。

    アイカツ!のキャストには新人も多かったため当時は私はよく分かってなかったが個別指導をしてくれていたり丁寧に面倒を見て貰って、私自身も沢山勉強させて貰った。

    1話に色がついて完成した時、菊田さんが皆んなで見ようと言ってアフレコブースで映像を流して見た気がする。アフレコの時はいつもコンテ撮といって絵コンテを撮影して芝居が何となくわかる様な状態でしか収録できていなかったので完成形を共有するのは必要があるということだったと思う。

    うーーん、新人さんが多い現場で、あの状態のアフレコは本当に申し訳なかったなと今更ながらに反省。といっても当時はどうしようもなかったのだが…。

    1話も確かコンテ撮でアフレコしていると思う。

    さてさて、長くなってしまった。何とか1話が出来上がって、その後3年半アイカツ!は続く事になるのだが途中に映画も作ったりで、ずっと全力で走っている様な状態で当時は振り返る余裕もなかったし止まったら死ぬみたいな勢いで、ヒットしている状況も考えると怖くなってしまうから途中からはあまり気にしない様にしていた。

    とにかくドタバタと始まって、放映できたのが奇跡くらいの状態だったので、その後、形を変えて10年もプロジェクトが続くとは、流石に思いもよらなかった。

    2年は続く様にしたいなあ、というのが密かな目標であったが、それも1年やって続く様なら若い人にバトンタッチしようくらいの心持ちだった。私みたいなオジサンがやるよりは若い人の方が適任だとずっと思っていた。1年、また1年と伸びて3年半。今考えればそう長い期間でもない気もするものの、当時は倒れずに走り続けるので精一杯という思いもあった。でも、なんやかんやとこうして長く関わらせて貰えたの事には感謝している。

    特に今回の映画は手がけられて良かった。

    最後にもう一度、見ていただいて本当にありがとう。

    また気が向いたら昔話を書くかもしれない。

    取り留めない話にお付き合いいただき感謝。

  • やっと2022年が収まってきたかなぁ

    やっと2022年が収まってきたかなぁ

    年明けから始まったアイカツ!10th STORYの上映も終盤戦に差し掛かっている。

    沢山の方が観てくれて感謝しかない。

    なかでも子供の頃に見てくれていた女の子たちが見にきてくれたのは非常に嬉しい。

    高校生や大学生になった当時の視聴者に響く様な作品にしようという主旨で作られた作品なので、まさに見てほしい人が見てくれたということだ。

    昔のスタッフが見てくれて感想を直接くれたりSNSに書き込んでくれたのもありがたかった。

    ずっと準備をしてきたスタッフの苦労も報われたんじゃないかと思う。

    ミュージックフェスタも最後は滑り込みで声出し可能になってファンの皆んなも喜んでくれたいた様だし、我々も楽しかった。

    やはりファンの笑顔は我々の苦労を存分に癒してくれる。

    10年越しの新作で後日談を描くというのは、見たくないという人もいたのではなかろうか。

    何を描くか、ということについては殆ど私と加藤さんに任されたのであるが、私の方では具体的なアイデアはなく、ただ当時7〜9歳だったアイカツ!の視聴者として想定されていた、そして視聴率などみるに実際に見ていてくれていたであろう女の子たちの背中を押せる様な作品にしようという事だけは皆一致していた。

    かくして、インタビューやら舞台挨拶やらで話した様に卒業と大人になるということがテーマになった。

    後日談の中身はともかく当時見ていた若い人たちに響いてくれるといいなということだけ考えていた。

    響くも何も、当時の子供たちが見にきてくれるのかな?という心配もあったが、それも十分に裏切られた。

    私は大人について偉そうに語れる様な人間ではないけど、大人になるのは大変だが楽しい事だと思う。概ねは。

    鍋をつついて酒を飲むのもまた大人ならではの楽しみ…酒なんか飲めなくても楽しいことは色々あるね。

    これが大人なのである、などという形はないのだし、それを良くも悪くも自分で決められるのが大人になるということなのだから。

    とにかく大人になるのも悪くないね、と若い人たちが思ってくれたら嬉しい。

    歳をとるのも良いもんです。

    そして繰り返しになるけど、私が思っていたよりずっと沢山の方に映画を観て貰えて本当に嬉しい。

    去年はテレビシリーズ2本にアイカツ!の映画が動いていたため、べらぼうに忙しかった。

    年が明けても舞台挨拶だとか映画にまつわるイベントと小さな仕事なんかで、なかなか落ち着かなかったがやっと一息つけそう。

    つい先日は同期の演出家の作品の仕事を終わらせた。何とは言えないけど、制作は発表になってる作品だからしばらくしたら観られるのかな?いや、最近は放送まで時間がかかるので、まだ結構先なのかも。

    まあ、今年は誰かの手伝いでのんびりと過ごすことになりそう。

    作品を作っていると色んな方のお世話になるのだが、なかなか恩返しの機会もないので返せる時には返したい。

    しかしタイミングがなかなか合わず、最近は不義理ばかり。

    借りたら返すがアニメ業界の仕事人の渡世というものだったのだが、借りるも返すも難しい時代になってしまった。

    借りずに済めば良いのだが借りたくても借りられぬ人手不足。

    発表されてなくても水面下で動いてる作品が沢山あるので、さもありなん。

    さて、今年私はは人に手を貸せそうな気はするものの、なるべく楽しい作品に手を貸したい。

    仕事との出会いは偶然なので、面白そうな仕事に出会えることを祈るばかりだ。

    のんびり温泉に浸かったり、本読んだり、映画見たり、音楽聴いたり、やりたいことは色々あるので仕事はほどほどに…てな訳にはなかなかいかないか。

    大人は大変……あら?

  • 10年…だって

    10年…だって

    2023年1月20日、今週の金曜から映画『アイカツ!10th Story 〜未来へのSTAR WAY〜』(タイトル間違っとるかもしれん)が公開になる。
    先日、初号試写というやつをやった。
    初号ってなんだよ、っという御仁に少し説明するとひと昔前まで映画は合成樹脂の透明なフィルムに映像を焼き付けて後ろから光を当ててスクリーンに映写していたのだ。
    テストで焼いたフィルムを0号といって、調整を経てお客さんに見せられる状態で焼かれたフィルムを「初号フィルム」と言っていたのである。
    フィルムを焼く、という表現も若い人には甚だ分かりにくいと思うが割愛。
    今はDCPというデータで上映されているので、お客さんに見せられる状態のDCPの映像を初めてスクリーンで関係者が見る事を初号試写と呼んでいる。

    出来上がった作品は何度か見ているので、さすがに落ち着いて見られたのだが、集まった関係者の懐かしい顔を見ていてグッと込み上げるものがあった。
    放映開始から10年経ってるので、立ち上げからアイカツ!のプロジェクトに関わっていた人は殆どいない。
    私もアニメの企画が始動を始めてから入ったので、本当の立ち上げから関わってるのは加藤陽一くん位かもしれない。
    とはいえ私もほぼ立ち上げメンバーで、アニメの現場で立ち上げに関わっていた人は今アイカツチームには私以外いない。
    試写では、そんな立ち上げ当時のメンバーが結構集まってくれた。
    作品に直接関わってくれている人ももちろんいるが、もう離れている人ともちらほら来てくれていて、とても嬉しかった。

    MONACAの作曲家・帆足くんとは何年ぶりかで会えて思わずハグしてしまった。
    アイカツ!的、作詞家・御三家の辻さん只野さん、こだまさんも来てくれていた。
    只野さんは、試写の後ずいぶん長い事ロビーに残って話し込んでいて帰りもご一緒してしばらく話し込んだ。
    只野さんは20年近く続いているプリキュアにアイカツ!より長く関わっているので、色々話して励みになった。

    関係者は、監督にとっては最も先に反応してくれる観客だ。
    意外と関係者の反応はビビットなので、見せる前はドキドキする。
    試写の後の皆んなの反応を見て少し安心できた。
    これで観客・ファンに見せられる、と思えるようにはなったのだが、まだ怖い気もする。
    作品は終わって仕舞えば完全に観客のものだ。
    観客の心の中に残っているものが全てだ。
    アイカツが終わったときは娘を送り出した様な気分になったのを憶えている。
    今回の作品は、一旦、観客の手に渡したものをまた返して貰って作った様なものなので非常に緊張している。
    ただただ楽しんでくれる事を願うばかりだ。

    今回の映画は完全に昔見てくれていた人に振り切って作っている。
    当時、アイカツ!がメインターゲットととして想定していたのは7〜9歳の女の子。今、高校卒業したかしないか位の年齢の人たちだが、その世代の人たちに向けて作った。
    なので卒業をテーマとして取り上げてある。
    10年経つと当時ファンだった子がスタッフとして働いていたり、演者として関わっていたりもする。
    私もアイカツ!に関われた事で色々な経験をさせて貰った。
    今度の映画はそういう色々への感謝の気持ちも込めたつもりだ。
    いや…大仰な内容ではないのだけれど、むしろこんな話で大丈夫なのか?といまだに心配だけれど、オールドファンは楽しんでくれるのではないかと思っている。

    なにはともあれ、もうすぐ公開である。
    この映画をきっかけに、しばらくの間ファンも関係者もアイカツ!10周年を楽しんでくれたら、こんなに嬉しいことはない。

  • アイカツ!10th Story

    アイカツ!10th Story

    2023年1月20日より『アイカツ! 10th STORY ~未来へのSTARWAY~』が上映開始。皆様に10年分の感謝を込めて。

  • 映画館の中

    映画館の中

    しばらく前、劇場版アイカツプラネット!の舞台挨拶行脚をしてきた。
    盛況で大変感謝である。
    我々は何ヵ所か回るわけだが、お客さんも好きな人は何枚もチケットを取りハシゴしたりする。
    移動に失敗などすると、満席なはずの劇場の席が空いていたりして、こちらは寂しい思いをするのである。
    舞台挨拶のハシゴは是非完遂してほしい(笑)
    今回も数席空いてる回があったが、移動に失敗したのだろう。

    最近の舞台挨拶は、映画が終わった後と始まる前をセットにする。これで、待ち時間を縮めつつ2回の挨拶をこなせる。
    見終わった後の回はネタバレOKなので、話せることも多くやりやすい。観る前のお客さんを相手にする場合はネタバレは極力避けるので、ゴニョゴニョと歯切れの悪いコメントを言ってしまったりすることが多々ある。

    舞台挨拶も皆、台本が用意されている。
    渡されるのは直前だったりするが、質問とこんな答えが欲しいという想定問答が書かれているのである。この質問の面白さも当然我々のコメントの質に関わってくる。
    今回は劇場毎に台本が用意されていたが、それでも同じ質問は混じっている。
    今回であれば、花彩ちゃんが誰か感謝を伝えたい人がいますか?と言う質問を数回受けていて、流石に辛いということで途中でオミットされている。
    感謝を伝えたい人間なんて、定番の母ちゃん父ちゃん以外そういるものではない。
    プラネットメンバーは殆どが初めての舞台挨拶だったので最初は少し硬かったのが途中だいぶ慣れて尺が伸びてたのもオミットの理由である。
    私も久しぶりの舞台挨拶だったので最初の方は少し緊張していて、1回目2回目は同じ質問に同じ様な答えをしてしまい、サービスが足りなかったと反省。

    舞台挨拶の度、何を着ていくかは悩むのだが今回はあまり時間が無かったのもありアイデアもなくシャツを新調したのみ。
    一緒に上がる演者たちは、殆ど衣装の制服だったので悪くはなかったかな。
    衣装を自宅から着ていくかは非常に悩みどころ。
    本当はシワになるので現地で着替えたいのだが映画館の控え室事情的には難しい。女性用のメイクルームなどは辛うじて確保される場合が多いが、オジサンの控室は個室とかではないので着替えるならトイレくらいのものである。
    映画館は舞台挨拶など想定して少しは控え室の用意はあるが、基本的にそれほど広くない。
    他の映画などでの監督たちはどうしているのだろうか。そもそも監督なんて誰も見たくないんだから要らないんじゃないかとも思うが。
    アイロンで綺麗に仕上げたシャツにシワが入るのは毎度テンションが下がるので(笑)今度は現地着替えも検討しよう。

    映画館の裏側をウロウロ出来るのは楽しいし、映画館のイベントは好きだ。
    また年明けには舞台挨拶があると思われるので、その時また。

  • 10年目

    10年目

    *これはNOTEに書いたものを引っ越しした記事

    はて、アイカツプラネット!の撮影日誌が終わってから放置していたNOTE。
    せっかくなので何か書いてみようか…。
    といいつつ、何を書いたものやら。
    日々の仕事の事は殆ど言えないことばかりなので書けないし。
    文章を書くのは結構好きなのだが、現在は仕事が猛烈に忙しく、書けるとしたら移動の時間で書くくらいか。お酒もコロナとは関係なく全然呑んでない。しょんぼり…。

    アニメ業界は今、仕事が過密みたいだ。
    みたいだ、というのは人と話していると明らかに過密だなぁと思うという程度で確たるエビデンスを持ってる訳ではない。
    しかし、スタッフを集めるのがとても大変な様だと制作チームの様子を見ていると判る。いや、昔から大変ではあったのだが、ちょっとここまでのは人材不足は無かったのではなかろうか。
    過密だからといって、皆んなバブリーでウハウハ言ってるって訳でもないのが不思議である。

    バブリーで浮かれてる人が沢山いた90年代は今や30年以上前の時代である。
    私が大学を卒業する直前にバブルは崩壊して、あの時代のお祭り感は全く味わっていない、と思う。が、多少の残り香のようなものはあったかもしれない。
    80年代後半から90年代あたり、当時は浮かれた時代の雰囲気と自分の距離感がありすぎて、何か馴染めないような、あまり自分がそこに参加しているという実感もなく眺めていたが、今は音楽やら何やら多少楽しく見たり聞いたりできる。距離感は偉大である。

    コロナを取り巻く気分もだいぶ和らいだようで街もコロナ前に近い賑わいを見せるようになってきた。良きかな。自分が賑わいに身を投じるには、まだ暫くかかりそうで去年コロナ真っ盛りで暇を持て余してした時が懐かしい。
    コロナで色々狂った帳尻をこの半年くらいで合わせようとしてるような状況なので、無茶が続くのは仕方ない。身体は追いついてないが。

    しかし、アイカツ!10周年というだけでなく久しぶりの人と仕事をする機会に恵まれて気分は楽しい。
    仕事をしたくてもなかなか組めない人は沢山いる。身体は一つなので仕事の量も自ずと限界がある。一年ものの様な長いシリーズであれば、ゲスト的にでも色々な人に関わってもらえるのだけれど、なかなかそういう機会は少ない。
    ワンクール、今は大体12話。放送であれば3ヶ月ほど。制作現場が回り始めてしまえば半年経たず終わってしまうような期間である。
    この人とまた仕事がしたい、と思っても次の機会までは随分かかってしまうことが多い。

    10年経てば、スタッフもあちこち散り散りになっているので、頼みたかったが色々な事情で参加が叶わなかったスタッフもいる。仕方のないところである。
    とはいえ、多くの当時のスタッフが参加してくれてありがたい。試写会は同級会の様でもあって、終わった後はいつまでも話が尽きないような雰囲気だった。

    と、毎度取り留めない話しか出来ないと思うが書いてみるかな。