相変わらず切羽詰まっていて、ブログなんか書いてないで仕事しろよと思われそうな状況が続いている。
今月を抜ければ少しはマシになるかもしれないが。
久しぶりに演出の仕事をしている。
世間というか業界人は作品数が増え過ぎて、スタッフのレベルが下がったという人が結構いるが私自身はそれほど変わりないと感じている。
私の担当は初回だしメンバーもそれなりに気を遣っているということは言えると思うが、いい感じというわけでも悪くもなく、まあこんなもんだろうなというアベレージのスタッフクオリティだ。
もちろん下を見ればキリがないだろうし上もまた同じ。
業界をくまなく見て回っているわけでもないけれど、今仕事をしている制作会社のランクでこのくらいのスタッフということから全体を推察するに、むしろ悪くない、という程度に落ち着いている様に思う。
長い間、クオリティーの高い現場で働いていた人から見れば、多くの現場はいつでもレベルが低いだろうし、レベルの低い現場しかし知らない人にとっては、やはり現場は常にレベルが低い。
私は、あまり作画が凄くいいという現場は知らないが、それでも標準より上は見ていると思うし下もまたそれなりには知っているとい平均的なレベルのスタッフとして30年ほど働いてきたという自覚があるが、その感覚からすれば平均レベルはあまり変わらない、むしろ良くなっているのではないかと思う。
1話数の中にも凄く上手い人とすごく下手な人というのは常にいて(下手にはいろんな理由があるが、とりあえず置いておく)その感覚が上の方に傾いて差異が小さい(つまり上手い人がいて下手な人が、それほど下手ではない)ほどスタッフのレベルは高いと言えるのだが、今やっている仕事は私の感覚的には中の上くらいというレベルなので制作会社の規模を考えるとかなり健闘していると言える。
この制作会社で、このスタッフが集まるのなら業界全体のレベルは満更でもない。
これ以上、作品のクオリティやスタッフの待遇を改善していくためには、制作の効率化などの人的な問題以外の問題を潰していくしかない。
20年ほど前のデジタル環境の導入は大きなトレンドだったが、道半ばで止まり、技術的な制作環境の変革は遅々としている。
もう既にある技術でも色々な可能性があるが、日銭を稼ぐのに精一杯で新しい試みにのり出せているスタジオはわずかだ。
日銭を稼ぐのに汲々としているスタッフとそれなりの収入があっても新しい技術に前向きではない人たちが変革の足を引っ張っている。
業界で出資をしあって作画ソフトを開発するだけでも、大きく生産性は上がる可能性はある。
しかしその様なことが起こる可能性はかなり低い。
AIはもっと個人レベルで、そのような制作環境を大きく変えられる可能性があるので私はかなり期待している。
来年以降になれば映像でも仕事に使えるレベルのAIが出てきそうだ。
今もあるのかもしれないが、権利や倫理などの問題が大きく横たわっているので簡単に出せないという事は考えられる。
私はフルデジタルで仕事をする様になって10年ほどになるが、デジタル環境になってもかなり非効率な作業の仕方を強いられていると思っている。
デジタル環境の可能性の半分も享受できていないのではないか。
もっと制作効率が上がれば個人の時間も増え、より良い作品作りに資するだろうと思う。
タグ: 日記
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随分間が空いてしまった。デジタル環境などについて思う事【2024年05月15日】
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繁忙【2024年04月30日】
4月は忙しくてこれを書く暇もなく記憶が脱落している。
仕事は少し予想はしていたものの、てんやわんや。
若い頃ほど体は動かないので、出来ないものは出来ないのだが。
ある程度知っているスタッフと作品もシリアスではないので気分が重いわけではない。
そして久しぶりに演出の仕事を引き受けている。
ちょっとした、やり方やコツを忘れていたりして余計な時間がかかっているが、手を動かすうちに思いだしてきている。思い出したからといって体がついて来ているわけでもない…。
昔の様に放送に追われて落ちたら違約金か…というような状況は今はほとんどない、と思う。
(なんか改行が変…。というかSHIFTを押しながら改行すれば一段空かないということを今学んだ。)
なので、切羽詰まっているものの、なる様にしかならんだろうで済ませている。とにかく人手不足な状況は解消される見通しがないのでAIの活用は必須になるだろう。
とはいえ、映像だとまだHDの出力もハードルが高い様なので仕事で使える様になるには時間がかかるかもしれない。
遊びで触りたいけれど、いつになったらそんな時間が取れるのか分からない。
adobeのfireflyを少し試してはみた。猫の画像を作ってみたがあまりに簡単で面白い。
自分の狙った画像が出すのは難しいので、かなり工夫が必要そうだ。音楽も浸って聴く時間がないので昔の曲ばかり流している。
Youtube musicのおすすめで出てくる新しい曲は当たりの確率は低い。Youtubeで園芸チャンネルばかり流している。
アジサイが欲しいけれど買いに行く暇がない。
もうシーズンが終わってしまう。
狭い庭でも鉢などで結構色々出来そうで、映像で出てくる庭はどれも魅力的で癒される。
やりたいことが溜まっていくばかりで、どうしたものか。現代美術館でやっているホー・ツェーニンも見に行きたい。
オッペンハイマーもチケットは買ったものの、タイミングが掴めない。頭がまわらない。
まずは仕事を終わらせよう。 -
春だから【2024年04月06日】
SNSを見ていたら、春を期に事務所を退所したという人が増えていた。
業界を辞める人もいるし、移籍するだけの人もいる。
かつて一緒に作品を作った仲間で業界を去る人に対しては、いつも少しだけ申し訳なさを感じる。
自分の作品にもう少し力があれば続けられていたのか、とか制作環境がもう少しマシだったら良かったのか…とか。
色んな事情があるので、それはこちらからは知り得ないし、一個人が力になれることなど少ないのだが。
私もいつ辞めても構わない、と思っていた。しかし他に出来る事もなくズルズルと続けてきたような質である。我々の様な仕事が続くかどうかは半分くらい偶然なのかもしれない。
業界の労働環境を改善しようとみんな頑張っているが、労働環境の問題と仕事が続くかどうかは別の問題という面もある。
どんな仕事でも向き不向きはあるし、やってみて初めて向いてない事に気づくということもある。
気づいたら早めに方向転換できた方が良い。
環境が良ければ花開いたのかもしれない才能を持った人はたくさんみてきた様に思う。
しかし仕事の才能があっても、それが人生の幸せに直結しているわけでもない。
どういう選択が自分にとって良かったのか、人間には選択した後の人生しかわからないので知る由もないが、なるべく後悔がないと良いとは思う。
やらずに後悔するよりはやって後悔する方が後悔の度合いは少ない…ような気はする。
新しい道に幸あれと、若人の背中を見つめながら祈るばかりだ。
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そろそろ春【2024年04月01日】
長男猫を病院へ連れていく。
血液検査の結果、腎機能が衰えてきているとのこと。初期の腎臓ケア用の食事を検討。
歳をとると腎臓が弱るのは猫では良くあることで先に旅立った猫たちも腎機能の低下が大きな原因で逝った。
水をたくさん飲ませるのは基本だけれど、なかなか難しい。
陶器の器を好む、噴水みたいな給水器も好き、ということで先代猫のいる時代から導入はしているが、猫は基本的に舌でペロペロと舐め取って飲むというスタイルなので人間の様にはたくさん飲めない。
最近、ジェルタイプで少し味のついた経口補水剤が出てそれも好むのでなるべく使うこととする。
腎臓ケアの食事は膵臓に負担をかける可能性があり、一長一短ということらしいが、腎機能が明らかに落ちているということなので先ずはそこからの対処になるのは仕方あるまい。
若い猫たちとの食事の食べわけが非常に難しいが、時間を決めて人間の見ているところで食べてもらうしかなさそうだ。
猫も人間も歳を取れば体の維持に手間がかかる。
できるだけ快適に人生を送らせてやりたいものだ。
久しぶりに自分の作品だが演出を担当する事になり、明日は打ち合わせが入っている。
一体何年ぶりなのか…。
アイカツスターズ!のコラボ回を担当して以来かもしれない。
演出というのは半分体力勝負なので、ちょっと不安ではあるのだが、なんとかやりきれることを祈りたい。
現場のアニメーターとコミュニケーションする機会も最近極端に減っているので、いい機会かもしれない。
ビヨンセがタワレコでサイン会をやったのが話題になっていた。
まあ、思いつきで決めたのだろうけど実行したのは周りも含めて凄い。
日本じゃなければ逆にあんなサイン会出来ないのだろうが。
リズムが面白いということでVijay IyerのHuman Natureを聞く。
2010年の曲。
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散髪【2024年03月28日】
髪を切りすっきり。ひさしぶり。
美容師のお兄さんにビールを献上。大変喜んでくれた。
最近はお酒が飲めず大量に余っている。
体調は上向いてはいるものの、まだしばらくお酒は控えるつもり。
3月も後半で少しづつ暖かくなってきているのでありがたい。
寒い時期は何かしら体調が崩れがちなのは歳のせいで致し方ないのだろう。
シラスで山﨑孝明という心理療法士(どうも定義が難しいらしい)の精神分析についての講義をみる。面白かった。
エヴァは精神分析の用語が沢山引用されているようだが山﨑氏はエヴァをきっかけに精神分析にはまったらしい。
フロイトは興味ありつつ手が出ずにいたのだが、藤山直樹の集中講義・精神分析は買ってあったので、ざっとでも読んでみよう。
山﨑氏の精神分析は文学という言葉が刺さった。
以前は精神科の診療はカウンセリングも一体なのだと勘違いしていたが山﨑氏の「精神分析の歩き方」で随分違うことを知る。精神科の医療は基本的に物理。
カウンセリングも精神分析も現状は医療行為ではなく保険が効かないので高い。
そもそも精神分析を医療行為ではないと考える精神分析家(日本に数人しかいない)もいるようだ。
カウンセリング、精神分析的心理療法は精神分析を実際の臨床治療に応用するというものだが、その内実の腑分けは難しいので山﨑氏の本など読まないとわからない。
心理療法をやっている人たちにも良し悪氏があるようなのだが、使う側にとってはかなり見えずらい世界。
医療としての精神分析はともかく、物語の中のキャラクターを考える上で精神分析は非常に有用そうだ。
ハリウッドの脚本だと当たり前のように精神分析の考え方が使われているとも聞くが実際はどうなのだろう。
オッペンハイマーは見に行こうかと思っている。
ノーランの映画は長くてラストの方でいつもトイレに行きたくなるのだが、頑張ろう……。
今回も3時間あるとか。
今日は会議だ。
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読書日記「文学のエコロジー」【2024年03月27日】
山本貴光さんの「文学のエコロジー」読了。
文学の中に書かれていることをコンピューターのシュミレーションの要素として読み直す、というのが主な企み。
言われてみれば、仕事では原作や脚本などをシュミレーションし直す様な読み方はしているのだがシュミレーションという言葉で考えたことはなかった。
前半は事物、時間など物質的なことを取り出して解析。
後半は紙幅を割いて、心に関する描写についての考察。前半に比べると抽象的なテーマだが、それがAIへと接続されて現代の問題として語られていて大変面白かった。
最終章の文学のイメージは読者との共同作業の中に現れるという事についての考察は、全くその通りだと思う。
文学以外でも物語を扱った何かに敷衍できる内容で大変面白かった。
山本さんは同い年だけれど博覧強記の人で、同じ人間とは思えない。
なかなか本を読む時間がとれないけれど読みたいものが溜まっている。
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楽しそうなAI【2024年03月24日】
AI面白そう、などと言っているとSNSでは吊し上げに合いそうだが、やはり面白そうである。
画像、動画の分野だとまだやれることは大分限られている印象だけど、実験的にAIを使った映像を見ていると現状でも工夫すればかなり面白そうなことが出来そうだと思う。
かなりワクワクする。
数年後にはAI抜きの制作は考えられなくなるんじゃないかと言う印象がある。
このまま色々AIが進歩したところで何でもかんでも出来る様にはならないので、基本は人間との共同作業だろう。
使い方次第で色々なことができる様になりそうだ。
AIを使った映像を見ていると、今まで以上に映像のアニメーション化が進む様に思う。
現状、動画生成系のAIに求められているのはフォトリアルな映像を作れる様になるということの様だ。
この方向で進化したとしてもアニメーション化していく。
アニメーションとは何かと言う定義はどんどん拡張していて、CG映像をアニメーションとした時からフォトリアルな映像は、とうの昔からアニメーションのカテゴリーの中に内包されてしまっている。
ライブアクションとアニメーションの違いは、現実の『時間』を映しているか、そうではないか位の大雑把なカテゴライズになってしまった。
現状のAIの映像を見ていると人の手が入っているのは明らかで、それは非常にアニメーション的だ。
特にCGを使った映像に似ているものが多い。
そう遠くない未来に現実と見まごう映像が可能になることは間違いない、というかCGにだって現在それが可能だしフェイクのようなAIを使った映像も既にある。
ライブアクションとそれら映像の違いが見分けることが、やり方によっては非常に難しくなる。
しかし、概ねの作り手が求めるのは、そう言うものではなく、フォトリアルであってもアニメーション的なものになると思う。
そうなって手描きのアニメーションは何をやるのかな?ということについて考えるのは面白そうだ。
AIを使えば手描きの様な手描きではないアニメーションも可能になるので、人間の役割も作品によっては大きく変わっていくだろう。
アニメーションを作るのには何と言ってもとてつもない時間がかかっていたのがもっとお手軽な表現として作れる様になるかもしれない。
結局アイデアが一番重要ということになる。
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10th再上映【2024年03月22日】
昨日でアイカツ!10thSTORYの再上映も終わり観てくれた方には深く感謝。
ゆるゆるとアイカツ!界隈は何か続いていきそうなので、のんびり待っていただきたい。
わざわざ、コンタクトフォームからファンレターをくれたお嬢さん(JKと書いてあったのでお嬢さんであろう)、ありがとう。
10年もたった作品に対して愛情を示して貰えるのは制作者冥利に尽きるというものだ。
あの映画については前に色々書いてしまったので、もうとくに言うこともない。
繋がった映画の形態で見られるのは映画館か配信なので、たまに映画館でやってくれると良いのだが。
つい先日、ジャネット・ジャクソンとTLCが共演するという神ライブをやっていたが、知り合いのオールドファンたちは大満足だったようだ。
若い頃に見たもの聞いたものは、やはり強烈に体の中に残っていて、いつまで経っても力を与えてくれる。
不思議だなとも思うけど、創作の仕事に関わってるような人も子供の頃や若い頃に得た初期衝動の勢いだけで歳をとっても動いてることは多いと思う。
アイカツ!も初期衝動についての物語だ。
アイカツ!に限らず沢山の作品で繰り返されている永遠不変のテーマだと思う。
私もいまだに子供の頃の初期衝動だけが力の源泉だけれど、職業選択は半分偶然で続けられているのも半分偶然だし、他の選択をしていたとしても何らか若い頃の経験が初期衝動として機能していたんだろう。
良くも悪くも若い頃のかけられた呪文は強力で、そこから逃れるのは容易ではない。
解いてしまった方が良い呪文も沢山あって、それにはプリンセスのキスのような強烈な体験が必要だとは思う。
そうでなければ解けないか、解くまでにえらく時間がかかることはあると思う。
老いると、いろんな魔法がその効力を失っていく。
そうして気づくことも沢山あって、それは楽しいことだ。
自分には出来ないと思っていたことが出来るようになってしまったりすることもある。
解けてしまわないでほしい魔法は、自分で望まなければそうそう解けないものだ。
魔法、呪文は良い面も悪い面も持っていることが常だろう。
ある時期までは自分を守ってくれていたものが、気づいたら唯の重荷になっているということもある。
芸術(高尚な意味ではなく広い意味での)作品もそれが見た人に何らかの力を与えているうちは良いが、何かの足枷や頸木になってしまうことはある。
だから私は、ひとしきり楽しんだら忘れてしまった方が良いと思う。
必要になったら体の中に刻まれた何かが思い出させてくれるんじゃなかろうか。
体の中で昇華されて残っているものが重要だ。
時を経て作品を見返すと新たな発見をすることが多い。
しかしかつてのような魔法は立ち現れず色褪せて見えることがほとんどだ。
それでもかつて魔法の呪文をかけてくれた作品は何か輝きを残している。かつては見えなかった魅力が立ち現れてくることも尋常にある。
I can cast a spell of secrets you can tell
というI’m Every Womanの歌詞のようでありたいと一人の演出家としては思う。
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また寒くなったし【2024年03月19日】
いのまたむつみさんの名前を覚えたのはプラレス三四郎だろうか。
丸くて柔らかくて動かしても映えるデザインだった。
金田伊功的ラインと少女漫画的ディティールの共存。
動かしやすい、というのは最近のデザインでは最優先事項に上がることはあまりなくなったが当時はまだ当たり前の様に動かしやすさは意識されていたと思うし、立体優先ではないデザインの黄金時代の仕事の様に思う。
特に意識せずとも80年代アニメ界隈が好きなら、いのまたさんの絵は山ほど見ただろう。
三四郎、レダ、ウィンダリア、宇宙皇子の挿絵、あたりが私の中で印象に残っている仕事。
GBボンバーも持っていたと思うな。
今も、その影響はそこら中に残っているだろう。
80年代活躍していた頃はまだ20代だったわけだが、当時は20代で活躍しているクリエーターは沢山いた。
その中でも時代を象徴する絵描きの一人だったろう。
私が子供心に憧れたクリエーターたちは、お兄さん、お姉さんといっても差し支えのない年頃だったわけで、日本の勢いのある時代の象徴だったも言える。
そんなアイドルたちが少しづつ天に召されていくのは寂しいが、仕事は永遠にこの世に残る。
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学生作品【2024年03月17日】
月曜、TAAFのイベントの一つYOUNG POWER 2024という学生作品の上映イベントに呼ばれた。
作品上映後に講評をしてくれということで私とニンケ・ドゥーツさんというオランダの作家が登壇した。
学生の作品は美術大学の学生の作品なので、私よりはニンケさんのコメントが学生たちには有用だっただろう。
司会は野村 辰寿さんという90年代「ストレイシープ」など作っていた多摩美の先生。というのは名刺を見て後で調べて知ったのだが。
基本的に卒業制作で作られた作品らしい。
まず、アニメの場合一人で作品を完成させるのがとても大変なので、完成しているというだけで素晴らしい。私も卒制でアニメを作ったが大変だった…。
概ねデジタルツールを使って作られていたが、撮影以外はデジタルを使わない伝統的なストップモーションアニメもあった。
中にはびっくりする様な出来の作品もあって、多摩美の高山さんと東京造形の伊藤さんが作った作品は飛び抜けていた。
とはいえ、続けていれば皆上手くなるだろう。
アニメは作り続けるのが大変だ。学生でなくなった瞬間、自分の食い扶持を稼がなくては行けなくなるがアニメを食い扶持にできる人は限られるだろう。
私の様に商業アニメを生業にするとインディペンデントで作りたい人は時間を作るのが難しいだろう。
どういう形であれ、作り続けられると良いのだが。
水曜は某会議。
どうも私のセンスは他の人とズレている。
まずまずの落とし所に落ち着いたとは思う。
木曜も会議。
こちらは細々と詰めて時間がかったが進行としては順調であろう。
金曜は某作品の打ち上げ。
自分の作品の打ち上げをやるのは一体何年ぶりだろうか。
ピカちんキットの打ち上げはコロナで出来なかったので。
その前に出た打ち上げが何だったのか記憶がない。
思ったより随分多くの人が来てくれていた。
中には10年以上前に関わった作品のスタッフが当時いた企業とは違う企業の社員としてきていて、声をかけられてびっくり。
見た目があまり変わらなかったので思い出せた。
色んな人に声をかけてもらったが、残りの人生で自分ができることは何だろうと、また考え込んでしまった。