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かるく勉強【2023年12月11日】

LGBTQの入門的な本を幾つか買って読んでいる。

「医療者のためのLGBTQ講座」編:吉田絵理子

「LGBTってなんだろう」藥師実芳・他

「LGBTヒストリーブック 絶対に諦めなかった人々の100年の闘い」ジェローム・ポーレン

「クィア・アクティビズム」新ヶ江章友

「クィア・アクティビズム」はまだ読みかけ。

どれも良い本だった。

「医療者の…」は一般の人にもわかりやすく書いてあるので、基本的な医療目線の知識が分かる。

二つ目の「LGBTってなんだろう」も大体同じような内容だが親などが読むような想定で

書かれたもの。

ヒストリーブックは子供用に書かれたものらしく、短いエピソードが年代別に並んだ作り、平易にしてある分エピソード同士の関係性が少し分かりにくいかもしれないがアメリカの運動の面白いエピソードが満載で良い。1900年代前半から2014年辺りまでをフォローしている。

「クィア・アクティビズム」は割と出たばかりの本、大学の教科書用として書かれている。フェミニズム運動から説明されていて性表現規制などにも触れられていてかなり面白い。まだ読み終わっていないが歴史をざっくり追うならこれはとても良い。

歴史を紐解くととにかく大変ということだけは良くわかる。たくさんの人間が命を賭して戦っている。アメリカで女性の参政権が認められてから、まだ100年くらいと思えば日本の状況をみてもまあなるほど思わなくもない。

プリキュアもLGBTQの問題を扱うご時世なので、大雑把にでも知識があった方が良い。

LGBTQはの問題は色々なことと繋がっているということだけはわかった。

月曜になってしまった【2023年12月04日】

ついに12月。

随分あったかいので、あまり実感がわかなかったけれど打ち合わせなども減り、仕事がおさまっていくので年末感を

感じてきた。

コロナの後は忘年会も減りのんびりと過ぎていく年末になりそうだ。

しばらく一人での作業ばかりになりそうなので気が抜けてる。

TAAFで毎年やっている業界人が推薦するアニメスタッフに渡す賞の候補者選びのために今年の発表になった作品御タイトルを眺め、その多さに驚く。

余裕で300タイトルはあろう。

テレビシリーズも12本のものがほとんどなのでタイトル数が増えるのも当然とは思うが、それにしても良くこれだけの数作れているものである。

自分お経験的にも噂話を聞いていても、どのスタジオもスッタフ集めにはかなり苦労している様ではある。

ここ最近はやはり漫画原作が元気で私の仕事も原作ものばかり。

あやかりたいものである。

これだけ本数があると見るにしてもどういう基準で選んでいるのだろうか。

原作ものであれば知っている人はまあ、お試しにでも見るのだろうけど、そうでないなら選択の理由はなかなか見えずらい。好きな声優さんが出ているというのは大きな理由のひとつになっているか。

スッタフで見る作品を選ぶということは、最近はほとんどなくなっているとは思う。

テレビ放映で同じ枠だから見るとか、消極的理由で見ることも多いのだろうか。

自分の作品を見てくれる人がいるというのは、まあ奇跡みたいなものだな。

最近は海外での配信・放映も大きなシェアを占めているので海外の人の反応となると本当になかなか感じる事が難しい。

しかしお客さんお顔が浮かばないままに作るというのは、広い海に漠然と釣り糸を垂れる様なもんだ。

見る人がいないものを作っても虚しいので、食べる人を想像しながら料理を作る様に作品作りも見る人の顔が見えた方が良いと思う。

省略、ロングサイズだから…【2023年11月26日】

SNSでロングサイズのキャラクターの顔の中を省略した描き方を批判している人がいるという話題を見かけた。テレビが大型化したり解像度が上がったりして一般的なテレビアニメの作画を行うA4サイズの紙に描かれたフレームの対比でロングサイズのキャラクターを描くと線が潰れてしまってなんだかよく分からないので拡大して描くというやり方が常態化して久しい。

しかしどうもそういう話だけでもないらしい。

そもそも省略して描いた絵を作画崩れのように感じるということのようだが、これは考えると面白いと思った。

拡大作画というやり方は構図の中における対比より、かなり大きめにキャラクターを拡大してディティールもある程度描く。このやり方では昔のように顔の中が描かれていないのっぺらぼうのキャラクターになることはない。

アニメは「絵」で作られるので上手く描けば省略された絵でも違和感はない、というのが昔の感覚だったのだが、それでも高解像度時代になって小さな紙に描いたものが大きな画面で見られるようになり、相当上手く省略しないといい絵に見えないというのは作り手側も一般的に感じていると思う。

件の絵はうまく省略されているのに、違和感を感じる感想が出たということらしいのだが、これは視聴者のそもそも「アニメの絵」とはこういうものであるという認識がかなり変わってきているということの証左なのかもしれない。

「アニメの絵」というものが絵画などとは切り離されて一つの様式の幻想を作り出しているということはありえるし、それがここ10年くらいで更新されて一般化した可能性もある。

今のアニメの絵は、製造工程にかなり寄り添って作られている。

変わった絵柄にすると、クオリティを維持できないし物量的にも仕上げるが難しい。

細かな工夫は当然作品ごとにされているのだが、大きく逸脱した作品は近年かなり作りにくくなっているように思う。(例外がないわけではない)

そういう絵に目が慣れていれば、そこから外れた絵には違和感を憶えてしまうのは当然だろう。

デジタルでの作画に徐々に業界も移行しつつあるのだが、デジタルになって絵の自由度は上がっていくはずなのだが、それについていける作り手を育てないと新しい絵柄で作品を作るのは難しい。

表現の幅が広がれば視聴者の感覚も広がっていくと思うが、時間はだいぶかかりそうだ。

全然歩いてない【2023年11月23日】

ブログなぞ、いまさら誰も読まないだろうがまあ良い。

SNSは広告が入ったりで読みにくくて最近ずいぶん見る時間が減ってしまった。

前は中毒気味だったのだが…。

東浩紀「訂正可能性の哲学」読了。

まだあまり理解できていない気はするが、とても考えさせられるテーマ。

おわりに、の「正義なんて本当は存在しない。同じように真理もないし愛もない。自我もないし美もないし自由もないし国家もない。すべてが幻想だ。みなはそれを知っている。にもかかわらず、ほとんどのひとはそれらが存在するかのように行動している。それはなにを意味するのか。人間についての学問というの、究極的にはすべてこの幻想の機能について考える営みだと思う」に共感。

今興味があるのは人間のつくる「境界」これも幻想の話。

国家だジェンダーだと揺れてる境界。

境界無しには人間は何も考えられない。

面白い。

アイキャッチの画像ひと月毎に変えないと見ずらいかなぁ。

演出家の出自【2023年11月23日】

少し体調が良くなったこともあり、ぼんやりと日々が過ぎていく。

仕事もしばらくはだいぶのんびりモードなのだが、暇なうちにやれることをやっておかないと、あとが大変のは火を見るより明らかなのでコツコツと働かねばいけない。

SNSを見ていたら、最近はアニメーターあがりの監督が重宝されているのである、見つからなかったらその他の部署上がりの監督を探すのである、という様なことを言っているアニメ監督がいた。

私の肌感は、最近アニメーター上がりの監督は少し減った、なのでどうも見解が違う。

まあ、事実がどうかもどうでもいい様なことなのだが、実際どうなのだろうか。

最近は名前を見てもどういう出自の監督か、私にはほとんど分からなくなってしまったのだが知っている名前を観測している限り、アニメーター出身が突出して多いという感じはしない。

もともと演出家の出自は、制作、アニメーター、撮影がほとんどを占めている。その割合と変わらないという印象である。

10数年前まではアニメーター出身の監督、演出家、特に絵コンテマンが重宝されていたのは事実だと思う。

しかしながら徐々にその傾向は落ち着いていった。特に最近は。というのが私の肌感。

それには幾つか理由がある。

一つはスケジュールが大幅に改善されたこと。

最近はまた大変な現場も増えている様だけれど、一昔前に比べるとゆったりと作っているところが増えているはずである。

数年前から配信向けや中国向けに放送するための審査用に全てを作り終わってから納品するという作品が増えたことや労働環境の改善などの影響で良くも悪くも従来の何倍ものスケジュールで作る、あるいはそれだけ長いスケジュールがないと作れないという状況になっている。スケジュールの長期化や発表されてないが制作に入っている作品の数が増えたために、さらに長期化するという様な悪循環も起こっている。

スケジュールとアニメーター出身の演出家が重宝されることに何の関係があるのかと思われるかもしれないが、大いに関係があった。

スケジュールが無いとコンテ撮という主に絵コンテの絵を使った映像でアフレコを行うことがある。

この時、アニメーター出身の演出家の描いたコンテの方が圧倒的に見やすい。

アニメーター出身でなくとも絵の上手な演出家はいるのだが、一部の絵があまり上手く無い演出家は絵コンテを任される機会が減ったし、若い演出家志望の人も絵が描けない人は絵コンテを任される機会が少なくなってしまった。

しかし、スケジュールが伸びてアフレコで絵コンテの絵でアフレコする必要がなくなれば、絵コンテの絵が上手かろうが下手だろうが面白ければ良い。

また、スケジュールが無くても絵のクオリティを上げるためにアニメーター上がりの演出家が重宝されていたという側面もある。

スケジュールが改善されれば、演出家が絵に手を突っ込んで下手にスケジュールを食い潰すよりもアニメーターに任せた方が良いという当たり前の結論に落ち着ついていった現場が多いのでは無いだろうか。

二つ目は綺麗な絵だけでは作品が売れなくなった。

作品が売れるとは?どういう状態かというのは難しいのだが、ざっくり綺麗な絵だけでは人気は出ないという傾向がここ10年くらいでハッキリとしてしまった。

高い値段でパッケージを売るという商売が全盛の時は、やはり綺麗な絵の作品というのはとても高い価値があった。

しかし、今はパッケージは全く売れない。因果関係はよく分からないがパッケージ全盛時代よりは明らかに作画のクオリティは重視されていないと思う。

かっこいいとか、きれいな絵をつくるというのはアニメーター出身の演出家に今でも一日の長があると思うが、そういうものを求める作品ばかりという傾向では今は無くなったという気がするし、スケジュールが改善されたことによって演出家のイメージをアニメーターが補佐できる現場が増えたのでは無いだろうか。

そうすると、演出家の出自はあまり関係がない。

アニメーター出身の演出家を重宝する傾向のスタジオはある。

しかし一時期ほどに偏りは感じない。

お客さんにとっては演出家の出自なんてどうでもいいことだと思うが、アニメーター出身の方が圧倒的に有利である、なんてことはないんじゃ無いかなぁ。

秋なのに暑い【2023年11月04日】

先週は、すみだEXPOというアートイベントを見に行った。

知り合いのDJが参加していたので顔見せがてらのつもりだったのだが、思いのほか楽しく見られた。

各展示には制作したアーティストか関係者がいて来訪者がくると声をかけて展示についての話をしてくれる。

現代美術はコンセプトがわからないと伝わりずらいものが多いが、逆に話を聞けば、ああと腑に落ちて俄然面白く見える。

そもそも展示場所の家屋が長屋作りだったりで面白い。

探検気分で展示場所を回れる。

ギリギリの時間で行ったので全部は回れず、次はゆっくり見てみたい。

いろんな人にも会えて非常に楽しかった。

昨今、地域に根ざしたアートイベントが増えた気がするが、こういう雰囲気だったら他も見てみたいかもと思わせるものがあった。

ここしばらく体調が悪く憂鬱だったが少し落ち着いてきた。

季節の変わり目に体調が崩れるのは歳のせいもあり致し方ない。

大病を患う様なことはないが、気力やら集中力やら体力やらを微妙に削られるので早めに医者に行って対処すべしとこの歳になって学んだ。

ストレスもまた病の大きなきっかけだが、昔だったら平気な程度のストレスで体に変調をきたすのもまあ仕方ない。

ストレスのない人生は無い。

ゆるゆると新しい仕事も決まったりで、来年は多少忙しくなるかもしれない。

今年は後半ほんとに暇だった。

仕事は暇だったけどなんだか落ち着かない一年だったので、来年は心穏やかにありたい…無理か。

仕事的にはというか、人生的にも来年からは新しいターンに入るんだろうと思う。

次の10年は何をしているんだろう。

少し休息【2023年10月23日】

恩返し的に引き受けたコンテの仕事が片付き、やらなければいけないことはあるもののしばし緩やかな流れになった。

津村記久子「水車小屋のネネ」を読了。

とても良かった。

ヨウムという50年近くも生きるという鳥とそれに関わる人たちの人生を10年おきに切り取って2011年まで描いている。

1981年から始まるので私は主役の姉妹の妹の方に年齢が近く、描かれる時代は馴染み深いのだけれど現代的なテーマを持ったとても良い小説だと思う。

ちょっとずつの優しさを持ち寄って人が寄り添って生きる様を描いていてじわっと心に残る物語。

昨日は東京バレエ団の「かぐや姫」を観劇。

金森穣 氏に興味があったので見にいってみた。

ディズニーのファンタジアを見ている様で美しかった。

人間の体はこんなふうに動くのか、という感慨がある。

揺れる竹林の舞踊が一番気に入った。

昭和の時代、というか黎明期の商業アニメはヨーロッパ由来の伝統的な表現に凄く影響されていたんだなとつくずく感じる。

ディズニーの影響で始まっているのだし、それはそうだよなというもんだが。

今は音楽も含め随分多様になってきたと思う。

けど、まだまだ出来ること出来てないことは山ほどある。

ゆるゆると仕事の中で挑戦できると良いなとは思っている。

寒暖差が激しいので体調には気をつけましょう。

涼しくというか寒くなって【2023年10月16日】

急に寒くなってしまいましたね。

今週は打ち合わせが飛んで家で引きこもって仕事。

おかげで手持ちの案件はもう一息。

読書は東畑開人「ふつうの相談」読了、もう少し一般向けかと思ったら割とガチに心理職の人向けの論文。専門用語はそこまで多くないので一般の人も読めると思うが、心理職の扱う対応の選択肢としての「ふつうの相談」とはどういうものなのか、という話で基本的には専門の人に向かって書かれていた。が、個人的には興味深かった。

津村記久子「水車小屋のネネ」を買ってきてパラパラとめくり始める。面白そう。

週末は劇団ロロ「オムニバス・ストーリー・プロジェクト」観劇。1分くらいから5分くらいまでの短い話がどんどん舞台上で語られていくという構成で非常に面白かった。役者さんもどんどん別な役に乗り替わっていったり、美術は見立てが変わって違う場所を表現していく。

三浦さんの舞台は常に違う時間や場所が同じ舞台の上に重なっていくような表現をするけれど、それが端的に普通の人にも分かりやすい形で提示されていた。

アニメも向いてる表現だと思うけど、やっている作品を見た記憶はあまりない。でも有名なところだと「おもいでぽろぽろ」の主人公と幼い日の主人公が同じ画面に同居させているというような例がある。

私も挑戦してみたいけど…なかなか。

枝松聖さんの展示にもいった。SNSでは交流があったのだけど、初めてお会いした。

仕事の幅が広くて感心。ハードなSF系の作品から子供向けまで美術設定からプロップ、メカ設定まで。

アイドルマスターミリオンライブ1話も観た。労作。

私の監督作の現場がぼちぼちと動きそう。

楽しくやりましょう。

竜王戦も始まったり【2023年10月23日】

また新しい戦争が始まってしまうのか。

大事にならないことを祈るばかりである。

人は「ここ」と「あそこ」の区別をせねば生きていけぬのだろうが、線引きというのはなかなか穏便にはすまないものだし、実際には存在しない線を引くというのは難しい。

先週末はヨーロッパ企画の「切り裂かないけど攫いはするジャック」を観劇。

とにかくテンションの高いコメディで楽しく見られた。

来週はロロの新作を見る予定。

下北沢は線路沿いが随分変わっていた。

小さな店も大きな店も増えて、ちょうどアートイベントなどもやっていて楽しそうだった。

またゆっくり回って見たい。

本はイアン・マキューアンの「甘美なる作戦」(原題:Sweet Tooth)を読了。

2014年に訳された本だが、とある書評家が紹介していて面白そうだったので読んでみた。

小説をモチーフにしたスパイ小説という変わった趣向の作品で、少女小説の様な語り口だったので作者は女性かと途中まで思っていたのだが、おじさんだった。ブッカー賞も取ったことのある有名な方。

最後の畳み込みが素晴らしく、小説らしい小説で映像にするのは難しそう。

次は津村記久子「水車小屋のネネ」を読みたいがまだ買ってもいない。

久しぶりに少し小説が読みたくなったいる。

積読も随分嵩んでいるのでちまちま減らしたいのだが。

もう竜王戦も始まってしまった。

藤井聡太vs伊藤匠という久しぶりに若い人同士のタイトル戦で相がかりの難しい将棋。

20年くらい前に将棋を見始めた頃は渡辺明が森内さんを倒して初めて竜王になった頃で、竜王戦は思い入れが深い。

藤井聡太くんが現れて、急激に世代交代が進んだ感がある。

羽生さんは同世代なのだが、おじさんたちの頑張りを見るのも楽しいものがある。

竜王戦が終わるともう今年も終わりだなぁという感慨が押し寄せてくるのだが、最終局までぜひもつれてほしい。

ちょいと体調は良くない。大したことはなく歳だし仕方ない。

そして、アイカツ!放送開始から11年。

時間はどんどん過ぎていく。

精巧さ

もうあまりハイファイとか高解像度、高品位みたいなものに興味がなくなってきたのかもしれない。歳なんだろうなぁ。何せ映画館でスタッフロールの文字も読めないし。

綺麗に作ることだけで面白く見せ切るというようなことも可能だとは思うが、あまりに他の要素とのバランスを欠いているとつらい。あと誰に向かって語っているのか見えづらい作品も見ていられない。

この間、仕事の資料で読んだ小説はシンプルで面白いがリアリティのあまり無いアイデアを語り口で読ませ切っていた。なかなか上手くいくものでは無いので感心した。

一方、ある作品を見て技術はとても凄いのだが誰に向かって作っているのか分からなかった。

それは単に私には見えなかったというだけであるかもしれないが、対象でない観客にもある程度、対象の観客が見えないと娯楽としては難しいのではなかろうか。

小説の方は若い書き手が、自分の近い世代に向かって自分の面白いと思うものの熱量を上手く技術で昇華して作られていたのだろう。

歳を食うと若い観客との距離は開いていく。

アニメは主に30代くらいまでの若い観客に向かって作ることが多いので、作り手は40代を超えたあたりからの観客との距離をどう考えるのかというのは課題だ。

別に年齢に限らず観客と自分が一致するなどということは殆ど起こらない事ではあるのだが。

いくら精巧でも受けっ取ってくれる観客がいないと意味がない。

精巧に作るのであれば、その土台をよく考えないと只の徒労に終わるだろうと思う。

精巧さだけで見せ切る作品は特に長尺では難しい。

かといって土台をどう作るのかというのも、途方に暮れる様な仕事である。