投稿者: 木村隆一

  • 速く読めた…?【2023年01月26日】

    速く読めた…?【2023年01月26日】

    先日、近所の本屋が居抜きで中身が変わりブックファーストになっていたので、つらっと覗いて本を1冊買った。

    小川哲「君が手にするはずだった黄金について」

    小川さんの小説は読んでみたかったのだが、「地図と拳」は分厚すぎて躊躇してしまい、短編集である本書を手に取る。

    読み始めると、つるつると進んであっという間に読み終わってしまった。

    小説は読むのに時間がかかってしまうタチなのだが何故だろうか…と考えてみるに、あまり時間が問題になっていないからなのでは、と思い至る。

    時間が問題になっていないとは、例えば「いやあ、今日はあたたかいですねえ」などというセリフがあった場合、そのセリフに流れているであろう時間をあまり想像しなくても問題ないという様なことだ。

    他にも小説内で当然に物語の時間は流れているのだが、あまりそのことと小説の面白さが繋がっていない。

    基本的に判じもののような作りなので、時間とか関係なくパズルを解く様な面白さになっているからだろう。

    脚本を読む時などは基本的に20分のテレビアニメの脚本ならそれ以上の時間をかけて読みたい。そんな時間はないことが多いけど。

    何故かといえば、脚本上で流れている時間は映像化する時、決定的に重要になるからだ。

    脚本を読むのも慣れてくると、読み飛ばしても大体そこで流れている時間が感覚である程度はわかる様になるのだけど、ゆっくり読んだ方が正確だと思う。

    ゆっくりというか、声に出して音読するか、声に出さないまでも頭の中で音読して物語の中にある時間を想像したほうが脚本上にある時間を比較的正確に体感出来るだろう。

    アニメのセリフの長さは基本的に演出家が決めるのだが、新人の頃は必ず声に出して読めと教えられたものだった。頭の中で読んでセリフを測っているのと声に出して読むのとでは随分違うことがあるからだ。(特に新人のうちは)

    私が本を読むのが遅い、という要因の一つに頭の中でつい音読してしまうということはあるのだろう。読むのが早い人はきっと音声化していないに違いない。

    いまは小さい字を読むのが苦手(老眼だから…)とか他の要因も多々あるのだけれど、文章を音にしてしまうのは、本を速く読むいう意味では短所で、しかしアニメの演出家としては長所である。

    流れている時間を味わうことが、圧倒的に物語の面白さに繋がっている小説というものもあるわけで、そういう小説はやはりゆっくり音にして味わうほうが良い。

    能楽師の安田登さんは古典を声に出して読むと全く違う味わいがわかるという様なことを言っていたが音としての言葉は音にしないとわからない。

    それはそれとして小川晢の小説はさくさく読めることが分かったので、そのうち「地図と拳」も読んでみよう。

    全く関係ないがSNSを見ていたら接地面の見える歩きは必ず必ずフリッカーか地面の滑りが発生するので避けたほうが良いという様なことを言っている方がおられたが、まあフリッカーが起きようが滑りが起きようが地面を見せることが必要なこともあるよ。と演出家としては思うのだった。

  • 寒い・そして昔話【2024年01月20日】

    寒い・そして昔話【2024年01月20日】

    今週末は雪も降りそうとかで、ずいぶんあったかいと思っていた冬もそれらしくなってきた。

    手持ちだったコンテを終わらせて一息つく。

    久しぶりにやるタイプの作品だったので楽しかったものの手こずる。

    1月新番で小高くん監督の「休日のわるものさん」が始まったらしい。

    エンディングのコンテだけお手伝い。去年の頭の方で描いたような気がする。

    小高くんはスタジオジュニオの同期の演出で、入社は彼の方が早くて制作を何年かやっていたのだと思うが私と同じタイミングで演出になったのだと記憶している。

    彼はジュニオのメインのスタジオ所属で阿佐ヶ谷の北の方、社長の香西さんもいる早稲田通りに面したスタジオにいたと思う。

    私は岡崎稔さん(ドラゴンボールの初代監督)が率いる別の班で南阿佐ヶ谷のあたりにスタジオにいた。

    スタジオジュニオは元々東映から別れたスタジオで老舗なのだが入るまでは全く知らなかった。

    私のいる班は、ベテランだと前田稔さん(ドラゴンボールのキャラクターデザイナー)や我妻宏さん(一休さんのキャラクターデザイナー)がいて、他にはスラムダンクのデザイナー佐藤正樹さんや堀内修さんがいた。

    仕事としては我妻さんが演出として作っていたアメリカとの合作がメインの班だった。

    数人いた私と近い年の若者たちはたまにくるグロスのテレビの仕事などやっていたようだった。私が入った時はレッツ&ゴーを受けていて少し手伝ったと思う。

    私は演出志望の制作として入ったものの当時まだ免許を取っている途中で、最初は撮出しの手伝いなど演出助手的な仕事をしていた。

    半年もしたころ「はりもぐハーリー」というNHKの帯アニメに入れと言われてそれがデビュー作となる。

    本当のデビューは何か公共広告的な短尺のアニメの演出なのだが、どこで使われたのかも、タイトルも覚えていないので、まあ置いておこう。

    小高くんもハーリーがデビューで同期というわけだ。

    監督は神戸守さんで、ジュニオ生粋の演出だった。他にジュニオに所属していた演出は佐山聖子さん。あとはフリーの演出を使っていたと思う。後輩だと平池芳正がいる。

    私は全くなかったが、小高くんも先輩から手取り足取り教わったという経験はしていないように思う。よくそれでやっていたもんだと思うが、私はそれでしばらく苦労することになる。

    ハーリーは半パートを何本かやらせてもらったが、デビュー作からクレジットを間違えられて、私の担当したものは別パートの担当の方の名前になっている。

    なんでそんなことが起こったかというと普通の人は2本まとめて担当している場合が多かったからだと思う。

    私は新人なので、十数分の普通のテレビであれば半パートぶんくらいの話を1本ずつもらっていたからだ。それにしてもデビュー作から間違えられるとは酷い。

    小高くんとはその頃知り合って、しかし会社はそれからしばらくして倒産してしまうので同じ作品に入ることはなくなっってしまった。

    あれから幾年、なんとか二人とも生き残って仕事で関われたのは僥倖だ。

    私のいた班は倒産騒ぎでジュニオから別れてシナジージャパンとなる。

    その後、社長と揉めて私はフリーランスとなる。

    ピカちんキットで古巣に関わることになるとは思わなかったが…。

    もう当時のことは、かなり記憶が薄らいでしまった。

    若かったな。

  • 最近見たもの【2024年01月14日】

    最近見たもの【2024年01月14日】

    Netflixで碧眼 Blue eye Samuraiを見た。

    なかなか面白かった。

    3Dでフランスの会社がつくっているらしい。

    エログロ・アクション系。

    アクションがとにかく凝っている。血はたくさん、指も腕も足も切られて良く飛ぶ。

    エロもちゃんとエロい。

    裸のモデルはポリゴン数が多いようには見えないが柔らかく見せている。

    セリフがきちんとエロティックである。日本のアニメではあまり見たことがない。

    世界観はありそうで無い幕末のパラレルワールド的な架空の日本。しかし良く風俗を調べているようで嘘のつき方が白けない。

    監督は女性の凄腕アニメーターらしく芝居は本当に良い。

    モブのモデルなどもかなりいろんな種類を作り込んでいるように見える。物量的にも相当大変だったのでは無いかと思うが使い回しなどが上手いのかもしれない。

    シナリオは序盤はとても引っ張られる。途中、母親のエピソードで主人公の主人公の行動原理がぼやけたところや、後半に行くにつれポリコレ的な目配せが目立つようになって仕方ないところはわかるが失速感を感じる。が、概ね良くできている。

    日本だと川尻さんの作品のようなテイスト。

    日本でもまたこういうのを作れる人が出てくると良いが…。

    あとはアマプラでスピルバーグのフェイブルマン。

    こちらも面白かった。

    スピルバーグの自伝的な作品。

    懐かしいカメラが沢山出てくるので、そこだけでも堪能できる。

    ボレックスは8ミリのカメラも作ってたのか?分からないのだけど、16ミリのカメラは学生時代使っていて懐かしかった。

    いい感じに屈折した青春物語になっていて、単なる映画少年のサクセスストーリーではない。

    恋愛が大人にとっても子供にとっても人生を救ったり落っことしたりするように、映画作りも人生を救ったり落っことしたりするという当たり前のことを温かく描いている。

    映画館で観たかった。

  • 偶然について【2024年01月08日】

    偶然について【2024年01月08日】

    なんで今と考えても、ほとんど単なる偶然で、もし自分の身に降り掛かっていたら詮無いことと分かっていても、それでも因果について考えてしまうのだろう。

    私はたいした厄災を経験したことはないけれど、いつ自分がそこにいてもおかしくないし家の猫たちを見ながら少しは準備をしておかねばと思いつつ後回しにしてしまう。

    準備といっても何をすれば良いのやら分からないし、猫を4匹連れて避難所へ行くのはひどく現実味がないなと思うと考えるのが億劫になってしまう。

    私の仕事部屋に同居している猫は元野良でほとんど私にしかなついていない。果たして大人しくケージに入ってくれるかだろうか?

    なんとか家が倒れずにいたら心中の覚悟で猫としばらく生きていけるような準備をしておくくらいが関の山かもしれない。

    突然の不幸に見舞われるというのは、自分の身には未だ大きなことは起こってくても、長く生きていれば皆んななにがしか近しい人に起きた経験をするだろう。

    私が思い出すのは、子供の頃に絵を教えてくれていた先生のことだ。

    その人は広告会社の看板書きで自分の子供と近所の子供を集めて絵を教えていた。

    ある日、自分の個展を開くのでその準備をするのだということで意気揚々と仰り教室は休止となった。

    しばらくして、先生が仕事で高所での作業中足場から落ちたというニュースを地元の新聞の小さな記事で見ることとなった。

    一命は取り留めたが体は、ほとんど動かなくなった。

    自分が元気で仕事をしているだけで奇跡のような気がする。

    先生はその後も口で筆を咥えて絵を描かれていた。

    全てはたまたまでしかないのだろうけど、偶然と向き合うのはなかなかしんどい。

  • 明けた【2024年01月01日】

    明けた【2024年01月01日】

    去年は仕事は暇だったのだが色々あって落ち着いた気持ちになれなかったが、今年はもう少し落ち着けると良いなぁ。

    去年は作品的には「アイカツ!10th」「もののがたり」「おとなりに銀河」と3タイトル発表されたのだけれど、どれも2022年中にはほとんど作業を終えていたので仕事の方は暇だっというわけ。

    来年は少しは忙しそうだけど、発表できるものはしばらく何もなさそう。

    50を過ぎて大病はしていないものの体はあちこちガタが来ていて病院へ行くことが多かった。これはまあ仕方あるまい。

    コロナ禍の間より世間は喧騒を取り戻して久しぶりに年の瀬らしい活況を呈しているように見えて何よりだが、私はなんだかやっぱり落ち着かず正月気分には浸りきれていない。

    正月もゆるゆる仕事をしなければ…こういうのは久しぶりだ。

    とはいえ、大晦日は仕事をづる気は起きず本を読んだりでのんびり。

    未読だった『「未熟さ」の系譜ー宝塚からジャニーズまでー』著:周東美材を読んだ。

    面白かったのだが、明治末期から昭和中期1970年代あたりまでのポップカルチャーの歴史の記述が主で未熟さの愛玩への読み解きはちょっと食い足りなかった。けれど近代の家族形態と子供を通した異文化受容がその中心にあったという見立ては面白いと思った。未熟さへの愛玩は近世とは断絶があるというのが本書の態度なのだが、本当にそうなのか?と私は思う。繋がるマインドもあるんじゃなかろうか。

    日本独特と言われている未熟なものへの愛玩が近代、それもここ100年くらいで形成されたものというのは納得できる部分もありつつ、もう少し掘り下げないとよくわからない。

    なんでこんなことに興味がるのかというとアニメカルチャーもどっぷり「未熟さ」への愛玩と寄り添っていると思うからだ。

    本気で調べようと思ったらとてつもなく大変なのでどこまで出来るやら分からないが、ちまちまと調べてみたい。

    日が昇ったら初詣に行くつもりだが、健康祈願これしかない。

  • ラノベを読んだ【2023年12月25日】

    ラノベを読んだ【2023年12月25日】

    もうクリスマスだ。

    急激に寒くなって全てが億劫になってしまった。

    ラノベは字が小さい、と久しぶりにラノベを読んで発見した。

    レーベルによって違ったりするのかもしれないが、普通の小説の単行本なんかと比べても若干小さいような気がする。(ちゃんと比べてない)

    老眼のおじさんが読むような想定がされていないことに、しっかり読者層が見定められていていることがわかる。

    小説でも椅子や机でも誰でも使いやすいものは誰にとっても使いにくいとイコールだろう。

    使う人、見る人をどう想定するかは物にとっても娯楽にとっても大事だ。

    言葉にしても相手によって伝わったり伝わらなかったりする。

    若者が読んで心地よく読めるサイズの字で構成されているということは正しく若者に向けられた小説なのであるということを表現していて、意識せずとも読者にそれと伝わりそうだ。

    とか、ここまで書いて文庫の小説と文字の大きさを見比べてみたらあんまり変わらない。インクが少し明るいような気がするぐらいで、ありゃ。明るいから読みづらかったのか。

    それにしても使い手、読み手、観客を想定せずに何かを作ることは無い。

    私の信条としては、なるべく絞って絞ってコアのお客さんを決めてそこから広げていくこと考える。

    まず絞ることが肝要だと思うのだが、世間の人たちはどうしているのだろうか。

    洗い物をしている時、シンクの高さについて考える。

    男が使う時は少し前屈みになることが多いので長時間使っていると腰が痛くなる。

    これはシンクの高さが女性の身長に合わせて調整されているからだ。油圧で高さが簡単に変えられるようなシンクがあれば売れるんじゃないだろうか。(もうあるのかも?)

    駅の自動改札は右利きの人間を想定している。

    使い手を想定しなければ誰にとっても中途半端で使いにくい物になるし、きちんと想定して仕舞えばそれ以外への人間への対処もはっきりわかる。(対処できないこともハッキリする)

    もちろん対象の人について知る必要はある。

    どのくらい他人について知ることができるのか、というのは難しいけれど。

  • なんだかバタバタ【2023年12月18日】

    なんだかバタバタ【2023年12月18日】

    仕事が忙しいというわけではないのだが、歯医者へ行ったり所用で落ち着かず。

    JAniCAからアニメーション制作者実態調査2023が出た。色々あってずいぶん時間がかかったが。

    これを見て驚く人は驚いただろう。アニメーターの収入がずいぶん上がっているので。

    社員アニメーターが調査にずいぶん参加してくれたようなので、それによって引き上げられているとは思う。それにしても随分上がった。

    しかし動画は相変わらずなので若い人や仕上げなどの部署の収入の低さは相変わらずだと思う。

    若い人が居着いてくれないことにはスタッフは減る一方なので底上げまだまだ底上げしないと…。

    90年代半ば辺り、攻殻機動隊など作ったIGの新人動画の研修期間中の固定給は8万円だった。

    東京で8万円で暮らせるわけないじゃん…。

    他の会社も動画に10万以上固定で出すような会社はほとんどなかったと思う。

    私がスタジオジュニオに制作兼演出助手で入った時の給料が12万くらいだったように思う。

    貯金やら親の脛を齧りながらギリギリ暮らしていた。

    バブルがポシャっていたとはいえ他の仕事に比べたらとてつもなく安かった。

    会社に入る前にやっていた映像業界関係のバイトの方が全然収入があった。

    と、昔を思い出すと憂鬱にしかならなく今自分がそれなりに余裕を持って生活できてるのが不思議でしょうがない。

    安い代わりに出入り自由の緩さはあって変な人も沢山いた。私が入った頃はそれでも随分普通になっていたとは思うが。

    なんにせよ食えない仕事は仕事ではない。

    昔の工場労働者のように搾取されまくってるとまでは言わないが、皆んなが食うに困らないようになるといいね、と思う。

    文化庁がクリエーター支援の予算を60億確保したということらしいが、うまく使って欲しいもんだ。

    週末は1年ぶりに声優向けのワークショップで座学の講師。

    去年やったのとほぼ内容は同じだが、少し整理したので多少は分かりやすく時間内に収まったかな。

    演出家とはどういう仕事なのか…というざっくりした内容なのだが何かしら刺激になっていると良いのだが。

    若い頃は自分も演出の仕事が全くわかっていなかった。

    経験的に学んだことを本を読んだりしてある程度理屈にして自分は使っているけれど、若い子たちがどのように学んでいるのか全くわからない。多分ほとんど経験的に学んだことを直感で使っているだけというようには思う。

    感覚だけでやっていると大体どこかで行き詰まってしまう。

    分かりやすく理論とか実践的なことを教えられるといいなとは思っているのだけれど、自分の知識だと若い子が当たれる理論書とかの知識が決定的に欠けているので色々読んでみようと思いつつ全然時間が取れない。

    歳も食って若い子に教えるにしてももうあまり時間がないのでやらなきゃなぁ。

    ちょっとした知識とかコツを学ぶだけでも食っていくのがだいぶ楽になるし、良いものも作れるようになる。と思うのだよね。

  • かるく勉強【2023年12月11日】

    かるく勉強【2023年12月11日】

    LGBTQの入門的な本を幾つか買って読んでいる。

    「医療者のためのLGBTQ講座」編:吉田絵理子

    「LGBTってなんだろう」藥師実芳・他

    「LGBTヒストリーブック 絶対に諦めなかった人々の100年の闘い」ジェローム・ポーレン

    「クィア・アクティビズム」新ヶ江章友

    「クィア・アクティビズム」はまだ読みかけ。

    どれも良い本だった。

    「医療者の…」は一般の人にもわかりやすく書いてあるので、基本的な医療目線の知識が分かる。

    二つ目の「LGBTってなんだろう」も大体同じような内容だが親などが読むような想定で

    書かれたもの。

    ヒストリーブックは子供用に書かれたものらしく、短いエピソードが年代別に並んだ作り、平易にしてある分エピソード同士の関係性が少し分かりにくいかもしれないがアメリカの運動の面白いエピソードが満載で良い。1900年代前半から2014年辺りまでをフォローしている。

    「クィア・アクティビズム」は割と出たばかりの本、大学の教科書用として書かれている。フェミニズム運動から説明されていて性表現規制などにも触れられていてかなり面白い。まだ読み終わっていないが歴史をざっくり追うならこれはとても良い。

    歴史を紐解くととにかく大変ということだけは良くわかる。たくさんの人間が命を賭して戦っている。アメリカで女性の参政権が認められてから、まだ100年くらいと思えば日本の状況をみてもまあなるほど思わなくもない。

    プリキュアもLGBTQの問題を扱うご時世なので、大雑把にでも知識があった方が良い。

    LGBTQはの問題は色々なことと繋がっているということだけはわかった。

  • 月曜になってしまった【2023年12月04日】

    月曜になってしまった【2023年12月04日】

    ついに12月。

    随分あったかいので、あまり実感がわかなかったけれど打ち合わせなども減り、仕事がおさまっていくので年末感を

    感じてきた。

    コロナの後は忘年会も減りのんびりと過ぎていく年末になりそうだ。

    しばらく一人での作業ばかりになりそうなので気が抜けてる。

    TAAFで毎年やっている業界人が推薦するアニメスタッフに渡す賞の候補者選びのために今年の発表になった作品御タイトルを眺め、その多さに驚く。

    余裕で300タイトルはあろう。

    テレビシリーズも12本のものがほとんどなのでタイトル数が増えるのも当然とは思うが、それにしても良くこれだけの数作れているものである。

    自分お経験的にも噂話を聞いていても、どのスタジオもスッタフ集めにはかなり苦労している様ではある。

    ここ最近はやはり漫画原作が元気で私の仕事も原作ものばかり。

    あやかりたいものである。

    これだけ本数があると見るにしてもどういう基準で選んでいるのだろうか。

    原作ものであれば知っている人はまあ、お試しにでも見るのだろうけど、そうでないなら選択の理由はなかなか見えずらい。好きな声優さんが出ているというのは大きな理由のひとつになっているか。

    スッタフで見る作品を選ぶということは、最近はほとんどなくなっているとは思う。

    テレビ放映で同じ枠だから見るとか、消極的理由で見ることも多いのだろうか。

    自分の作品を見てくれる人がいるというのは、まあ奇跡みたいなものだな。

    最近は海外での配信・放映も大きなシェアを占めているので海外の人の反応となると本当になかなか感じる事が難しい。

    しかしお客さんお顔が浮かばないままに作るというのは、広い海に漠然と釣り糸を垂れる様なもんだ。

    見る人がいないものを作っても虚しいので、食べる人を想像しながら料理を作る様に作品作りも見る人の顔が見えた方が良いと思う。

  • 省略、ロングサイズだから…【2023年11月26日】

    省略、ロングサイズだから…【2023年11月26日】

    SNSでロングサイズのキャラクターの顔の中を省略した描き方を批判している人がいるという話題を見かけた。テレビが大型化したり解像度が上がったりして一般的なテレビアニメの作画を行うA4サイズの紙に描かれたフレームの対比でロングサイズのキャラクターを描くと線が潰れてしまってなんだかよく分からないので拡大して描くというやり方が常態化して久しい。

    しかしどうもそういう話だけでもないらしい。

    そもそも省略して描いた絵を作画崩れのように感じるということのようだが、これは考えると面白いと思った。

    拡大作画というやり方は構図の中における対比より、かなり大きめにキャラクターを拡大してディティールもある程度描く。このやり方では昔のように顔の中が描かれていないのっぺらぼうのキャラクターになることはない。

    アニメは「絵」で作られるので上手く描けば省略された絵でも違和感はない、というのが昔の感覚だったのだが、それでも高解像度時代になって小さな紙に描いたものが大きな画面で見られるようになり、相当上手く省略しないといい絵に見えないというのは作り手側も一般的に感じていると思う。

    件の絵はうまく省略されているのに、違和感を感じる感想が出たということらしいのだが、これは視聴者のそもそも「アニメの絵」とはこういうものであるという認識がかなり変わってきているということの証左なのかもしれない。

    「アニメの絵」というものが絵画などとは切り離されて一つの様式の幻想を作り出しているということはありえるし、それがここ10年くらいで更新されて一般化した可能性もある。

    今のアニメの絵は、製造工程にかなり寄り添って作られている。

    変わった絵柄にすると、クオリティを維持できないし物量的にも仕上げるが難しい。

    細かな工夫は当然作品ごとにされているのだが、大きく逸脱した作品は近年かなり作りにくくなっているように思う。(例外がないわけではない)

    そういう絵に目が慣れていれば、そこから外れた絵には違和感を憶えてしまうのは当然だろう。

    デジタルでの作画に徐々に業界も移行しつつあるのだが、デジタルになって絵の自由度は上がっていくはずなのだが、それについていける作り手を育てないと新しい絵柄で作品を作るのは難しい。

    表現の幅が広がれば視聴者の感覚も広がっていくと思うが、時間はだいぶかかりそうだ。