植物いじりが唯一の楽しみになりつつある今日この頃。
秋は園芸シーズンで花苗などがたくさん出回るのだけれど、植物によっては寒さが苦手なものもあり鑑賞期間がそれほど長くないものもある。
0℃を下回ったとき枯れないかどうかが分水嶺なのか、マイナス何度かまで耐えられるものなら冬越しできるみたいだ。1年草として、枯れるまで鑑賞するという花が沢山あるのだということを最近知った。
とはいえ、1月くらいまでは、そう寒くならないので大体の花は鑑賞できそう。
寒さに強い植物は、逆に暑さに弱くて夏に枯れてしまうものが多いらしい。
特に最近の夏の暑さ(今年はやばかったようだ)は暑さに強いものですら枯れてしまうこともあるという。
大体の花苗は大して高くなくて、無限に買ってしまいそうになるのだが、鉢が意外とお金がかかる。
焼き物などだと大きさにもよるが、そう気やすく買える値段でもない。
しかし全てを地植えできるほど広い庭があるわけでもないので、やはり鉢がメインになってしまう。
そもそも庭木を剪定するのに時期やらなんやら調べているうちに、園芸種の花に綺麗なものが沢山あることを知り、狭い庭でも工夫次第で意外と綺麗に育てたり飾ったりしている人がいることを知り、道を歩いているときに他人様の玄関先の植栽が目に入る様になり、上手な人は本当にオシャレに飾っているのが分かると真似をしたくなって園芸店に行ってみると楽しすぎて完全にハマってしまった。
園芸店はちょっと離れたところにあることが多くて車のない私は徒歩で運ぶしかなく一度にたくさん買えないのが残念なのだが、それでも毎日でも行きたくなってしまってグッと堪えている。
通販でも結構買えるのだが、やはりものを見て選ぶ楽しさは代え難い。
玄関先に死ぬほど鉢が置いてある(が管理しきれていない)家が結構あることに最近気づいたのだけれど、気持ちが非常に良く分かる。
大きな園芸店は大概郊外にあって車が無いととても行けないところが多い。しかし実は都心にも有名な園芸店の支店があったり、探すと意外に自宅の近くにもあったりして驚いた。
暇なら延々と巡りたい。
なんでこんなにハマっているのかよく分からないけれど、とにかく土を触っているだけでも楽しい。割とズボラでもそれなりに育ってくれる植物も沢山あって初心者でも意外にとっつきやすい。
最近気に入ったものはチョコレートコスモスでチョコレートの様な香りを発する。普通の品種は寒さに弱くて冬越ししないらしいが、改良されて頑張れば冬越しできる品種とのこと。冬を越えれば四季咲きとして楽しめるそうな。
冬は屋内に入れておけば大丈夫なのだけれど、寒さに弱い植物を全部中に入れていたらキリがないので、苦渋の選択を迫られるかもしれない…。
カテゴリー: diary
三人吉三、とエビデンスとか【2024年09月28日】
もう9月も残り2日。
今週はちまちま仕事とJAniCAの理事会があったり。
そういえば、いま「マンガ、アニメ、特撮、ゲーム等の国際的な振興拠点及びメディア芸術連携基盤等整備推進に関する検討会議」というのをやっている。申し込めば会議の様子をYouTubeを通じて動画で見られる。
博物館的なものを作ろうという計画があってその会議。
石破茂が自民党の総裁に決まったが、石破さんはオタクなので、もしかしたら本当に箱物が出来るのかもしれない。
緊縮であっさり無くなる可能性もあると思うが、実際できたとして他の分野はともかくアニメ・特撮は報いることができるのだろうか。
アニメは一応外貨を稼げそうな雰囲気はあるけれど、ほとんどの現場には今だに余裕のある予算は無いので疲弊して倒れるのとどっちが先かのチキンレースだ。
あ、週の頭はOTOの周年に行ったのだった。お祭り感があって久しぶりに楽しかった。
今日は木ノ下歌舞伎「三人吉三廓初買(さんにんきちさ くるわのはつがい)」を観劇。
間に休憩が25分、20分とあるけれど三幕5時間20分ほどの長丁場。
面白かったので、あっという間ではあったけれど、さすがに膝が少し痛い。
木ノ下歌舞伎は歌舞伎を現代語訳&現代的演出で見せるので素人でもとっつきやすい。
歌舞伎通の客も結構いるのだろうが。
最後はスタンディングオベーション、カーテンコール4回もやってくれたらそりゃ皆んな立つよね。
筋立ては、親の因果が子に報い、あらゆる登場人物が縁を結んでいることが徐々にわかり、それぞれ破滅を迎えていく。濃厚な親子の関係がモチーフになっていて重たいが重すぎて現実味がないというようにも思える話。
若い頃だったら嘘くさい様な気もしていたかもしれないが、今見るとシリアスでゾッとする。
家族というのは病の温床だが、さりとておかげで生きていけることもあるという厄介なものだという様なことをとある精神科医が話していたのを思い出したりもした。
鹿島茂は小説は結局、家族の話だけだというようなことを言っていた。
科学の発展で自然からはある程度距離を置いて生きることができる様になったものの、人間同士が距離を置くのは容易ではないよなー。
しかし、そんな重い話を外連味たっぷりに見せているからこそ、今でも人気の戯曲なのだろう。
ラストにかかる挿入歌はTaku Takahasi、ラップのリリックをロロの板橋駿谷がやっているのも面白い。
大脇幸志郎「なぜEBMは神格化されたのか・誰も教えなかったエビデンスに基づく医学の歴史」が面白そう。
本の紹介によると
エビデンスに基づく医学(EBM)という言葉が、あたかも医学が事実の裏付けのない空理空論からすでに脱却したかのような含みで語り交わされている。しかし、実際には医学における重要な判断にエビデンスが必須どころか努力目標としてすら求められていないという事実がある。
本書は、公衆衛生の発達、臨床医学の飽和、薬害事件による臨床試験の制度化などを背景として医学が統計技術を取り込んだ歴史や、EBMという言葉を考案した人物たちの来歴を紹介する。さらに、エビデンスについての誤解や拡大解釈から発展していくイメージとの相互作用に注目することで、医学が生産的に実証性を維持するための課題を探る。巻末に索引、用語解説、年表、主な登場人物一覧、医学雑誌歴代編集長一覧などを付する。
ということらしい。
エビデンス…と言われると弱いね。
大脇氏とシラスで対談していた松本俊彦氏の本も読んでみたいのだが…。
積読をもう少し解消してからか。
今週の積読消化。
だいぶ前に買っていた渡辺大輔「明るい映画、暗い映画」、藤山直樹「集中講義・精神分析(下)」
渡邊大輔氏の本は結構面白かった。
しかし、前半の批評は映画のための批評という感じで外側にあまり開かれていく感じがしなくて、そこは苦手。
後半の普通の映画評の方が面白い。
とくに鬼滅の刃については全く同意。
藤山直樹氏の方はフロイト以後の精神分析の歴史。本当にざっとさらっていく感じなので、興味のあるところは参考文献に上がっている本を読まないとよく分からない。
精神分析は実践がないと本を読んだだけでは何も分からない、と藤山直樹は言っているが。
精神分析には暇とお金がかかるので、無理じゃん?
精神医療は最近やっと少し理解できた気がするが、結構勉強しないとよく分からないし、イメージが掴みずらい。
いま?NHKで統合失調症に関するドラマがやっているけれど、精神科や心療内科は、外科・内科みたいなわかりやすさや親しみがない。
子供の頃から通い慣れてれば何となくイメージもつくのだが、そんなことはないので。
情報は探せば結構あるのだが、パッと感覚的に鷲掴みにすることは難しいし、1冊2冊、本を読んでも分からない気がする。なんとかならんもんか?
訃報・仕方ないのだが【2024年09月21日】
同世代の知人の訃報を聞く。
次の仕事で関わっていたので、そのうち会えるだろうと思っていたのだが突然の知らせに驚くほかない。
しばらく闘病していたとのことだった。
出会ったのはもう20年くらい前でお互いに新人だったが、彼は各所で活躍して気付けば立派な経営者になっていた。たまに仕事場が重なった時ににこやかに挨拶してくれたのを思い出す。
彼の会社が次の仕事に関わっていたので久しぶりに名前を聞いて会えるのを楽しみにしていたのだが。
50も過ぎれば人間いつ死んでも仕方ないよな、と思ったりはするのだが、残念だ。
今週はデスクワークと打ち合わせ幾つか。
STORYBOARD PROの新しいのをスタジオ用に導入したものの、WINDOWSに慣れていないなどありセッティングに時間がかかりそう。
生育旺盛で初心者でも育てやすいはずの植物を少し涼しくなったからと思って植え替えしたら、どうもそれが悪かったらしく急速に元気がなくなり枯れそう。
苗を見つけたらまた挑戦。
ちまちまと仕事、最近読んだ本【2024年09月16日】
9月頭、多少落ち着きはしたもののチェック物が絶えずやってきたり音響作業やら会議やらで地味に落ち着かない。
合間にコンテ作業もちまちまと。
立て込んでいるようだが、先のことはまるで決まっておらずで、どうしたものやら。
いつものことではあるのだが。
連休なことに気づかなかった。
祝日だから休みという仕事ではないので気にしていなかったのだが、最近は制作スタジオが休みをとること(建前的には)が多くなり、メールなどが減るので少し落ち着いたような錯覚を起こす。
YouTubeでBLUE SEEDというI.Gが制作のアニメを無料公開しているのを目にしてタイトルは知っているが見たことがなかったので頭の方を流し見してみた。
YouTubeはいろんな作品が無料公開されていて、作品によっては全話見られるものもある。
ひと昔前は無料公開なんてとんでもない、収益の損失だ!的な業界の空気だったのだが変われば変わるものだ。
商売の規模が大きくなったからこそ、こういった無料公開も可能になったということであるのかもしれないが。
それはともかくBLUE SEED、テレビアニメとは思えないクオリティである。少なくとも1話はビデオアニメのような完成度だ。スタッフもデザイナー・作監が黄瀬和哉だったりでI.Gのメインスタッフを突っ込んでいる感がある。
予算は、それほど出ていたとは思えないが…。
放映が94年の秋番組なのでエヴァの1年ほど前になろうか。
この頃のアニメ業界の隆盛を感じさせる。
制作がI.Gと葦プロが組んでいる。プロデューサーに下地さんの名前もあり、この辺りの縁で下地さんは葦プロを辞めI.GグループとしてXEBECを作ったということなのだろうか。
テレビの後のビデオシリーズはI.GとXEBECで作っているようだ。
今では絶対にCGを使うであろうヘリコプターやら車やら手描きでがっちりと描いてある。
*追記:初回でヒロインのスカートが破けパンツ一丁で逃げ回るという仕掛けに、のどかな時代を感じさせる。(女性客を基本的に相手にしていないということだ。今でもエロはあるのだが、この作品は今だったら特に男性向けに限定されることはない気はする)
ほんとにすごい。メカカットは1カット1万円くらいは出ていたのだろうか。
当時のテレビの平均的な1カットの単価は3500円くらいだと思う。
3500円………正直、私が仕事を始めて単価を知った時は衝撃を受けた。
バブルは弾けたとはいえ、世の中にはまだまだ金はあったはずで、なんでこんなアホみたいな安い値段で作ってるんだと思ったものだが(バブル真っ最中も安い値段で作っていたんだろうし)今、どのくらい変わったのかというと、まあだいぶマシになったとは思うのだが、まだまだである。
ダンピングでたくさん売って儲ける昭和の商売みたいな状況は長らく続いていた。
今は外貨が業界を支えているので、安くはあるが随分制作費は上がった。
話が横に逸れたが、90年代あたりまで、今では金をかけたとて出来ないようなクオリティのアニメがかつてはあった。ほんとに何であんなものが作れていたのか不思議というような作品がある。
ほとんどは若さが支えていたと思う。
しかし、若さは失われた。
今もまた、すごいアニメは作られているが、昔よりは格段にしっかり金をかけて作っているように思う。
金があるだけではクオリティは上げられないのだが、制作会社によっては人材を育てたり集めたりを頑張っていてすごい作品ができている。
一方、中堅の会社は苦労している印象ではあるのだが。
明石市が作ったという、市の歴史を語るアニメ「明石と時のこどもたち」もYouTubeで見られるのだが(小黒さんが紹介していて知った)91年制作、制作会社は亜細亜堂。芝山さんが監督で柳田さんが作監でメカなどは出てこないが、びっくりするような出来だ。
時代の豊かさを感じる。
とめどなく色々書いてしまいそうなのでこの辺で。
最近読んだ本、東畑開人「雨の日の心理学」素人向けにカウンセリングの技術を噛み砕いたという本だが具体的で比較的わかりやすい。東畑の他の本に書いてある内容と被るところもあるが、まとまりとしてはこれが一番まとまっているのかもしれない。広い意味で誰かの手助けをしている、あるいは手助けを必要としている人がそばにいるような人にはお薦めだし、介護や子育てで疲れている人にも役立つという気がする。
積読が過ぎるので、何とか解消したい。
机の横に積んである本をパラパラ読むと面白いものが沢山あるのだが、放置してあるもの多数。
信田さよ子が初めて本を出したのが50過ぎてからとか、私も頑張って小説でも書こうか…。
藤井誠二「贖罪:殺人は償えるのか」藤山直樹「集中講義・精神分析㊤─精神分析とは何か フロイトの仕事」【2024年09月08日】
藤井誠二氏の本を読むのは、ものすごく久しぶり。淫行条例の本を読んで以来か。古田徹也氏との対談を見かけたので興味が湧いて読んでみた。
長期刑の殺人犯との手紙のやり取り(ほとんど殺人犯の手紙)を紹介した本だが、贖罪についても考えさせるものはあるが、犯罪者が点というよりは人間のつながりの中で現れる断面のようなものだということを強く感じる。被害者対策の薄さなど重大犯罪周辺の事情も結構紹介されている。気が重くなるが…良い本だ。
藤山直樹の方はフロイトのざっくりした伝記をよすがに精神分析の歴史について語るという本。まずはフロイトを読めというのはよく分かった。
下巻はフロイト以降の精神分析の歴史。こちらの方が知らないことが多くて面白そう。
精神医療と精神分析は基本的に違うものなのだ、というのが藤山の主張というか認識で、しかし実際は中間的ないわゆるカウンセリングという精神分析的心理療法というのは行われている。精神医療の分かりづらさの一端なのかもしれない。ちなみに藤山は精神科の医師で精神分析家は基本的には精神科医でないと資格がとれない。
フロイトの顧客は金持ちばかりで、富裕層が初期精神分析を支えていたらしい、今は精神分析を医療として行うには金げかかりすぎるということらしい。
安くなれば、精神分析が犯罪者の更生の方法論の一つとして機能したりするのかもしれない。
それはそれとして、物語作りなんかにも精神分析は面白いと思う。
加藤公太さんの解剖学の同人誌も届く。思いのほか充実の本。
東畑開人の新刊も買わなくては。
台風はやりすごせたらしい【2024年09月01日】
台風10号がとにかくゆっくりと進んで来ているようだが関東に上陸せずに新潟の方へ抜けて温帯低気圧に変わるようだ。
各所影響を被ったところも少なくはなさそうだったが、少し安心。
気温もここ1週間くらいで随分下がってきたように感じる。
涼しくなってきたので、セールで買った植物の植え替えをしたのだけれど、あまり根は張っておらずで失敗したかもしれない。旺盛な品種なので枯れることはないと思うのだが…。
今週は比較的のんびり。打ち合わせと音響作業とデスクワーク。
音響はスケジュールが伸びたおかげで久しぶりのオールカラーでダビング。
担当演出が、すごく早くてちゃんと音がついていたと喜んでいた。
そもそも出来のいい班の仕事ということもあるのだけれど、全部色がついていれば音響スタッフも安心して音がつけられるのである。
なかなか、絵作りのスタッフには伝わらないところではあるのだが。
打ち合わせは知り合いだったので、随分色々喋った。
どっちを向いても大変そうだ…とお互いの見聞きしたことを突きあわせ唸る。
仕事が減る気配がないのは唯一の救いかもしれない。
体調が上向いたせいか少し気力も上がってきた。
しばらくこの状態をキープしたいものだ。
歯医者へ検診に行ったら、ちゃんと磨けているけど奥の歯茎が腫れているとのこと。
どうも寝ている時に力がかかっているのではないかと言われる。
変わらないようならマウスピースをするという手段があるらしいが、マウスピースをしながら寝るのはなかなか難儀そうな気がする。
この先はしばらく忙しそうなので、今のうちになるべく仕事を進めてしまいたい。
慣れない仕事へのチャレンジも待っている。
どうも仕事の告知は10月以降でないと出来なさそうだ。
ソニーのアニメ制作用ソフトとか【2024年08月25日】
制作中のアニメのアフレコが終わったりで少しほっとした週末。
多少、打ち上げっぽいことも出来るようになった昨今、役者さんとも少し話ができて楽しく過ごした。
土曜はロロの「飽きてから」を内古閑さんと観劇。
いきなり別れ話から始まるようなところが、今までの三浦さんとは少し違う感じ。
食事についての会話がいきなり別れ話に接続してしまうのは面白くもあり、とてつもなくリアルな感じもして、胸がギュッとする。
時制の繋ぎ方の面白さは相変わらずでどうしてこんなことを思いつけるのかと毎度思う。
短歌をシーンの間ごとに挟むという趣向は、考える間隙が生まれるようでなかなか良かった。
鈴木ジェロニモが歌う「瞳を閉じて」も最高だった、劇中では涙を誘うまでに至らず失敗という設定なのだが笑えながらもしみじみと響く。
ジェロニモ?何でそんな名前?と思って調べたら芸人さんらしい。
Rー1で準決勝まで行ったというwiki情報を知る。
短歌が趣味らしく、それもあってのキャスティングなのだろう。
終演後、側にいた客の会話が聞こえてきて、結構有名な歌人も見にきていたことを知る。
移動のタクシーの運ちゃんが自民との総裁は誰が良いと思うかなどと問うてきた。タクシーで政治の話などしていると危ないんじゃないかと思うが余計なお世話か。大谷翔平の話も振られたが、前日たまたまテレビでニュースを見ていたので会話になった。
ソニーが開発しているというアニメ制作用のソフトは仕上げ機能も組み込んであって、どうもガチで使えるものになりそうだ。
朝日新聞の記事によると仕上げ機能から現場投入されるようで、RETASの保守が効かない事への危機感から開発されたことが窺える。
もう10年以上前にRETASの開発は打ち切られているのだが、放置され続けてきてアニメ業界の不甲斐なさを思い知らされていたが、ここにきてやっとRETASの代替になりそうなソフトが出来そうだ。
他にも仕上げのできるソフトはあるのだが、RETASとは思想が違って、同じような素材を作るための使いやすさがだいぶん違った。
RETASの素材に業界全体は特化しすぎてしまっているのもどうかとは思うが、共通フォーマットがあるからこそ現在のような物量でアニメが作れていることは間違いない。
後継ソフトは悲願というと大袈裟だが無くては立ち行かないだろう。
庭の木を切った枝にコガネムシが付いていた。
コガネムシの幼虫は花木の根を食い荒らすので害虫とされているのだが、ゴミ袋に突っ込むのも忍びないので、そっと地面に置いた。
オリンピックも終わり【2024年08月18日】
ほとんど見なかったけれど、体操の団体とかサッカーとかちょこちょこと。
体操を見ていて楽しい。昔、体操アニメがあったけどアニメは体操なんかを描くのには向いていそうだ。すごく大変ではあるが上手くやったらすごく面白そう。
二十数年前、女子の新体操を取材しに行った時、隣で男子の新体操がやっていて、これは面白いと思ったものだが、それから幾星霜、アニメ化されたわけでスポーツでも球技より体操の方がアニメには向いている気がする。
球技の難しさは「球」と「身体」の二つを同時に動かさなければいけないことで、球技はまた団体戦が多いので余計に難易度が増す。
水泳の飛びこみみたいな個人競技の方がアニメにするなら楽そうだ。
一人ずつ演技の間があるのも良い。
新競技のブレイキンは、踊っているのは一人だが舞台上は常に二人で見ている方も動いているので、結構難しいか。
動きっぱなしはとにかく大変だ。
先週は、だいぶ引っ張っていたコンテをひとまず終わらせられた。
それで楽になったというわけでもないのだが。少し肩の荷がおりた。
も8月も後半になり、いよいよ今年も終わり…という気分になってしまう。
次の仕事の現場が動き出すのも近くなってきて緊張感が高まってきている。
次は慣れない作業を担当することになってしまったので、余裕をもって臨みたいと思ってはいたもののあまりいつもと変わらぬギリギリ感が醸し出されつつある。
制作スタジオも初めてのところなので蓋を開けてみないと何が起こるか予想がつかない。
とはいえ、面白いものになりそうな気はしている。
セールで買った夏の花が、もうしばらく咲いてくれると嬉しいが少しずつ夏の終わりを感じる。
コロナが流行ってる【2024年08月12日】
世間はお盆休みだからなのか…やる気はあまり上がらず。
体調はゆるゆると上向いているので良きこと哉。
ネット将棋を飽きずに延々と指し続けてしまう。勝てる時は何でか偉く強い人にも勝ててしまうのだが負け始めるとこれまた何でこんな将棋が勝てないのかという勝ち将棋をひっくり返されたり。メンタルは将棋の調子で結構わかってしまうのだが、調子が良くても仕事の方は捗らなかったりはする。
片方の仕事はだいぶ進んできた。
色々あって長かったがやっと落ち着いてきてホッとしている。
告知は来月か再来月なのかな?近いとは思うのだが。
コロナが本当に流行っている。
スタッフが罹ったり、役者が罹ったり、マスクをしている人は少し増えた気はするが暑すぎる夏のせいもあってか、それほど多くはないように見える。
観光客もすごく増えているので感染者が増えるのもさもありなん。
私はコロナが流行り始めた頃は、マスクしたところでそう変わりはせんだろうと思っていたのだが、最近はなるべくならかかりたくないということで電車の中やら狭くて人が多いところではマスクをするようにしている。
おかげでかは分からないが今のところコロナに罹ったことはない。(無自覚な人もいるようなので確信はないが)
それでもマスクをするには、最近の夏は暑すぎてせずに済むならそうしたい。
後遺症はしんどい人は本当にしんどいようで2年以上辛い症状に悩まされている人の話も聞く。
歳はあまり関係ないようで、仕事が続けられないほどキツいこともあると聞くと他人事とは思えず用心せざるを得ない。
初めてのスタッフとの仕事はいつも探り探りで、正直慣れた人たちとやっている方が圧倒的に楽なのだが最近は少しお初の方が多い。
相手方がこちらを探っていたり警戒しているような感触を感じることもしばしばあるのだが、これはまあお互い仕方ない。
私は比較的気楽に付き合える監督だと思うのだが過酷な現場もあるだろうし、警戒したくなるのは良くわかる。
相手の緊張感が伝わるとこちらもそれを和らげるために頭を使わざるを得ないのだが、こちらの腹の中を相手に伝えるにはどうしても時間がかかる。
とあるスタッフから警戒警報をビンビン感じていたのだが、最近少し和らいだように感じた。
やはり仕事を進めてみないと相手のやり方というのはなかなか分からないもので、1本作ってお互い馬があって残ったスタッフとは次の仕事の時は圧倒的に気分が楽だ。
とにかく1本完成させるしか本当にお互いを理解する方法はない。
仕事の時は最近はFUSIONのディスクガイドを片手に良さげなものを配信で聴いている。
しかし無いものも多くて、まだまだアナログ時代の遺産はデータになっていないものも多いのかもしれない。
アニメもそうだが、見ることができない聞くことができない状態というのは作品が存在しないのと変わらないので、著作権者はとにかく作品にアクセスできる状態が維持されるようにしてくれと思う。
金があっても見られない聞けない作品はあるわけで、それは作品にとっては途轍もない不幸だと思うのだが…。配信するにも金がかかるから儲からない作品は倉庫に置いておくしか無いというのは分かるのだが作品へのアクセスを確保しておくのは公共的義務なんじゃ無いのと個人的には思う。
結局、物理もデータも永遠に維持し続けるというのは不可能なんだろうけど。
文化は結局のところ口伝みたいに人間の中で再解釈、再生産されるという形でしか残っていかないのであれば、それをなるべく制限しないシステムは必要だ。
どうにもこうにも暑い【2024年08月03日】
暑くて全てのやる気が溶けていくような気がしてしまう。
しかし、少しずつ体調は上向いてありがたい。
睡眠時間が増えているのが良いのか…原因はよく分からない。
睡眠は歳のせいもあり上手く眠れないことも多いのだが、やはり眠れると調子は良い気がする。
そして気づけば8月。
先日はアイカツ!のライブが久しぶりに行われていて、相変わらず盛り上がっていた。
私は配信で見ていたのだけれど、ドリアカのキャストが顔を合わせているのを見るのは久しぶり。
みんな元気そうで何よりだ。
もう久しく関わっていない作品について語ってくっるだけでもありがたい。
次はあかり世代括りでイベントをやるそうで、しかも結構大きな会場だから埋まるのかしらと心配しつつ、私も少し手伝うので楽しんでもらえるものになるんんじゃないかと思
昨日、仕事で若い各話演出に今回のコンテのフィードバックをくれというようなことを言われたのだが、もはやその人はここしばらくですっかり腕を上げて(いやアニメーターの経験も長いし最初から上手かったのだけれど)特に私がどうこう言うような事はない。
上手くなると何か言われる機会はどんどん減っていくので他人の意見が聞きたいというのは分かるので何かアドバイスしようとは思うけど、ある程度の力をつけた演出がステップアップするには監督業をやるしかない。
各話演出ではお話の部分に関われないので、そこに踏み込めるのは監督業である。
しかし、監督業は外からは見えづらい仕事がたくさん襲いかかってくる。
およそクリエイティブではないと思われる政治的な交渉やトラブルシューティングなど真面目な人ほど其のストレスは尋常ではないと思う。
他人の絵コンテを直すといのも各話演出にはない仕事で、良いコンテが如何にありがたいかというのが身に沁みるし自分の不出来な部分も実はよく分かったりする。
自分が描けないような絵コンテに出会うと刺激を受けつつ打ちのめされ、イメージと違う(下手なコンテというのではなく話やキャラクターの解釈違い、演出論の違いなどがある)コンテには直しの時間の無さで苦悩する。
自分というのは一人しかいないのだと思わされるのが監督業だ。
自分と同じイメージを持てるのは自分しかいない。
当然、自分の考えと同じ絵コンテなど上がってこないし、同じ演出など基本的には行われない。
上手い人は、なるべくそこを近づけてくれる。
オーソドックスな演出というものはあって、私が各話演出の時はなるべく監督が直しやすいような絵コンテを心がけていた。
演出は直しようがないので、絵コンテを与えられたスタッフでなるべく最良の形で具現化できるように心がけた。
監督が近くにいる場合は監督の手をなるべく煩わせない程度に意見を聞くなども。(若い時はてんで好き勝手をやっていたこともあったけれど…)
監督と各話の演出は同じ人間ではないのだし、最後はお互いの信頼の中でベストを尽くすしかない。
しかし、オーソドックスな演出というのは特に教科書みたいなものがあるわけではないので、共有されていないところには全く共有されていないものなのだというのは最近になって感じるようになった。
オーソドックスというものは良くも悪くも色がない状態なので作品によってアレンジが必要だとは思うのだが、分かっていれば作品や監督の趣向がよく分からない場合でもアレンジしやすいような形で素材を提供可能になるのではないかと思う。
監督をコンスタントにやっているような人の絵コンテは、大体これが出来ているように思う。
しかし明らかにオーソドックスなスタイルを知らない(あるいはわざと避ける)人というのはいて、それは時に結構困ったりする。
よく話題に上がるイマジナリーラインに対する考え方などが違うと、もう大変な直しになったりするので、オーソドックスな考え方は共有されていた方が良いと思う。
作品によるスタイルの違いなどを超えて一般的な方法論というのはいろんな仕事をするタイプの人は特に知っていると楽だと思う。
メモ的にここで少しづつまとめてみようか。